以下の内容はhttps://sophie-mercure.blog.jp/archives/cat_428738.htmlより取得しました。


イスラエルはアブラハムの孫、アラブ人はアブラハム庶子イシュマエルの子孫と、イスラエルの兄エサウの子孫と伝えられる。

神はエルサレムをアブラハムの子孫に与えると約束し、ユダヤ教シナゴーグととイスラム教モスクが共存する。そして、モスクがエルサレムにあることが、イスラエルは許せずムスリムを挑発した。イスラム教徒は蜂起しガザを実効支配した。 これがハマス。

主君はその家来を呼びつけて言った。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。
  • イスラエルシャロン首相がオスロ合意(1993)破棄のため、イスラム聖地岩のドームにてイスラエル管理宣言(2000)を行い、2006年にハマスがガザ地区与党になり実効支配開始してドロドロの現在。2000年前の同様のトラブルがヨセフス・ユダヤ戦記に記載。
  • ムハンマドは天使ジブリ-ル(ガブリエル)から預言者になるよう伝えられ、聖典旧約聖書とアブラハムの子孫という設定がある。まさか、キリスト教圏と接するとは思わなかっただろう。
過越向けアピール

4月19日早朝に、イスラエルからイランのイスファハーン(エスファハン)へのミサイル砲撃がありました。この砲撃の理由は不明ですが、視覚的効果のためで、寸止めという意見が多数です。
※ 今回はパレスチナ自治政府

CNN
CNN  Fri April 19, 2024/Iran’s military response will be ‘immediate and at a maximum level’ if Israel attacks, foreign minister says
※ 攻撃は最小限に抑えられたとのこと

イスラエル政治情勢では、ベニヤミン・ネタニヤフ首相(リクード党)、ベニーガンツ(国家統一党)、極右シオニスト党連立政権が与党ですが、弱体政権のため、全員が必死に戦線を維持せざるを得ない状態です。

ベニー・ガンツ氏は人気のある退役軍人であり、ネタニヤフ首相以上の支持がありますが、これは戦時中のゆえんのもの。
netaniyah
3 Mar 2024 The times of Israel Netanyahu said fuming over Gantz trip to US planned without his approval
※ ガンツ(退役軍人の閣僚)は面従腹背状態と仲間割れ状態でそっぽ向いている

4月1日のシリアのイラン領事部爆撃(VSイラン)、4月14日のイスラエルへの報復攻撃(VSイスラエル)、その後のイスラエルからイランへの攻撃であって(VSイラン)、いずれも正当防衛という名目のみで攻撃しています。

攻撃が急なのは、ネタニヤフ政権介在での人質解放が進まないため、過越前(4/22)なので、ユダヤ教礼拝の場が低調になるおそれがあり、支持率下降基調を覆したい思いから、極右シオニスト政党の口車に乗って、イラン爆撃をせざるを得なかったと考えられています。

ユダヤ教原理主義と呼ばれる極右シオニスト党は、議席数は少ないものの、ネタニヤフ与党のキャスティングボードを握る政党です。今はネタニヤフ首相は汚職事件により取り調べを受けているため、極右政党までそっぽ向いて、政権が失速したら、首相が刑務所にぶち込まれてしまいます。

少しでも政権運営を有利にするため、ネタニヤフ首相は司法改革として、政府与党決定への最高裁の拒否権停止強行採決をするなど、極右シオニスト党の言うことを聞きつつ、自分の延命のために必死に議会対策をしています。

さすがにエゼキエル戦争はない

エゼキエル書38章では、マゴグ(ロシア)、ペルシャ(イラン)、クシュ(バビロニア)、プト(エジプト)がイスラエルに馬に乗って盾と剣を持って、イスラエルを急襲した後、地震、疫病、流血、大雨等々で神により反撃支援をするといいます。
ノアの家系図

ノア家系図 マゴグ、クシュ、プトらの名前が連なる(創10他)

これらの国名はノアの孫、ひ孫らの名前なので、少し違和感がありますが、全人類という建て付けにて、また、性懲りもなく、人類が大雨で滅ぼされるという暗示を含んでいます。また、人名の年代から、かなり古い預言書なのかもしれません。

gog
 英語圏で"Ezekiel War"で紹介される例多数。日本人以上に予言好きが多い

ユダヤ教では、イエスではなくユダヤ人が人の子なので(諸説あり)、エゼキエル書にあるように、神がユダヤ人を超科学兵器で助けて世界戦争を勝ち抜き、エルサレムを永遠の都にできると考える人が一定数います。

神の12軍団を従えた人の子が世界征服すると、ユダヤ人は考えていたので、イエスがキリストだと主張したとき、預言書と違う!お前なんか救世主じゃない!と十字架刑にかけました。このような経緯を踏まえると、エゼキエル書は過去であるし、イエスを十字架にかけたユダヤ人と、全く同じ発想で予言を考えるには難があります。

ユダヤ人にとって戦争は嫌であるし、仮にロシアとイランに天からの硫黄の火の雨が降れば、喜んでる場合ではなく、国際的に被災者支援活動が行われます。ユダヤ人の敵が硫黄で焼かれて、ああ、やった!と言う人の方が非人道的です。


アリーと神の獅子

シーアの事実上の始祖のイマームであるアリーは、アッラーの獅子(アサドラーク)と呼ばれた、やたら白兵戦に強い人物です。子のハサン、フセイン、孫のザイードは、好んでシーア家系の男の子に付けられ、強い子に育つようにと育てられます。
※ シーアは「派」のことなので、シーア派=派派とすると変なので、ここではシーアとしています。
神の獅子
Imam Ali and Lion 滅法強かったため神の獅子と呼ばれる

日本人でいえば武蔵とか十兵衛とかベジータみたいな名前で、掃除の時間に、柳生新影流!とかかめはめ波!とかいって、ホウキ持ってチャンバラばかりやってる男子が、勉強もしないで決勝戦に残ったような組織がシーアに作られたりします。

歴史的にはシーアを取り込もうとする国も出現しますが、オラ、強いヤツと戦いたいんだ!と空気読めない言動を取るし、領土拡大が一服すると、ちょっとしたことで裏切ることから、使い捨ての駒のような扱いを受けるようになります。

イラン指導者ハメネイ師は、名をアリーといい、これも神の獅子のような、強い男の子に育って欲しいという両親の希望が込められた人です。現在、シーア軍(イスラム革命防衛隊)のもとに、コッズ(イスラエル滅殺隊)、ハマス、フーシ、ヒズボラが傘下にいます。

khamenei
Ali Khamenei -Wikipedia

元々、アラビア地域は、油田以外は裕福な地域ではないので、戦争がなくなってしまうと、武装組織は生活の糧を得る手段がなくなってしまいます。旧約やクルアーンでは、戦国時代の信仰が記録として残っているので、信仰深い兵士という公務員として、裕福に生活できる手段を得ることができています。

おそらく日本のガザ地域への支援も、ハマスの私腹を肥やすのに役立ち、ハマスが中抜きして分配する立場にいるため、支配体制が非常に強いようです。

悟空
すごく共感するセリフである 一銭にもならないことばかりの夫は困る

米国でも、兵士になるしか就職先がない貧困地域があり、一種の雇用安定機能の面を軍隊が担っています。イスラム圏では、海賊か兵士でしか生活できない人たちがいて、少年漫画の主人公達が、実際には生活費を稼げない旦那衆のような、ツブシが利かない落ちぶれてしまうリスクがあるのが現代社会です。

イスラム圏の常備軍は国家を傾かせ、税金が高すぎるという理由で、常に後進に追い落とされる歴史を繰り返しています。近代のオスマン帝国は、イエニチェリという職業軍人既得権層が幅を利かせて、欧州に歯が立たないくらい弱体化してしまいます。
イエニチェリ
現代のイエニチェリ行列祭り 維持コストが高そうである

ネタニヤフ政権も、ハマスも、シーアも、全員、この紛争がなくなってしまうと、地位を追われてしまうので、今は微妙に居心地の良い戦闘態勢にあり、これを真に受けて世界戦争に発展するには、余りに大義がありません。第三次世界大戦になるほどの材料としては弱いです。
イスラム勢力圏
イスラエルとスンニの和平関係図(再掲)シーアとイスラエルは関係が良くない


狭き門とマイノリティ-神は人混みの中に見つからない

狭き門と、大きく広々として、立派な門の二つが、人の前にあります。

狭き門
   見つけにくく狭い門

大きくて広々としている門は、立派な御利益があって、立派な権力者がいて、よさげな教えを唱える人を示し、これを思考停止状態で信仰する信徒です。思考停止して「主よ、主よ」といっても、神から「お前ら知らない」と言われてしまいます。

ユダヤ人達は流浪の民でありながら、バビロン捕囚を経験しながら、神から離れずに残った民です。

先祖の受けた奴隷という立場は、支配を客観的に観察でき、権力は人間の暴力性と恐怖を応用したものと理解でき、神の支配とは全く異質であることを痛感できます。また、バビロン捕囚の頃から、ユダヤ人は自分たちの神は世界の人々をも創造したと考え始めます(ヨナ4:11)。

初期教会では、地下礼拝堂に集まり、迫害を受けたキリスト教徒達は、ローマのインペラトールが、パウロ書簡の肉の業(ガラ5:21)を追求するような、くだらない人たちだと客観視して、権力と一緒に肉の業を十字架にかけ、霊の九つの実(同22)を求めるのだと考えるようになります。

イスラエル国家は大きな門指向なので、シオニストは何回チャンスが来ても、「政治的成功と失敗」という、同じ結論を選んでしまうようです。イスラエル−イランの紛争は、聖書の預言と異なるもので、グダグダな方向に進んでいきそうです。

