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日曜日 58日目

 書いておきたいことがいくつかある。
 まず、NEWTOWNについて。2月は自転車に乗っていない間はずっとNEWTOWNを見ていたし、今もまだ切り抜きや他視点からNEWTOWNを観測し続けている。おそらくその気になれば4月末頃までNEWTOWNを見続けることが出来ると思う。
 僕は僕が観測していないところで世界が動いているという実感を得る瞬間が好きだ。これはサリー・アンの課題を現実に感じているという面白さでもある。NEWTOWNでは、サリーとアンの両方を観測できる。
 とても面白かったなと思う。もう終わってしまったけれど、まだ見続けたい気持ちはある。楽しいことは無数に存在している。僕が観測していないところでも、それを証明し続けている。
 
 お風呂場に虫がいた。
 アシナガグモだ。壁を登ろうとして、失敗し続けていた。
 僕はその虫をザトウムシだと思った。故郷にはザトウムシがたくさんいた。彼らはアシナガグモと呼ばれていた。日陰には宇宙人みたいな姿の彼らが器用にちょこちょこ歩いていた。人間に害を及ぼすものではないし、ものすごく華奢な見た目の通りとても脆弱なので恐ろしくはない。ただすこしきもい。
 シャワーを浴びている間、クモはずっと壁を登ろうと足掻いていた。僕はちらちらと虫を確認しながら体を洗ったりしていた。でも最後にはお湯をかけて殺した。
 あとで調べてみるとあの虫はザトウムシではなくユウレイグモだった。ザトウムシとユウレイグモはとてもよく似た足の長さだ。でもザトウムシは体が丸くて黒くて宇宙人みたいだ。ユウレイグモはちゃんとクモの形の体をしている。またひとつ虫に詳しくなった。
 ザトウムシは暗闇でダンスするように歩く。とても不思議で、とてもきもくて、とても興味深い。
 
 屋根裏や壁の中をネズミが走り回っている。姉が壁を激しく叩いて追い払おうとしている。その原始的で直情的で短絡的な対応を僕はとても気持ち悪く思ったが、効果があるかもしれないので停めてはいない。姉は今も壁を叩き続けている。学名ゴリラ・ゴリラ・ゴリラのように。
 床下が覗ける床面があったので開けてみるとネズミの糞が落ちていた。大きさ的にドブネズミだと思われた。殺鼠剤を何個か設置した。
 リビングに、屋根裏にアクセス出来る小さな天井扉があったので開けた。脚立がなかったので手を伸ばしてスマホのカメラで天井裏を四方八方撮りまくってみると、やはりネズミの糞があった。殺鼠剤をいくつか仕掛けた。
 二階の天井裏も明後日開ける予定だ。今から面倒な気持ちでいっぱいだけれど、ファシリティマネジメントは僕の担当だから仕方ない。僕以外の家族は電球の替え方さえ知らないし、調べようともしない。ただ電球が切れたことに怒るだけだ。学名ゴリラ・ゴリラ・ゴリラのように。
 古い貸家だからあちこちガタが来ている。ついこの前雨漏りを修理してもらったばかりなのに今度はネズミだし、これからゴキブリの対応も始まるだろう。僕は東京に住んで14年になるが、この家で初めてゴキブリに遭遇した。もう二度と会いたくはない。
 
 鳩テロリストがいる。
 鳩テロリストは一般人に紛れて生活している。僕が見たのは50代後半くらいの、普通のおばさんの格好をしていた。
 僕はその時、ガードレールに寄りかかって人を待っていた。
 そこへおばさんが現れ、ポケットから素早くビニール袋を取り出し、中身を自販機の横へぶちまけた。そして何事もなかったかのように立ち去った。その瞬間に鳩が一斉に飛んできた。彼女が餌を放った場所には「ハトに餌をあげないでください!」と書かれたプラカードがでかでかと貼ってあった。
 見事な犯行だった。計画的であり、ある種の決意のようなものさえ感じられた。手慣れていたし、堂々としていた。テロリストのあるべき姿だ。
 姉にそのことを話すと、姉は絶賛していた。姉は鳥が大好きで、動物愛護団体に募金したりする人間だし、雨の日も雪の日も野外に鳥かごを山ほど置いているペットショップを潰したいと本気で考えたりする過激派だ。鳥かごの鳥たちは逃げることもできず濡れ、凍え、弱っている。姉はそれが許せない。僕も許せないが、姉ほどエキサイトしてはいない。
 そのいかれたペットショップについてネットで調べると、店主が何度か逮捕されていた。希少生物の違法な輸入・売買だった。動物を商材としてしか認識していないから、鳥かごを野外に放置できるんだろうなあと妙に納得した。
 僕には誰が正しいのかわからない。鳩テロリストも姉も犯罪者の店主もみんな間違っているのではないかと思う。
 最近は、本来は動物に対して全人類がもっと無関心であるべきなのかもしれないと思うようになってきた。そうでないと、動物を食べることに対して言い訳が立たない。まず動物たちを家畜化し屠殺しそれを食べなければ生きていけないという前提があって、その前提に沿うなら動物達には冷酷であるべきだ。しかし冷酷にしたくないので無関心がいいのではないかと思う。できれば認識できないレベルまで持っていけたら一番よい。
 認識できないものとは共存が上手くいきやすい。魚も同じ種類を入れておくと弱い個体が仲間に殺されたりするが、全く違う種類だと認識できないので争いが起きない。
 鳩を蹴とばして歩くおじいさんを見たことがある。そういう人は殴ってもいいことにしたい。動物がかわいそうだからではなく、単純に人間がむかつくからだ。
 僕たちは動物を食べる。それなら動物たちは僕たちを食べることも可能にするべきだ。僕が死んだら、僕の死体は豚の餌にしてほしい。これはこれで過激派なのかもしれない。僕も間違っているのだろう。
 