人間は誰でも、優越感からくる悪意に、必ず向き合うことになります。
イエスが直面したユダヤ選民思想、やもめの謙虚について、エステルがナビゲートします。

人間関係の悩みは、優越感、劣等感に根ざすことが多く、律法家は優越感をもって大金を寄付します。しかし、銅貨2枚入れた貧しいやもめが、最も寄付したとイエスが説き、ルカ福音書を貫く考え方が示されます。

イエスは教えの中でこう言われた。
「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(ルカ21-22章)

「貧しいやもめの献金」のエピソードを観想、教皇、日曜正午の集い 2018.11.11 バチカンニュース 前段の律法家とやもめの献金の解説
やもめ
レプタ銅貨2枚(100円程度)を寄付したやもめに対し、イエスは、誰よりも多く入れたという。直前の律法学者の寄付の対となる箇所で、律法家は多額の寄付により敬意を集めているため、実りが少ないといいます。

律法学者は人目を気にして、上座に座りたがり、立派な風采をして、自分の評価のための寄付をする人物であると、主から見抜かれています。
パリサイ人

神の視点からは、貧しいやから、律法家が奪い寄付しているように見える(ルカ20:47)ため、律法家の寄付は見た目ほどには価値がありません。
なお、ここは有り金全部寄付せよという教えではなく、天に積む宝が別にあるということ。

やもめ献金フロー
冷静に観察すると、貧しいやもめがパリサイ派を支えている。

福音書のクライマックスで、律法家達は、天の軍団によりローマ軍を蹴散らすために、ユダを通じてイエスを処刑に誘導します。一方、貧しいやもめ達は、十字架受難のイエスの遺体を引き取ります。ユダヤ選民思想では、キュロス王(油を注がれた者:キリスト)はバビロン捕囚の解放者なので、ローマから解放する者がキリストです。
十字架降下
 十字架降下 P.P.リューベンス
肉体は死んでいるが魂は生きている。家を建てる者が捨てた石が要石になった(ルカ20) を暗示。

イエスは死刑囚なので、律法家にとって恥辱を受けた人物であり、ペテロにとって知り合いと思われたくないため、そんな人知らないと三度否定します。やもめの達は受難後もイエスに従い、正しく人物を見ていることがわかります。

ところで、統一教会文鮮明(イエス転生者僭称)は十字架は失敗と扱い、今度は政治的に成功させるというのですが、律法家のように、権力や資産を重視している様子がうかがえます。

律法家は、社会的弱者は神から見放された罪人と考え、貧困や、労働により、律法が完遂できない不幸な者だと考えていました。

ふぁりさい

この貧しいやもめは、必要以上を求めず、神の与えるもので満足していました。彼女は、神に満足と感謝をもって生活をしていたと思います。

  • ユダヤ教 では、土の塵に神の霊が宿り、無から人が生まれたと考えます。自分が無の状態と、今の自分を比較して、自分を存在させる神の偉大さに感謝をします。

翻って現代では、競争に負けた貧困者は悲惨と教えます。

スキルを身につけなければ、勉強しなければ競争に負け、自己責任の結果を受けるとも。評価主義により、認められることを目指す余り、感謝を忘れ、自分の不足に目が向いてしまいます。

日本人の宗教観では、神に幸運を祈ったり、因果応報カルマポイント制を教えますが、これは、律法家と同じです。教団信仰ポイントで幸運を貰うような、新興宗教の余地も生じてしまいます。その幸運だって、世間で認められたいものに集中します。

そうですね、清貧が理想といえども、評価を気にしたら、イエスの言う、神が装ってくださるという言葉が信じられなくなります。神はケチなので、自分の努力が全てとして、権力を求めるようになります。

Widow mite

今の時代、キリスト教的な考え方は合わないので、無理に信徒を増やす必要はないかもしれません。自分磨きをして、キレイな装いをしたり、稼いだり、ブランド品で身を包み、誇れる自分を目指しても良いと思いますが…

その結果、日本は世界的にも自殺者が多く、レールから外れたら不遇に落ち、マウンティングやハラスメントが日常的です。表面的には美しいですが、陰険な嫌がらせや社交辞令も多い。そこから、神がいたら不幸や貧困はないはずだと考えて無神論に行きつきます(さらに、コミュニティが平等を作るというのがマルクス共産主義)。

この世界が存在し、自分が存在し、死への恐怖がイエスにより消えたこと、これら感謝が唯一の神の信仰です。人の謙虚な祈りの中に神はいて、奇跡や、立派な教えを説く者に宿るものではありません。

エステル
【ナビゲーター・エステル】
旧約聖書随一の美貌を持つ、貞淑と従順の鑑のような女性です。
今回は、貧しいやもめの謙虚と信仰を、少しでも表現できたらと思ってナビゲートに採用しました。本当に、目立たないところでも立派な人は多いので、見習いたいと感じて記事にまとめました。

安倍元首相銃撃事件の遠因とされる統一教会ですが、ここの知人の入信から引き戻すのに多大な苦労をしたことがありました。

しかし、夫婦で自宅を売却して寄付した別の親族は、向こう側の世界へ行ってしまい、戻ってくることはありませんでした。

閑静な住宅街で統一教会施設建設の反対活動が起きるなど、評判が非常に悪いので、そう気づかないように勧誘活動をしています。「世界平和統一家庭連合」のとおり、今は霊感商法ホールディングスのような連合体になっています。

教会という名前を略称に入れていたことから、キリスト教会では問題意識をもって、積極的に脱退支援サポートをして、統一教会の教義内容と生活情報が蓄積されていました。実際に引き戻すには、かなりの時間と労力が要ります。
山上容疑者
【2022.7.18(月) TBS NEWS DIG】  「オレが憎むのは統一教会だけだ」山上徹也容疑者が旧統一教会への恨みを繰り返しTwitterに投稿か


文鮮明の教義

文鮮明(1920-2012)はイエス・キリストの生まれ変わりを自称し、イエスの失敗を成功させる目的を持っています。彼らの思想では、文鮮明が政治的に成功させるため再臨したといいます。政治的成功を目的としているため、政治献金や政治活動に熱心なので、多額の資金が必要となり、霊感商法や政治献金の問題が起こります。
文鮮明
世界は男女、明暗、陰陽という対の構造で、その基本が家庭であり四位基台といいます。この発想は陰陽思想からもたらされるもので、韓国国旗の太極旗の思想です

世界は因果応報が必ず起こり、失楽園の失敗、カインによるアベル殺害というサタンからの愛情の蕩減条件をなくすことが必要と説きます。このためには、福音書ラクダ針の教えのように、全財産を投げ打って、貧しい人に与えることで解消すると教えます。

四位基台
統一教会の教義の中心で、これは家庭に完成を見るという

山上容疑者の母親には、財産を寄付すれば人生が全て好転するという教義が心をとらえ、寄進をするようになります。

外から見ると変ですが、彼らの立場で考えると、お金を払えば運命を変えることができるので、問題に向き合う必要がないため、こんなに楽なことはないのです。日本語に「後生ですから」という言葉があるように、来世の幸運を捨ててでも、嫌なことを回避したいと懇願する日本人の発想に親和しています。

さらに若い方には、結婚相手を教団が決め、職業も自由に選べず、一緒に寝泊まりする生活をして、生活は全て支配されて四位基台を作れと教え込まれます。

占い師の営業ノウハウ

各地域施設ごとに占い師の女性がいて、特別に無料で占うといって、勝手に占います。

そこまで達する段階で、先祖の因果で苦境に陥る家族のビデオを見せられたり、供養を放棄して家があれていくビデオを見せられているので、抵抗感を除かれていて、あなたには、先祖への無礼があるはずだから、このグッズでお詫びする、この朝鮮人参が健康に必要と、マルチ商法のような物品販売をしています。1回30万円くらいのアイテムを勧められるので、占い師の腕次第で、莫大な利益を上げる方もいます。

そこで、ふと政治献金をしていることを思いだし、有名議員に講演してもらって、集客力や信用に使えるのではないかと考える人が出てきて、議員秘書や政党事務局に、それはそれは、素晴らしい自己啓発に聞こえるよう説明して講演依頼をして、一見すると単なる自己啓発セミナーにしか見えない活動だと伝えています。たぶん、政治家は深く認識しないで講演しているはずです。

元大臣が来てくれるすごい団体なんだ、有名議員がバックにいて講演してくれるんだと、家族を誘いにかかってくるので、家族は嫌でも献金をしていることを知るようになります。山上容疑者の母親は安倍元首相が来てくれるんだと、何度も繰り返していたでしょうから、憎かったろうと思います。
安倍総理公園
【2022/7/11】 NEWSポストセブン

日本に定着しやすかった教団

昔は、大学内に原理研という名前のサークル活動がありましたが、トラブルが増えてくると、大学側でも正式に認めなくなり、自己啓発セミナーに名称を変えています。

駅前や繁華街で、手相を見せてくださいという女性が立っていましたが、あれは統一教会拡張員で、心の寂しい人を共同生活拠点に連れていき、動画を見たり、講義を聴くことを通じて、心を寄せていくようになります。

彼女たちは、家庭を素晴らしくしようと言い、人格を高める活動をしているのだと、まともなことを言いつつ、一人で何百人もの勧誘をしてきた熟練なので、家庭に問題を抱えている人ならば、言葉巧みに勧誘されてしまいます。

日本では家庭を顧みないダンナ君が結構いたこともあり、また、両親、兄弟、家族で機能不全家族・アダルトチルドレンの問題を抱えていた人は多く、特に女性は共感しやすい傾向がありました。
山上容疑者母親所属
【朝日新聞digital】

文鮮明没後、外で生きられない方が残存

文鮮明はイエスの生まれ変わりといいつつ、今は鬼籍に入っているので、宗教としては説得力がなくなってしまいます。原罪がない人物ではないので、今は単なる啓発活動を伴う政治結社でしかありません。

しかし、教団を生計の手段としていた人には、他に生活する方法がなく、幸せな家庭作り自己啓発グループ自体は普遍性があるので、組織の存続を図っています。

オオカミ少女
【Amazon様の書籍紹介から】

昔、オオカミに育てられたアマラとカマラという、二人の少女を参考例としつつ、オオカミとして育てればオオカミ、人間として育てれば人間、神の子と育てれば神の子という理論を作り出し、とにかく家庭が健全ならば、世界は平和になるのだと説いています。

これで、かなり根強い依存を作ることに成功しています。

今日の元幹部の謝罪会見では、経済部隊の暴走という言い方をしていますが、外では生きていけない人たちが、新興宗教ビジネススキルに依存して生活する人がいるので、このような悲劇を根絶するのは難しいかもしれません。
元会長謝罪
【日テレnews 2022/7/19】 “統一教会”韓国・元幹部が謝罪…現在の教団「正道から外れている」

一度、向こうの世界に入った人に、優しく根気よく、語りかけることは、とても難しいことです。入信者を罵倒して、いかにおかしなことをしているかと攻撃的に諭す方が多いため、相手も意固地になってしまうことが多いです。当事者になると、すごく難しいと痛感するはずです。

最後に、安倍元総理に深い哀悼の意を表します。

3分で説明

ヘロデ王による子供の虐殺の預言「ラマの嘆き」に匹敵する脅威が、魔女による乳児の呪殺にはあると、カトリック教会は伝えます。今回は乳児の死に恐怖した教会史として、ラマで嘆く ラケルがナビゲートします。

歴史的に、魔女裁判が始まるのは、ローマ教皇庁異端審問修道士クラーメルが、マレウス・マレフィカルム(魔女に与える鉄槌)を著し、発明品グーテンベルク活版印刷を使い広め、識字率が低かった地方都市に魔女の挿絵により周知された頃です。

教皇庁は、カノッサの屈辱で異端裁判権を手にし、魔女裁判は「魔女に与える鉄槌」の罪科を読み上げて有罪とし、それを市司法機関が追認すると異端者として処刑されるよういなります。しかし、多くは司法機関により棄却されてしまいます。

猫は人里に定着して劣性遺伝の黒猫が現れるものの、カトリック圏の酪農や狩猟では猫は害獣であり、黒猫は冥界から現れると考えられています。回勅"VOX in RAMA"(1233)では病死や乳児死を解決すべく、食糧豊富で猫が定住していた南仏カタリ派地域に、十字軍派遣が宣言されました。

リンゴは寒冷地で採れるもので、非カトリック率が高いバスク地方で魔女狩りが発生した際に、ピレネー種のリンゴと厚手ローブ姿のバスク地方の民族衣装の絵が多数描かれます。後に、これが魔女らしい魔女の絵として、末代まで残りました。
魔女のイラスト
 Jan Van Der Velde, 'The Sorceress', 1626.

魔女の力は細菌の力

魔女狩りは近代化への分水嶺です。
 
現代に伝わるグリム童話の魔女は、リンゴ片手に、黒猫とオオカミと一緒に悪役を演じ、大抵、魔女は子供の命を狙います。
白雪姫
 wikipedia Schneewittchen

異端として告発された魔女達は、後期になるほど助産師が増えているので、医学知識を持った助産師を医師が批判したというジェンダー論から分析されることがあります。また、密告者側も女性が増えていくので、死産の医療訴訟のような構図を見せるようになります。罪状が皆コピペなので、内実はわからないことが多いです。

魔女と産婆と看護師

魔女・産婆・看護師 女性医療の歴史の表紙

中世では35%の新生児が1歳を迎えられず(17C-18C Nurtingen)、聖職者が祈祷したにも関わらず、5歳までに半数が死んでしまいます。カトリック・ドミニコ会は、祈祷を妨げる魔女の呪いが原因だと断じ、乳児の脂肪を箒に塗る霊薬の材料にするため、魔女が呪殺して、空を飛んでサバトに参加しているという生活習慣を流布しています。

そして、教会に反抗的な者や、民衆間で魔女として訴えられた者が、異端審問の記録を作り上げられて、自白により有罪とする魔女裁判にかけられました。自白が有罪判決の根拠となったのは、そもそも根拠がないためです。

死亡率
Mortality in the past – around half died as childrenby Max Roser June 11, 2019

中世では細菌の存在など知らないので、祈祷によって魔を払えば、子供は健康に育つと考えられていました。

更に、13世紀にモンゴル人が病原菌とともに襲来し、14世紀にペストが流行して、物資不足により悪性インフレが起きると、庶民による教会への不満が強くなっていきます。奇跡の期待によって教会が悪魔から市民を守るという伝統は限界を迎え、終末論が広まっていきます。
 
ローマ教皇庁管区・文明の後進国のルネサンス

1076年、一人の僧服を着た者が、三日三晩、雪の降る城の前でたたずんでいました。彼はハインリッヒ4世で(1050-1106)、ローマ教会の聖職者人事に介入したため、教皇グレゴリウス7世(1020-1085)を怒らせてしまい、破門撤回のため教皇に許しを請うていたのでした。

後にカノッサの屈辱と呼ばれる争議によって、教皇庁の権威が再認識され、教皇庁では、真正な教えを体系立てるため、ドミニコ会とフランシスコ会による異端諮問委員会を整備していきます。ここで俗世での司法権を獲得します。

 カノッサの屈辱

名門貴族師弟が聖職者をキャリアに組み込み、徐々に神聖ローマ皇帝とローマ教皇が癒着していき、ハインリッヒ4世(1084年~神聖ローマ皇帝)は、地域や教皇庁内に政治基盤を固めていきます。

カトリック教会管区の文化はコンスタンチノープル、エジプトに劣り、ゲルマン宗教統合時に偶像崇拝を取り入れて矛盾を内包しています。そして、偶像崇拝が政争化し、1054年にカトリックとオーソドックスは東西分裂をします。
アヤソフィア
 天国にたとえられたアヤソフィア(イスタンブール)

カトリックはギリシャ正教と袂を分かった後、コンスタンチノープルを参考に建築に投資を始め、ローマの元老院文化と皇帝権の歴史調査、キリスト教会史の研究が進みます。これらは後にルネサンスと名付けられます。

前錬金術カタリ派国(1140-1244)

カタリ派制圧に十字軍が投入されます。猫と魔女の連想ができたのは、この頃ですが、猫は食料が豊富な地域に定着するので、食料事情が良かったようです。

信徒間は平等ですが、カトリック教会では煉獄という概念を作り、地位の低い信徒に対して「あなた、煉獄に落ちるわよ!」という使い方により、裕福な信徒との差別化を図ります。後に、贖宥状という、わかりやすい形に変化し、寄進を集めやすくなります。
贖宥状 免罪符絶賛発売中
95箇条の提題 (ルーテル)
※ ルター(1483-1546)は、お金の音で煉獄から魂が飛び出す(27/95)と、痛烈に皮肉

当時の俗化カトリックを嫌う市民も多かったため、異教カタリ派により、南仏モンペリエ付近に独立地域を作る民衆が現れます。マグダラのマリアは復活後のイエスに最初に遭い、聖母マリアの胎が聖霊を受けたことから、女性は聖霊の受け皿であるとカタリ派は説きます。
カタリエリア
 
"cathari"はギリシャ語の「清い者」という意味ですが、猫(Felis catus)を連想させる名前なので、アラン・ド・リール(1128-1202)は、魔女と猫が連想させるようになっていきます(ただのダジャレなのに...)。

Walter Map(1140–1210)の著作に"the Devil descends as a black cat before his devotees."という記述が見られるように、黒猫が悪魔の使いとして同調する文献も出始めます。

カタリ派と猫
  オクスフォード ハーレイ1526 十字軍史(カタリ派は十字軍に討伐される)

カタリ・グノーシス一元論では、天上の霊力によって薬、金、生物ができるとして、知恵の岩(俗称:賢者の石)や秘儀による、再現性のない技術書が作られました。ローゼンクロイツ(1378-1484)、パラケルスス(1493-1541)にもカタリの記載が見られるように、カタリ派は錬金術の基礎になっていました。

カトリック教会はカタリ派の同化政策を進めるために、多くの修道士を派遣して改宗させますが、持たざる民衆の清貧によるカタリには、坊ちゃま育ちの修道士は太刀打ちできず、仕方なくインノケンティウス3世(1198-1216)はカタリ攻略を呼びかけます。

十字軍国家は1150年頃にエルサレムを撤退し、2回目の進軍も失敗してから、功績のない軍団の行き場は失われていました。帰還した十字軍をカタリ派自治地域へ派遣し、1244年のモンセギュールの戦いで、カタリ派領が焼け野原になります。
現代のカタリ国
 モンセギュール古戦場

魔女っ子ワルドちゃん

魔女"Witch"の由来は、ドイツ語”Hexe”「人里を超えた者」で、神聖ローマの言語に由来します。教会の聖書印刷に使われたグーテンベルク活版印刷によりビジュアルイメージが広がります。

魔女、箒、黒猫、魔法はワルド派の代名詞となり、たまたま、グーテンベルク活版印刷によって、風説の流布が可能になったので、文章による魔女の解説にイラスト印刷を加えて、識字率の壁を越えて広まっていきました。
ワルド派
 ワルド派勢力図

ワルド派(1171-1689)が神聖ローマ域内に流入し、非カトリック化が進むと、ドミニコ会とフランシスコ会は異端の取り締まりを開始します。異端の判別のために、トマスアアクイナス(1225-1274)による神学大全の百科事典的性格が有効に機能し、女性蔑視の強いスコラ神学により、魔女狩りが始まります。


神学大全では、魔術、姦淫を重大な悪とします(ガラテア5:24)。異端者に刑罰を与えるため、神学大全の魔術欄をコピペをして罪状として自白強要し、市司法へ書類送検するスタイルが使われます。