 河原で自転車に乗っていると、変なものに出会う。
 車輪が1mくらいある巨大な一輪車にのっているおじさんとか、高速で動く1輪のセグウェイみたいな機械に乗っている外国の方とか、頭が真っ赤で青い羽の鶏サイズの謎の鳥とか(調べてみたらキジだった。はじめて野生のキジを見た)、フリスビー部らしき謎のスポーツ集団とか。
 一番驚いたのはインラインスケートで、おそらく陸上でスピードスケートの練習をするためのインラインスケートだと思うのだが、とてつもなく速かった。体を地面に水平になるまで倒して、両手は背中で合わせ、空気抵抗を極限まで少なくする態勢で緩やかに、力強く地面を滑って行った。自転車よりも速かった。
 あの独特の姿勢を維持するにはものすごく体幹を鍛えなければならないと思うのだが、それでもあのインラインスケートがあれば自転車がいらなくなるかもしれないと思った。
 4月から自転車にも交通反則通告制度が適用されるようになる。自転車損害賠償責任保険の加入は各自治体で義務化されているのはもちろんのこと、基本的には車道を走るし、車道を走るなら車用の信号に従わなければならない。携帯電話を使用しながらの走行は青切符の対象になるし、傘をさしながらの運転も対象だった。
 今までがあまりに自由でグレーゾーンな運用が可能な無法乗り物だった自転車が、多少はマシなものになればいいなと思うが、おそらく今までと変わらないのだろうなあと予想している。
 今日も車道をだらだら走っていたら、電動アシストのママチャリが目の前に無理やり割り込んできて危なかった。茶髪の若い女性が乗っていた。子供用のシートがついていたのでおそらく母親なのだろうと思われるが、歩道に上がったり車道に出てきたりよくわからない運転をしていた。全然周りを見ていないし、後方確認もしない。最終的にお友達と思しき自転車と合流して歩道を並走していた。中学生じゃあるまいし、どうしてそこまで我が物顔で自転車に乗れるんだろう。
 自転車も免許制にすればいいのになあと考えている。二輪に乗っているやつは老若男女関係なくろくでもないのが多すぎる。特に歩道を歩いている時、うしろから来た自転車がベルを鳴らしてくることがあるのだが、ひとこと言いたいのをこらえるので僕は必死です。
 スクーターに乗りながら煙草を吸っている人が地元にやたらいるのだが、灰が目に入ったりしないんだろうか。しょうもないいきりだなあといつも思う。
 
 グッドマナーなノーフューチャーでありたい。
 電車に乗っている時、おばあちゃんが乗って来たので席を立ったら、おばあちゃんは僕に「お兄ちゃん、ありがとうね」と言っていたが、僕はそれを無視した。
 おばあちゃんに席を譲ったわけではない。
 僕はただ立っただけだ。
 
 
 
 