当初は2/3が男性でしたが、クラーメル(1430-1505)の活動以降、筋金入りのワルド派女性が悪魔の使いとして「魔法をかけて誘惑した」と、下手な浮気の言い訳みたいな裁判にかけられるようになります。

インフルエンサー達

ドミニコ会で魔女の誘惑から風紀を引き締めるべく、ヨハネス・ニーターが「蟻塚」(1437)を書き上げて、異端を糾弾する書物を書きます。蟻塚は奇異な名前ですが、聖書箴言に由来する、蟻とキリギリスの寓話の元ネタです。
魔じょっ子メグ

1445年グーテンベルク活版印刷実用化以降、エリート修道士のクラーメルは、著作物”Malleus Maleficarum”「悪魔術の槌」を大量に頒布します。

現代日本語では「魔女に与える鉄槌」と訳されますが、女性は男性を誘惑する力があり、それが罪を誘発すると考えていました。鉄槌は、裁判所のハンマーであって、悪魔術裁判規則の意味があります。

 ワルド派の魔女挿絵

「魔女狩り西欧の三つの近代化の解説」の挿絵と説明を転記

「悪魔術の槌」では、魔女は男性器を消すことができる、乳児の脂肪を塗った箒で飛翔し集会(サバト)に参加する、女性は不完全である、だから魔女は罪というラジカルな論調を取り、クラーメルは自ら異端審問に邁進します。

しかし、異端審問の様子を見た人は違和感を持ち、クラーメルって変じゃね?と考える人が増えていき、教皇へ評価書を取り消すよう求められます。また、多くの魔女裁判結果は、さすがに、こいつら変だと、市の司法機関が棄却してしまいます。

 魔女の画像
妙に写実的な魔女絵が描かれた

黒猫という見慣れぬ生物

ラマの嘆きは、乳児死亡率の高さを特に問題視していたことを暗示します。また、黒猫の出現は、市民の食糧事情の改善があったことを示し、倉庫に穀物が蓄えられた時代になっていきます。

猫は倉庫のネズミを追いながら、人間社会に溶け込みました。最初にエジプトで神格化されたのも、ナイル河畔が穀倉地帯だったためです。
 
猫は人類史では新参者で、中国の文明黎明期には生息しなかったことから、象形文字がなく、干支にも入らず、ヘブライも同様に聖書にも登場しません。
 
猫は 白(W)、橙(O)、縞(A)、点(S) の遺伝子があると、黒猫になりませんが、穀類が豊富で、地域に猫が定住して遺伝子が偏ると、突如黒猫が出現します。神聖ローマのカトリック教会圏では、狩猟や酪農が行われた地域では、猫は害獣であり、カタリの伝承と重ね合わせて、魔女が世を忍ぶ仮の姿として黒猫に変化すると考えられました。

一方で神聖ローマでは、困窮から逃れるために十字軍に参加するくらい、貧困地域であったため、食料が乏しく、あまり猫がいません。
猫と魔女
1227年に80歳のグレゴリウス9世が教皇に就任し、異端の抑圧に乗り出します。カトリック内政に力を注いだ人物で、特にアッシジのフランチェスコやエリザベートを列聖した人物として知られています。

1233年に十字軍指導者の一人コンラート(?-1233)は、このままでは、赤ちゃんが魔女に呪い殺されてしまうと危機感を持ち、グレゴリウス9世に働きかけて回勅「ラマの声」を施行します。ここでの黒猫は、冥界のルシファーの使い魔として記されています。

その後、十字軍によりカタリ派討伐が始まります。
ラマの声

グレゴリウス9世(VOX IN RAMA) 冗長のため概略

マインツ大司教、ヒルデスハイム司教、マルブーフの師コンラートに
ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。この預言のとおり、悪魔の蛇は、神の愛を受けた胎を噛み切り、教会を破壊しようとする。
ヒキガエルに見える悪魔が病原菌をまき散らし、悪魔に魔女はキスをする。青白く黒い痩せた氷のような男が現れ、魔女はキスをする。体は非常に冷たい。黒猫が後ろ向きに現れ、魔女はキスをする。そして歌う。
ろうそくの灯火が消えると、情欲の嵐が吹き荒れ■自主規制■
天に反逆し、狡猾にルシファーを冥界に追いやったと主張し、かつての天の栄光を取り戻そうとする。神の奇跡はどこへいったのだ。武装し立ち向かう者達に祝福を。
1233年6月にラテラノにて授与する

魔女とされた聖女

ジャンヌダルク(1412-1431)は1431年異端審問裁判で魔女として裁かれましたが、比較的恣意的に魔女とされていたことを示しています。その後、カトリック教会により1455年に棄却され、19世紀に列聖されています。

神からの啓示に従順に従って行動をした結果、偉大な功績を挙げたとしてカトリック教会では聖人に列せられました。奇跡はともかくとして、非常に信心深い有能な女性で、カリスマを備えていました。
ジャンヌダルク

フランス出身のアンジュー伯ヘンリー2世( 1133-1189)がイングランド領主(プランタジネット朝)を兼ねていたので、フランスとイングランドが連邦化し、プランタジネット朝はフランスを支配するイングランド勢力と認識されるようになります。パリ周辺の領主には支配王朝プランタジネット朝とも懇意の者がいたものの、百年戦争(1337-1453)でフランスを独立国とすべく、弱小連合がプランタジネット朝と争います。

現在でも、英国は連合王国(UK)が正式名称であるように、統治機構が一枚岩ではなく、さらにややこしいことに、ジャンヌダルクがオルレアン軍を立ち上げ、乱戦状態に入り、誰がフランス統治をするのかわからなくなってしまいます。ジャンヌダルクはドミニコ会とプランタジネット朝の二元権力の狭間に入り、魔女として処刑されてしまいます。

ジャンヌダルクの行軍によって現在のフランスの形があるので、今でもフランスでは強い人気があります。ジャンヌダルクはジェンダーと既得権と戦いました。

バスク産魔女のリンゴ

魔女のイメージがここに完成します。それだけ、バスク地方の風俗は印象が強かったようです。

バスク地方は、スペインとフランスの紛争地域で、フランスとカトリックへの同化を拒んでいました。南仏のバスク地方は言語体系が異なるため、カトリック教会の影響が少なく相性が良くありません。
 
ここで、バスク地方出身のカトリック系新興貴族ド・ランクルと、同出身の旧貴族ベルトラン・デショーがフランス王国宮廷内で争い、バスク地方同化政策のため、ド・ランクルは魔女裁判を1609年に開始させます。
バスク人の衣装
 バスク人衣装。魔女の装いとされる

バスク人達は独特の衣装をまとい、少しエッチぃダンスを踊り、女性は頭頂部を剃って長く伸ばしていました。 ド・ランクルは、そういうダサい風俗は止めてくれと、異端審問を通じて同化策を取り始めます。

バスク地方はピレネー種リンゴの産地であり、また、リンゴは邪悪"malus"と同じスペルのため、リンゴを禁断の実のアイテムとして、バスク人女性を魔女と断じます。

この時期の絵画に、リンゴを禁断の実とするものが散見され、魔女にピレネーリンゴが持たされます。
禁断の実
リンゴはヘブライと気候が違い、寒冷地でのみ実をつけます

弁護士の副業(不規則裁判)

ここで世の風潮を利用して、魔女裁判で金儲けを考える人物が現れます。

マシューホプキンス(1620年 - 1647年)はイングランドで私刑魔女狩りをした人物です。本職は弁護士ですが、1644年から1646年に300人の魔女の告発と処刑を行い、”The Discovery of Witches”(1647)を発行すると、後の魔女狩りの教書として使われるようになります。

裁判方法は、引っ込み式のナイフや針を刺し、痛みを感じない魔女であるとして住民を信じさせて処刑するというものです。また、川に突き落とし、溺れたら無実、生きていたら魔女という、逃れようのない私刑も行っていました。
マシュー

The life of Matthew Hopkins, the opportunistic 'Witchfinder General'

しかしあっけなく、マシューホプキンスに疑問を持った清教徒聖職者により、魔女裁判が暴かれ追放され、14ヶ月の魔女狩り活動を終えます。翌年の1647年8月に結核であっけなく亡くなりました。
”The Discovery of Witches”はベストセラーとなり、1690年代のセイラム魔女裁判でも使われました。

セイラム魔女裁判(1692)は米国清教徒がセイラム村で起こした私刑群で、けいれんや麻痺状態の女性を魔女として告発し、処刑したものです。症状としては狂犬病や薬物症状に似ているので、やはり病気感染が疑われます。
セイラム魔女裁判


魔女狩りのキリスト教的意義

宗教戦争が終わると、憑き物が落ちたように、魔女狩りは消えていきます。キリスト教同化政策による異端審問が始まりであり、マシューポプキンスの真似をする土壌があった地域で、魔女狩りが散見されます。

神聖ローマにおける30年戦争(1618-1648)の後、魔女狩りは沈静化していきました。カトリック教会の求心力を高めたいという動機で始まったものの、地域独占がなくなれば異端審問は力を失ってしまいます。
カルバン
カルヴァン(1509-1564)

カタリ派とワルド派が如何なる教義であったのか不明で、今では多くは失われています。カタリ派と同じ名前の清教徒ピューリタン・カルヴァン派、そして錬金術治具を加工した蒸気機関の揺籃地スコットランド。彼らの目指していた目的は同じです。

カトリックは持つ者の失う恐怖に覆われ、恐怖の表現形の迫害を取らざるを得ませんでしたが、その後、絶対王政と議会が争い、悪性インフレ発生とアステカ金の争奪、新大陸と戦争債務と衛生観念が発生し、病原菌を封じ込めることに成功します。
ウェーバー

 人の魂のありかは解らなくなり、最初から神によって救済者は決まっているから、生活の富を稼ぐ活動(天職beruf)に費やす方がマシ(マクスヴェーバー1864-1920)、名声、権力に向かう力を求めるべきだ(ニーチェ1844-1900)と、逆方向に振れてしまったのが現代資本主義の社会学的考察です。

魔女達は、権力や富を求めないために、権力者の恐怖の矛先に向けられ、カトリック教会によって作り出された幻想になりました。悪魔は存在しないものの、確実に、恐怖の中に存在していた歴史でした。

Rachel00
【ナビゲーター・ラケル】
ラケルはイスラエルが恋い焦がれた妻で、ユダヤ人ベニヤミン族系統の母。エレミア書の預言から、子を失う母の嘆きを象徴します。魔女狩り文書に登場することで、子を失う母親の嘆きの矛先を、当時のカトリック教会が探していた様子がうかがえます。英語圏ではレイチェルになります。

原罪とは何か

原罪は”original sin”、”προπατορικό αμάρτημα”(プロパトリコ アマルティア)、”החטא הקדמון”(ハッタートハカデモン:左右逆)と伝わりますが、これはカトリック始祖アタナシウスに由来するもので、ギリシャ語でいう「的外れ」という意味が当てられます。そのため、元々旧約聖書の教えではなく、ヘブライ語では古い教義という意味の言葉を当てています。

善悪の知識の木は、人間が善と悪を決めて裁くところに問題があって、自己中心や無謬性という意味で使われ、固定観念や決めつけによって生じる人種差別、身分制、戦争、優越感といった権力を意味し、人間が自分が正しいと信じるが故の的外れの行動を意味します。

人間が神から離れていった古い歴史の時代があり、神よりも人間の支配を信じる王権樹立を、古ユダヤでは禁止されていました。神の世界観では権力はすべて罪とされ、罪による方法によって従わせることになると暗示しています。

日本人の感覚としては、国家を罪と考える素地がありませんが、旧約聖書の世界線では、自分の感覚で罪と断じたり、地位ゆえに正しいと判断したり、金を出す者が正しいという固定観念は誤りが含まれるとしています。。

創世記とは何か

創造主が魂の表面を形成し、物質は混沌でした。
霊の焦点が集まり、光と闇ができます。
獣は6日目に産み出され、同じ日に人間が造られます。
6は人間の獣性の象徴で、聖書では全て6がついてまわります。

土の人アダムは両性具有でしたが、男女に分かれ、一体になります。
第1章と第2章は別のことで、この時点では人は存在し、7日目の出来事。
失楽園を追われてはじめて、女はエバと名付けられます(3:20)。
第2章アダムはイスラエル民族の始祖であって、全人類の始祖ではありません。
第4章のアベルとカイン、カインは地の復讐を知ります。
第5章のエノクは365歳で神に取られ消えます。偽典エノク書は天使の物語です。
第10章のニムロドはシヌアルのアッカドを統治、塔が建てられます。
シヌアルはカナンの一部となり(10:19)、アブラハムの子孫に主から与えられます(12:7)。孫ヤコブはイスラエルと名を受けて、現代まで、イスラエルの地、イスラエルの名はヘブライ人に伝わり、壮大な物語が続いていきます。

新約聖書のコペルニクス的転回

すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。
これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」(マタイ15:17~20)

新約聖書は、宗教の姿を変えました。
旧約聖書は創世の地イスラエルを受け継ぐ物語で構成され、如何に異教徒から伝承の地を守るかという物語で、半ば安全保障政策になっています。

旧約聖書ではイスラエル民族の不信仰を指摘されていますが、ユダヤ人は異教徒排斥を信仰とするものの、イエスは自分の内側に悪があるといい、ユダヤの征服者ローマを攻撃することなく、信徒に寛容と愛を求めました。ユダヤ教徒が頑張って律法を果たしても、あまりほめず、宗教家達が期待する救世主像ではないので、ユダを通じ、イエスをローマへの反逆者として処刑してしまいます。

旧約のヨシュアは異教徒を攻撃して皆殺しするなど(ヨシュア11:11)、将軍のような活躍をしますが、同じヨシュア(ヘブライ読み)でも、イスラエルびいきではない。どこが旧約聖書の救世主だと考えたのです。

伝統的宗教は、自分たちの信仰する神々が、神話の中で重要な役割を担うことに意義があって、民族の結束力を高め、安全保障政策に使われていました。しかし、愛や寛容を重視すると軍制が成り立たないため、キリスト教は国家から弾圧され、殉教者を出すこともありました。
ヨシュア

禁断の善悪の知識の木

聖書では蛇は必ずしも悪ではなく、モーセは蛇を旗に掲げ奮い立たせたり(民21:9)、アロンは杖を蛇に変えてファラオを驚かせ(出7:10)、エデンの中でも蛇は最も賢く(3:1)、女に言った言葉は正確であり、ここでは有隣目ヘビ亜目ではない、象徴的な意味が含まれています。

蛇に主が呪いをかけ、地を這うものとなると同時に、女に産みの苦しみが生じ、善悪の木により目が開け、裸で恥じることを悟らせます。蛇は鳳凰のように、天からの子どもの吉瑞を告げるものでしたが、善悪の知識の木により性は堕落し、かえって霊性を失う原因になってしまいます。口減らしとか、間引きとか、被差別者への嘲笑とか、およそ生が祝福されず、呪われた時代もありました。
善悪の知識の木

生命の木はセフィロトの木ともいわれ、人間の神経と脳の形を象徴する形状で描かれます。善悪の知識の木は、肉体的な知覚を意味し、人は感覚を通じて世界を知るようになります。男女の営みもまた「知る」という表現が使われます。

生物学的には1500万年前から700万年くらいまで、全く化石がない層があり、これをミッシングリンクと言います。物質として痕跡を残っていない時代が、アウストラロピテクス誕生までにあり、科学的に説明できないことが起きていたのかもしれません。ダーウィン突然変異説は、現代では支持されなくなり、中立進化説、中間生物から種が分岐していったという説が有力になっています。

セフィロト

有限の時のキャンバス

時間とは質量から生じ、宇宙の相転移の領域内の系に存在します。時間は有限なので、無限の永遠の中で見ると、有限宇宙は薄い紙のキャンバスのように見えます。
microwave sky Microwave Sky

時のキャンバスに描かれた絵が、あまりに美しいので、人は、その世界の住人になりたいと願い、結果として、神から離れ、過酷な生存競争の世界に落ち込んでしまいます。この神話の形をユングは元型と呼び、神話の中の魂の歴史の刻みに現れたと仮説されます。人類は、絵の世界の栄光に未練たらたらで、多くの人が、その絵の支配者になりたい願望を持っています。

愛と恵みという、主が唱える世界が本来の居場所で、寛容と愛は神の反映なので、神の国は皆の中にあるといいます。絵の中の王になったとしても、絵の外から見ると取るにたらないものなので(マタイ6:30)、快適な金持ちになってしまうと、天の国は、なくてもいいと考えるのかもしれません(マタイ19:24)。

因果律と復讐が始まる

アダムとエバの子、アベルとカインの間で殺人が起き、カインは地は復讐するよと恐怖します(4:14)。しかし、晴らしたい地の恨みは創造主によって抑止されます(4:15)。因果応報を別の人が肩代わりしていることもあります。レメクに至っては、子の刀鍛冶のトバルカインを従えて、7倍になって返ってくるなら、77倍にして返してやればいいじゃないかと言い出します(4:18)。こうして罪は広がっていきました。
カインとアベル

悪とは何でしょうか。
創造主の意図と異なるもの、自分を中心とするものです。カントによると、人間の知覚は自分を中心に置くものとします。アダムから7代目のエノクは罪に死なず神に取られ、偽典エノク書では善悪の天使が争い、堕天使は人の娘と結婚してネフィリムを産んだといいます。10代目ノアが600歳の時に大洪水が起き、皆、流されてしまいます。

創世記の水には霊という意味があるので、H2Oではなく、聖霊により地上から堕天使を連れ去ったのかもしれません。ノアの子ハムからニムロドが出て、シヌアルの地にアッカド、アッシリアを築いたといいます。シヌアルの地の塔は神に目をつけられるし、町を二つ滅ぼされるし、後世代のヨシュアに皆殺しにされたり、それはそれは、住民達はアブラハムの子孫に散々蹂躙されてしまいます。このあたり、為政者により創作された歴史書に近い性格なのかもしれません。読んでいて、心が痛い。
エリコの闘い

神って何だろう

YHWH、自らを存在させる者。英語でいう"be"。
アッラー、これは神という意味らしい。

日本語の神は霊魂のことで、死んで神になる、死神は鬼といいます。創造主という概念がないので、神は全く異なる概念です。

人間は自分から存在させることができず、無から生まれ、無に帰します。人間には、どこから来て、どこへいくのか、わからない(ヨハネ3:8)。

モーセが蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない(ヨハネ3:14)。堕落させるものとなった蛇の霊性は、生の誕生が高貴なものとなり、本来、人がエデンにいた頃に戻っていき、その時に理解できるようです(3:5)。こうして、信じる者が永遠の命を得る。

人の子を信じない者とは何か。
文理的には、生の価値を汚し、堕落を旨とする者、イエスは死んだ自分の罪を、十字架にかけられた罪に、また自分から戻らないよう教える。そして、そこから道を前進していくことになる。創造主は、誰一人滅びることを欲していない(ヨハネ3:16)

 今週は日本人になじみは薄いですが、イースター週。先週が受難週でした。キリスト教倫理を簡潔に言うと「善を行った結果の理不尽な不遇を受け入れる」です。
イースター


 普通に救世主と聞くと、輝く栄光のイメージ、人によってはケンシロウをイメージする人もいますが、実際には、十字架の惨めな死こそがイエスの救世主の姿です。とても辛そうで、かっこ悪く、不名誉な死を受け入ているのですが、すべてを忍耐し通した強さがイエスであり、その復活が福音です。