日曜日 56日目

 生きている。無職である。パーマネントバケーション。
 不安もなく、焦燥もなく、夢も希望もなく、不満も不足もなく、物語の後の日常がここにある。
 自転車に乗っている。自転車に乗る事や、自転車を改造することしか考えられない。自転車にハマっている。自転車を買ってからずっと。
 僕は一度に4時間~6時間、自転車に乗っている。その間、楽しいと思える時間は30秒しかない。ふと見上げた空が青かった時。
 そのほかの時間は辛い、疲れた、手が痛い、お尻が痛い、段差が来る、坂道がある、風向きが変わった、ペダルの回し方は正しいか、姿勢が崩れていないか、喉が乾いた、タイヤの回転が重い気がする、もしかしてブレーキが片効きしているのかもしれない、陽が出てきた、暑くなる、右足首に鈍痛がある、クリートの位置を調整しなければ、手が痺れてきた、ギヨン管を圧迫しないようにハンドルを握り替えないと、と考えている。
 苦痛と不快の中でずっと自転車や走り方や道の状況を認知し続けている。これはもうサイクリングとかツーリングとかではない。何かの訓練だと思う。最初からずっとそうだったのかもしれない。僕はどこへも行かない。走って行って、走って戻ってくる。これは訓練なんだと思う。僕が陸上部の頃にやっていたような、ただただ何かを向上させるために自分自身を痛めつける行為だと思う。そして僕は結局そういうのが好きなんだと思う。
 こういう時、スポーツなどに打ち込んでいる人に対して、ストイックだという言葉を使うことがあるけれど、それは全然正反対だと思う。ものすごく貪欲な行為だ。とんでもなく欲深い。好きなことに全部を使うことは。
 クロスバイクを改造しすぎてグロテスクな見た目になってきた。可変式ステムをつけてハンドルをぎりぎりまで下げた。サドルもタイヤも軽量なものに変えた。サイクルジャージを着てビンディングペダルをつけてビンディングシューズも履いてヘルメットにサングラスをしてその全てに全部意味があることが今は分かる。そこまでしてもクロスバイクではロードバイク以下の性能しか出せない。安いロードバイクなら買えるくらいの費用をかけて改造をしてようやく納得しかけている。クロスバイクはロードバイクにはならない。鳥は海を泳がないし、魚は空を飛ばない。クロスバイクはクロスバイクの良さを伸ばしていくしかない。
 自転車に乗らない日は筋トレをしている。やりたいことをすこしずつ実現もしている。充実した空白期間だと思う。

 

日曜日 51日目

 自転車に乗って信号待ちをしていたら、目の前の横断歩道を親子が歩いていった。
 母親と4歳くらいの女の子だった。
 女の子は僕をじっと見ていた。片時も目を離さず歩いていた。横断歩道を渡り終え、僕のすぐ横の歩道を歩いている時もまだこちらをじっと見ていた。
 母親が小声で、
「見ちゃダメ」と言った。
 単純にショックだった。それは変人に言う言葉じゃないのか。
 僕はまだ子供に見られてキレるほど狂ってはいないつもりなのだが。
 でも思い返してみると僕は子供にわりと見られる方だ。顔が丸くて鼻が低いので童顔というか、おじさんだけど赤ちゃんみたいな顔をしているからだと自分で思っている。子供は子供に似た顔に本能的な興味を覚えるのではないだろうか。
 それに今日はまん丸の青色のミラーサングラスをかけていた。あごひげも生えている。指ぬきグローブもつけていたし、お尻が痛いので自転車のペダルと縁石の上に足を乗せて直立不動で立っていた。
 もしかしたらあやしかったかもしれない。
 僕も、僕みたいなやつが立っていたら見ないようにするかもしれない。
 
 相変わらず自転車に乗っている。
 とにかく風だ。なにはともあれ、風だ。風をどうにかしないと、どこへも行けない。なぜなら風はいつどこで吹くかわからないからだ。
 僕がほぼ毎日通っている巨大河川沿いのサイクリングロードは風が強いことで有名で、台風くらいの風が吹いていることもある。
 向かい風の時はママチャリのおじいさんや、電動アシスト自転車のおばさんなどはほとんど止まりそうな速度で走っている。
 そして僕も同様に歩くよりほんの少し早い速度でしか走れない。時速6キロくらいだと思う。あまりにも辛い。その風の中を2時間ずっと走り続けることになる。息が切れるしお尻の負荷も倍増するし簡単に太腿が筋肉痛になる。
 しかしロードバイクの人達は何故か僕の3倍くらいの速度で向かい風の中を走り抜けていく。何故だ。
 もちろんビンディングペダルと前傾姿勢になれるドロップハンドルとぴちぴちのサイクルジャージのおかげだ。
 あのぴちぴちジャージは風の抵抗を極限まで減らすためにみんな着ている。
 個人的にあの服はダサいので絶対に着ないと決めていたのだが、とにかく風だ。なにはともあれ、風だ。風をどうにかしないと、どこへも行けない。なぜなら風はいつどこで吹くかわからないからだ。
 風に勝つためならなんでもやってやると思ってサイクルジャージをAmazonで買ってさっき着てみた。
 体にぴったり貼りつくような服なのはわかっていたが、あまりにもお腹が出ている。赤ちゃんくらいお腹が出ている。
 脇腹もぷよぷよしている。浮き輪みたいになっている。
 僕の体重は87キロだ。
 もしかしたら、風のせいで辛いわけではなかったのではないか。そんな考えが頭をよぎった。
 僕は太っている僕がわりと好きだったのだが、そろそろ重荷を下ろす時がきたのかもしれない。
 




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