 普段、付き従っていたペテロは、受難後に三度イエスを否定しましたが、最終的に「主の忍耐が答えである」と気づくまで、長い時間を要しました。これを手紙に書くのが紀元60年代でした。

 救世主が苦痛と不名誉な死を受けた忍耐に救いがあることは、直感的には理解できないことをペテロが示し、同時に、重要な点であることを意味しています。
十字架


無責任な終末論という信仰

 原罪による死や終末は、ソドムとゴモラの火のような、一瞬で、何も感じずに意識が消滅するイメージがあります。それが真実なら、ノアの洪水的に押し流され、全員が苦しまずに死ぬ方が楽です。

 その場合、イエスの十字架は必要なく、天の12軍団を遣わせてローマ軍を打ち破って終わっていたと思いますが、神ご自身が、独り子の死と比べても、人が死とともに消えて終わることに納得していませんでした。

 人は豚飼いの使用人に落ちぶれ、豚餌のイナゴ豆で空腹をしのぎ、異国で朽ち果てて死ぬところまで落ちぶれていました(ルカ15:24)。人類が時が来て消滅することに耐えられなかったのです。

豚飼い

 このまま朽ちさせてなるものか!という神の意志の聖霊が、蛇の頭を砕く者として生まれ、十字架上で朽ち(なぜ神よ見捨てたのかと叫び、死に服従することの意味がわかる)、その死の克服により、唯一の神と再会する経路となったことがキリストの福音です。

 その結果、人が水(創世記の原始の神の魂のこと)と霊により、生まれる道ができたという福音が現実になります(ヨハネ3:5-16)


火の試練は金より尊い明けの明星

 とはいうものの、火の試練は金より尊い(1:7)、皇帝の遣わす総督に服従せよ(2:14)、無慈悲であろうと主人を敬い仕えよ(2:18)、侮辱に対して祝福を与えよ(3:9)、義のために苦しみを受け入れることは幸い(3:14)と、ペテロは辛気臭いことを求めます。

 イエスに近いところにいたペテロは、服従と忍耐が神の性質だと薄々感じていたようで、身にかかる火のような試練は喜べ(4:13)、高慢は、悪魔が吠え猛る獅子のように食い尽くそうとする(5:8)と教えるようになります。ペテロは「下がれサタン」(ルカ16:23)と言われてますよね。

 十字架で死を克服したんだから、楽に生きさせてくれよと考えそうですが、苦難というのは人間の視点であって、その暗闇の中に、預言として明けの明星が示され(Ⅱ1:19)、人を導くプロセスが与えられる機会でもあります。人間は満たされていると、導かれる道を探そうとしないので、夜にならないと、明けの明星を探すことはできません。これは人間の怠惰な性格上、仕方ないのでしょう。
明けの明星


ご利益は偽預言者である

 日本人の考える宗教は、困ったときに助けてくれるのが神で、超常的な力で助けたり、布切れに顔を書いて雨を降らせてくれたり、たまに厄を除けてくれる神様もいます。しかし、キリスト教では、神が信じた者を助けるという気休めは、偽預言者による大言壮語として扱われます(Ⅱ2:18)。

 ご利益を期待する心は「信じるのだから何かメリットが欲しい」という、人間の思い込みが作るもので、現代に至るまでの思想家は、宗教は人間が作ったと批評しています。超常的ご利益は、人が作り出す幻想にすぎません。

 ペテロは、人間の勝手なご利益を偽預言者というくらいだから、本当の預言者が別に存在しているのですが、苦難を進む時に明けの明星を預言として(Ⅱ1:21)、苦難に預言を受けたものが預言者です。

偽預言者
偽預言者の風刺絵。幸福が最重要で、あなたには神の愛を受ける価値があるという。
https://quotesgram.com/img/bible-quotes-about-false-prophet/13567998/


服従と行政機能

 服従ったって、何でこんなブラック企業で、あんな奴に服従しなければいけないんだ!と思うし、仮に、不良から5円玉渡されて、あんパン買ってこいと言われたら、絶望的な気分になってしまいます。上司に言われて粉飾決算作れと言われたら、従わないといけないんかいな!と思いますね。

 服従は盲従ではなく、本来は契約を履行するという意味なので、決められた仕事はキッチリして、問題を受け止めて、より正しく解決に結びつけようとすることが本来の服従です。企業は地域に従い、国に従い、経済原理に従うから、大企業になるのであって、国や社会に反対立場を取ったり、経済性に反したら、企業は破綻してしまいます。バブル後に粉飾決算したところは、上司に盲従した社員がいて、最終的に破綻していますが、これはキリスト教の服従ではありません。

 ドイツやイタリアなどのキリスト教国では、市庁舎と教会が隣接していたり、一体化していることがありますが、西ローマの衰退とともに、文字を読める聖職者がいた教会が行政機能を持ち始め、教職者養成学校が官吏養成学校を兼ねるようになったものです。法への服従は行政そのものであり、それが社会を高度にする役割を持ち、欧州の国では、キリスト教なしに国家が成立しなくなってしまいます。

ミュンヘン
隣接するミュンヘン市庁舎と聖ペテロ教会
https://www.introducingmunich.com/st-peters-church


 日本や中国でも行政が発達しましたが、これは儒教・論語の徳への服従を教えているからで、仁を行うに師匠に譲るな(衛霊公第15)とも言ってます。理不尽な君主に意見を通して殺された子路は、孔子のお気に入り高弟であるように、盲従が服従を意味しない様子が見られます。
子路
https://www.163.com/dy/article/G1CUDN5O0532JHTM.html

だから都合良い話は間違いだって...

 イエスは奇跡をたくさん起こしましたが、悪い時代はしるしを求めるが、ヨナのしるししか起きないと言いいます(マタイ12:39)。殉教者の時代には起きたかもしれませんが、少なくとも、イエスによる復活以外に、誰から見ても明らかな奇跡が起こることはありません。

 日本人が考える権力と富は、豊臣秀吉が最高に極めましたが、彼は自らを露と夢にたとえるなど、刹那的なはかないものだと辞世の句にしたためています。徳川家康は、重い荷を持って行くのが人生だというように、欲望の果てに理想がなく、苦難続きの結果の天下であったことがうかがえます。
 
 ペテロの手紙では、主の忍耐深さが救い(Ⅱ3:15)であり、パウロが書いた手紙が言いたいことは、ここだとペテロは追記しています。お金持ちで、裕福な人ならば、だったら自分でお金出して解決する方が楽だと言うことでしょう。この世界ではお金以上に都合よく希望を叶えるものはないので、主の忍耐深さに対して、過小評価をするようになり、結果的に天国から離れることになってしまいます。

ヨハネ黙示録を、旧約の用語を参照し、原文に沿って解釈しました。
証しは、信仰経験を教会の場で共有することで、旧約の表現を引用し聖書の真実をヨハネは説きます。物騒な戦争の予言ではなく、教会で普通に説明される、信徒の経験として通用する書簡です。

今回は旧約視点のアーイシャがナビゲート。ヨハネ黙示録は、アーイシャの生き方が沿ってるでな。

3分で解説
ヨハネ黙示録で使われる用語と象徴は、旧約聖書と同じ使い方です(ヨハネ書2:7)。ヨハネは自分の中の敵意を闇とし(同2:9)、敵意と戦ってきた自分の経験を、信徒に証ししています。

これに対し、ヨハネは主を伴って向き合い、神の怒りにより悪意が砕かれます。主の通った道は、信徒ならば必ず通るので、臆せず必ず進めと激励します。人生は順風満帆ではなく、苦悩と失意を伴います。

全体を通じて、主の敵は大バビロンと諡(おくりな)されます。
ヒゼキヤ王が見せびらかした財宝は、バビロンに収奪されると、預言者イザヤを通じて警告し、捕囚後に滅びるとされた、壮麗を極めた国です。信徒も同様、世界の富と権力の歪みに遭遇し、酔いしれた者は神に一掃され、苦しめられる信徒は忍耐と信仰をもって生きるよう伝えています。

財産や権力があれば、神は不要であると考える者達が、信徒たちを苦しめる者として立ちはだかるため、信仰を保って進み続けたヨハネが、与えられた経験を証しする書簡です。結局、ヨハネを助けたのは、主への信仰と主の応答でした。

ヨハネ黙示録が書かれた背景(執筆環境・第1章)

ヨハネ黙示録は戦争に見えるけど、ヨハネの人生は、このように苦闘続きなのだ。

ヨハネ黙示録は、殺伐とした内容から、現代人は未来の予言と考え、戦争を当てはめた独自解釈を生みます。しかし、
  1. この預言を朗読して守る人は幸い
  2. 主と共に苦難、支配、忍耐に置かれ、パトモス島へ送られた
  3. 自分が見たすべてを証しする
と冒頭にあるので、これは信徒が守るべき規範、教会の証しを目的として書かれているのであって、主とともに歩み天に至ったという記録として書かれたものです。

黙示録は Revelation、Ἀποκάλυψις(アポカリプス)というように、ベールを取った神の啓示預言書(1:3)として、今の信徒にも通じる、普遍的メッセージです。黙示録が書かれたのは、紀元90年頃のドミティアヌス帝(51-96)によるキリスト教迫害期の、ヨハネが小アジアのパトモス島に幽閉された頃(ヨハネ伝21:18)でした。

ヨハネの手紙では、兄弟を憎む者は人殺し(Ⅰヨハネ3:15)、離反者が反キリスト(同2:18-26/あるいは主がイエスとして来られたことを認めない者)、自分の罪は悪魔(同1:8、3:8)というように、ヨハネは自分の罪を最大の敵と考えています。したがって、黙示録の悪い生き物は、自分の罪の形であって、他人を非難して溜飲を下げているわけではありません。また、信仰深い者、柔和な者、謙虚な者が苦しむ姿はありません。

ヨハネ幽閉の政治的背景(ネロ帝による迫害への疑問)

歴史家タキトゥス(55-120)の年代記では(117)、ネロ帝(37-68)がキリストの敵として、キリスト教徒にローマ大火の責任をなすりつけたと記述しています。

ユダヤ人歴史家ヨセフス(37-100頃)の記述では、ネロ帝はキリスト教と良好な関係なので、ドミティアヌス帝(51-96)を嫌悪したタキトゥスが、ついネロ帝に悪口を混ぜてしまった可能性があります。

ユダヤ戦争(66-73)は、ユダヤ人祭司達は金銭を誇り、ギリシャ人住民の反感を招いたことで、神が離れたとヨセフスは記しています。その後、ヴェスパシアヌス帝(9-79)のユダヤ戦争によって、ユダヤ系住民は故郷を失ってしまいます。

皇帝ネロ説は、英語版Wikiによくまとめられ、1830年代以降の言説といいます。

patomos

特徴的な象徴

ヨハネ黙示録は、旧約を知恵とし、旧約の知恵と理解を持つ者に伝えるものだよ。

  •  
イゼベル(2:20)、太陽をまとった女(12:1)、みだらな女(17:2)、七つの丘に座す女(17:3)、小羊の花嫁(19:7)と、多くの女性が登場しますが、男性は、王になって罪をもみ消せたり(Ⅱサム12:9)、ヨシュアのように敵を掃討しているなど、女性に求められた倫理の方が適しています。また、女性は子供を出産するので、肉体が生み出す結果を、子供として表現しています。 

山羊 羊
 羊と山羊が聖書には象徴として登場します。角が上に向く山羊は神への反逆(罪)、羊は角が下に向いているので従順を意味します。
  •  名、命の書
一人一人は名前によって識別され、神から見た個人の役割が名(ゼカ6:12)、その集合が命の書です。
  •  燭台、光
直感的に示すように、神の力の発現する点です(イザヤ62:1)。契約の箱には、七個の燭台があり、光により道が導かれます(出25:37)
国章
  •   七つの目
神の力が完全に及んでいる状態です(ゼカリヤ3:9)。プロビデンスの目と用法は同じです。
  •  衣
人は行動に合わせて衣を変えます(創35:2)。
衣は行動そのもので、清い衣は清い行動を、祝宴の場には適切な服があります。小羊の婚礼の時に、適切な行動を取らずに、好き勝手に生きていると、婚礼の場から追い出されてしまいます(マタイ22:11)
  •  星
星は役割、運命(マタイ2:2)、統治者(創1:16、民24:17)を示すときに使います。星には名があるので、天での役割を持っています(詩147:4)
  •  水と天
創世記の最初、神の霊が水の面を動いていたとあるように(創1:2)、水は霊を暗示しています。水を上下に分けて、大空を天とし(創1:7)、神が天から御使いを送るようになるところから、神は天にいると推測されるようになります。上空や水は霊を表し、更に高い場所ほど神に近付きます。
天地
 
ギリシャ語で書かれた黙示録(第2章)

原語のギリシャ語から、地名と意味をかけて、信仰の箴言と励ましたと思われる。その部分だけ教会に送ったわけではないのじゃ。

パトモス島でヨハネが出会った御使いの描写は、炎が出たり、大水がとどろいたり、かなり物々しいですが、いずれも威圧感の比喩です。

教会の天使のエフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアは、ギリシャ語コイネーにおいて、願い、苦難、塔、犠牲、喜びの王子、兄弟愛、民の裁きという意味があります。

このメッセージを、ギリシャ語の意味のとおり、イエスの使い(22:16)がヨハネに告げ、信徒達に対して、備えるべきことを記しました。
Verse By Verse Ministry International
※ オンライン上の教会サイトにおける七教会の意味を解釈する例。比較的英語圏で見られる考え方。

真鍮

教会の天使にあてた手紙を解釈する(第2章~第3章)

ヨハネが自分について述べていると感じるときは、道がそこにある。イエスの求める倫理は不可能なくらい厳しい。ゆえに聖霊を下さいと祈り進むのじゃ。

七つの燭台
主の御使いは、教会の天使に書簡を書くようヨハネに伝えますが、現代的には、以下のようになります。
  • エフェソの教会の天使(願い)右手に七つの星を持つ方から
 願いのために労苦と忍耐をいとわず、都合良い解釈をする者を見分けて、忍耐を選び続けたことは知っている。しかし今は、初心の愛を忘れて慢心している。自分を振り返り、悔い改めねば、願いへの神の力は及ばなくなる。願いの成就(ニコライ:民の勝利)を最重要視しなかったことは良い点だ。願いは神の御心を行うなかで現実になるものだ(命の木は、エデンの園で神が与えた木)。

  • スミルナの教会の天使(苦難)一度死んだがまた生きた方から
 スミルナ(Smyrna:Σμύρνη)は死を意味する没薬です。文理上、ここでは苦難・貧困のようです。
 苦難には豊かさが隠されており、苦難を神から見放されたと非難する者もいるが、そう非難する者は神の約束を伝える者ではなく(救いはユダヤ人から来る/ヨハネ4:22)、罪に由来する短慮である。悪魔の試みによって、迫害や試練に遭う者もいるが、死に至るまで神に忠実であった者には復活の栄光が与えられる。苦難でも信仰を保てば、火と硫黄の裁きを受けることはない。

  • ペルガモンの教会の天使(塔・戦い、結婚)鋭い両刃の剣を持つ方から
 戦いの優越感(塔)は人の罪が支配している。有力な殉教者(アンティパスはアレクサンダー大王の筆頭の将)が処刑されたときも、臆せず信仰を保てたようだ。バラムの教えのように(民数記のバラムは、ペテロⅡ2:15では、異教の利益を求めた預言者とされる)、戦いに勝利することを優先する者がいるが、私がねじ伏せることになろう。戦いを堪え忍んだとき、清らかな信仰を手にし、生活に必要なものも与えられよう。信仰には本人のみが理解する、神からの役割が与えられている。

  • ティアティラの教会の天使(犠牲)目は燃える炎、足は真鍮のように輝く方から
愛、信仰、奉仕、忍耐を行い、成長させているが、不信仰の行いにも迎合すべきでない(バアル神に仕えたイゼベルを暗示。バアル神は人身供養が有名)。しかし不信仰者の計画はとん挫し、その生み出す行動は、長続きせず実ることがない。主の日まで信仰を保つ者よ、あなたは大きな負担は必要ない。大きな裁きのとき指導者として役割を果たし、規範となり、聖霊(明けの明星)が道を示そうう。

  • サルディスの教会の天使(喜びの王子)神の七つの霊と七つの星とを持つ方から
本来の喜びではなく、永遠の喜びを放棄してしまっている。同じように、本来の喜びを放棄しようとしている者達を励まして、主の教会を永遠の喜びで満たせ。
主の言葉の受け止めたことを思いだし、守り抜き、悔い改めよ。注意していなければ、主の裁きの日に気づかないだろう。
しかし、正しい喜びを抱く者が主とともに正しい行動を行うようになる。そして、神の目にとまり、神と天使にも行いが伝えられる。

  • フィラデルフィアの教会の天使(兄弟愛)ダビデの鍵を持つ方から
 教会名のフィラデルフィアは、ヨハネが一番重視した徳目です。
 あなたには失われることがない力がある。神の愛が及んでいることが、広く知られることになり、内心では神に仕えていない者を従わせることができるだろう。試練あるときは信徒を守り、試練に打ち勝つ者には聖霊が宿り、神から離れることはない。そして、新たな役割が与えられるであろう。

  • ラオディキアの教会の天使(民の裁き)神に創造された万物の源である方から
 今まで安定を求めて活動が乏しかったようだが、そのため、神から与える恵みも試練も持っていない。火の試練により純粋な価値ある経験を買い、清い行いにより自分を表現し、よく主を見通せるように学び求めよ。愛する者に叱ったり鍛えたりするから、熱心に求めよ。聖霊の声を受け入れて、神の与えるものを、主が共に経験する。試練に打ち勝った者は、主の御座に、共に座すだろう。

ラオディキア教会には、価値ある物として、金、白い服、目に塗る薬を示しています。火に耐えるものは、火を通すと清くなる(民1:23)ことから、試練に耐える経験、白い服は清い行動、目が見えるための目薬は、信仰と主の道(マルコ10:52、ルカ18:43、ヨハネ9:39)を示します。
 
7封印


天上の礼拝と巻物の封印(第4章から第8章)

さて、ここから天へ向かって歩く。
同伴の小羊、ヨハネにはイエス、アーイシャにはムハンマド様・・・いや、みんな一緒がいい。

天上の門は、ヨハネには開かれています。
エゼキエル書のような主の玉座があり、24人の長老と四つの生命がいます。玉座の周囲の24の座は最高法院の構成員でユダヤ教の意思決定機関です。

おそらく天への門は見つけにくく、大きく見える門は物質依存度が高く、どのか別の物質に至るだけなので、探し求め、金の力に頼らず、探し歩き、ヨハネが求め続けた門です。

四つの生命は黒い騎士の箇所と、獣の名の数との戦いに出てくるので、最高法院の衛兵のような位置づけのようです。エゼキエル書の4つの生き物とは、雄牛の顔の生き物だけ、ケルビムの顔と違っています(エゼキエル10:14)。

長老はヨハネへ説明者、四つの生命は世界に影響を与える力。屠られた小羊の七つの目は七つの教会の天使であり、キリストがヨハネに伴っているので、巻物を開くことができ、いずれも主が共に経験しています。

24長老

苦難にあって、罪が自分に苦痛を招くと、ヨハネはイエスを見て実感していた。聖霊の助けなく進めない運命に遭遇したら、信徒は感謝すべきなのだ。

【小羊の巻物】
小羊の巻物は、七つの教会の天使に送られた書簡と一致し、実現すべき事項を示しています。巻物の実現はエレミヤ25:13の用例です。
実った経験を「食べる」という表現で示しています。これらの預言を経験するにあたっては、主との共に行わないと解決できません(5:4-5)

ここでは教会の天使に送った手紙と対となる表現があり、また、スミルナとペルガモンの順番が逆になっています。剣、衣などの共通する道具があり、教会の天使の手紙の結果が表面化し、第五の白い衣、第六の刻印が判別、第七の裁きという流れができています。ここでは白い衣、種族の刻印が神視点の善を示しています。

● 第一の封印 白い馬 願い 願いを叶えたいと考えていた
● 第二の封印 赤い馬 戦い 戦いが用意されていた
● 第三の封印 黒い馬 苦難 量が計られて決まっている
● 第四の封印 青白い馬 犠牲 戦いと飢えが定められている
● 第五の封印 聖徒の魂 失意 多くの理不尽な結果があった
● 第六の封印 大地震 兄弟愛 神から与えられた軍団が用意された
● 第七の封印 香炉の天使の始まり 民の裁き ヨハネへの主の裁きを経験する。半時間ほどの静寂。

4騎士
ここに登場する馬は、不品行に対して、神が直面させる戦い(エゼキエル23:23、同26:7)のことで、原因となる神への反逆の報いを受けることになります。

七人の香炉の天使(第8章から第11章)

人が神の前に立つとき、不信仰や罪が裁かれて、苦難で信仰のみ装う。生活の礼拝の有無によらず、常に人は神の前にいることを忘れずにな。

香炉は「目に見えない主の御前」に立つときに使うもので(民16:17)、主がそこにいることを示しています。七番目のラオディキアの天使は、主が一緒に経験し、それが鍛錬であると教会の天使に伝えられました。

● 第一の天使 地上の1/3が炎上、木々と青草も焼ける-肉体上の苦難が起きる
● 第二の天使 海の1/3が血に変わる-感情をかき乱される
● 第三の天使 大きな星が水源に落ちる-辛い運命を経験する
● 第四の天使 太陽、月、星の1/3が消失-先行きの見えない不安、失意
● 第五の天使 底なしの淵から煙りが上りイナゴが出る(創15:17)-不信仰の自責の念、契約の成就 第一の災い

● 第六の天使 第二の災い
口に甘く腹に苦い巻物は、説明する分にはいい話でも、実際に経験すると結構きついです。蜂蜜が入っているわけではありません。試練の期間は、42月間の他者から攻撃されます。

二人の証人による証は、自分と主による過去の行動の歴史(ヨシュア24:22)。オリーブの木は主の力です(ゼカ4:3、4:14)

ヨハネの罪に対して十字架を象徴する出来事が起き、三日半後に復活します。ここで小羊が支えになります。

●苦よもぎ黙8:11JR8:11(第三の天使)
wormwoodは蛇が通った後に生えた木のことで、かなり苦いハーブのキク科ヨモギ属の植物の総称です。創世記の蛇の通り道に生えた木という伝承もあり、人の罪に由来する辛い経験を暗示します。

ラッパの天使

第五の天使のラッパが吹かれると、煙により周囲が暗くなりますが、バビロン捕囚時の預言と同じ事象が起き(創15:17)、苦痛に支配されます。いなごには毒があり、知恵と後悔の情を備え、強い力で引いて行かれます。これが第一の災厄。

第六の天使のラッパは二つ目の試練の火の精錬で、耐えて不純物を燃やすことで、清めて洗練されます。しかし、それでも罪が浄化されるに至らず、今後起きる預言(巻物)は残っています。そこで起きることは神の計画であり、ヨハネの理解を越えています。

第七の香炉の天使による裁き 女と竜及び獣の名の数字(第11章から第13章)

獣の名の数字の刻印は、人の交易を止める権力がある。人間は獣と同じく、6日目に神に似せて造られた。獣とは、神に似ていない人間の性質の総称。

  • 第七の天使 女と竜のしるしと獣のしるし
 女と赤古竜(創3:15)が、天に対として現れます。

女のしるし

女は男の子を産み、男の子は天に引き上げられ(創17:16:アブラハムの子ら)、竜は地に落とされて獣に力を与えます。女と竜は神の御座にあり、二頭体制で支配・対立します。
そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。こに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である(13:17-18)。

金がなければ、権力がなければ、何もできないのか?預言者達は、どちらも持たずとも聖霊が可能にした。ユダヤ人達は、金と権力に頼り、300年後、バビロンに捕囚される未来に進む。

名とは神から見た役割であり(ゼカリヤ6:12)、獣の名の数字はヨハネの不信仰、権力による恐怖に従う力であり、固有名詞ではありません。人は六日目に造られた獣のため(創1:31)、支配の権能により(同1:28)生活を奪う者が現れます。少なくとも、ユダヤ人達はサウル期(BC1100頃)に王権がないと諸外国に対抗できないと考え、ソロモン期(BC1000-900頃)にピークを迎えます。

獣の名の数字である666の刻印は、唯一、旧約聖書ではソロモン王の年収666キカルで使われ、歳入が666キカルに達したとき、異国の妻をめとり、異教を入れて主から離れています。またマナセ王期(BC687-642)に主を激おこにし(列23:26)、バビロン捕囚を招きます。

角のある獣はダニエル書(ダニ7:7)とゼカリヤ書(ゼカ2:1-4)のとおり、エルサレムに敵対する者を象徴します。バビロニアは、メディア、リディア、エジプト、新バビロニアの四つの顔の王国です。

獣の名の数字に勝利、小羊の花嫁の婚礼(第14章から第19章)

ようやく獣の名の数字は倒れる。144000人はヨハネが経験したことのない、霊の賜の新しい勝利の経験。ヨハネは富に恐怖し、あるいは酔いしれ、そして小羊に比べたら、富は無価値だと感じるようになる。

イスラエルに契約の地を与える主の約束として、歌が与えられました(申31:21)。また、七人の天使たちが獣の名の数字に勝利して、モーセと小羊の歌(出15:1)で賛美します。

焼かれる淫婦

ハルマゲドン(16:16)はメギドの山という意味で、ヨシュアが主の命によって占領した死海付近の土地です(ヨシュア12:21)。また、エジプト王ネコ経由で、ユダ王国ヨシヤ王へ滅亡宣告が下され、ギリシャ異教化したユダヤ人は、再びユダヤ戦争で国を追われます。

標高の高さは霊的性格を示し、蛙は水と地の両生類で霊と肉体に棲む者で、天のエリアで、天使と汚れた霊の戦いがあります。

エルサレム周辺には丘があり、イスラエルの家の者が、丘の上では異教のいけにえをささげ(エゼ20:28)、エルサレムを見下ろしていました。そこでは神殿娼婦がいて、悟りのない民が滅びる場所(ホセア4:13)。そして預言者が殺された場所です(エレ26:18)。

エルサレム
女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。(17:4-5)。
大淫婦とは不信仰状態のイスラエル人のことで(エゼ16:30)、一時期栄え、栄光に満ちたために、天を突く角の傲慢を持ち、地位高い者、富に囚われ、身分制を作り出します。
大淫婦
敵の大バビロン(14:8)はエルサレムを支配し、イスラエル人を奴隷として自国に連れ去ります。一つには、ヨハネは富に囚われていた悔恨を持ち、一つには、ヨハネはローマ迫害による捕囚(BC597)期があります。そして、信徒は必ずこのように感じる時があるので、富や権力に酔いしれてはいけないのです。

如何に主の道から離れてしまったのかと、ヨハネは悔い改めます。自分のことだから、ヨハネは気兼ねせず糾弾し、ヨハネの中ではバビロンは消え失せます。

ヨハネの神の御国において主の婚礼が開かれ、花嫁は輝く清い麻の衣を着ます。衣は人の行動のことで、聖なる正しい行いをするときが来ます。人が聖霊の伴侶として、赦されて神の前にたちます。その行動にはすべて信仰から外れることがなく、神の与える力であることを理解しています。

千年王国と新エルサレム(第20章~22章)

竜を縛った天使が現れ、裁きが行われます。

命の書は、神の裁きの記録であり(マタイ7:19)、神の御旨を行うことを求めています(マタイ7:21)。第二の死というのは、一度死んで、復活の後にある死ですが、いわゆる日本語的な地獄のことです。

神殿は神の霊が宿る人間の肉体のことで、ヨハネが見た都は地上の世界とは異なり、太陽がありません。汚れ、忌むべきこと、偽りがなく、非常に恵みに満ちた世界です。  
 新しい天と地

 
再臨(第22章)

いずれ、唯一の神の下でエルサレムで会おうな。
アーイシャはムハンマド様を伴って待ってるぞ。

ヨハネ黙示録の重要な箇所、再臨。
ヨハネ黙示録を作成した紀元1世紀時点で、再臨が近いとされ(22:10)、ヨハネの生きているうちに、急いで記録された時間感覚のため、本当はすでに起きていて、戸口に立って叩いているが(3:20)、本人が気づいていないのかもしれません。

試練のときには、主が共にいるのだと感じながら、ヨハネ黙示録で求められる神の御旨を行うよう心がければ、盗人のように、入られた後で気づくということもないでしょう。

この書物の言葉を明らかにし、預言の言葉を守るよう、ヨハネは求めていますが、屠られたような小羊によって開く封印によって始まる試練によって、火で洗練された金、白い衣、目に塗る薬を求めていく覚悟が必要です。

勝手に「あんた、地獄へ落ちるわよ」と言ったり、天国への通行料を徴収したら、その分、そう言った人から祝福は取り去られてしまいます。神は額面通り与えると約束されました。
 戸口
ここでは、あえてイスラム教アーイシャを採用しています。すべての人間に神の霊が宿り、信仰は脳記憶と異なる、神の霊を宿しています。ユダヤ人はバビロン捕囚以降に世界宗教の性格を持ち、異教徒によって神の性格を知ったので、宗教法人キリスト教に固執することなく、あえて教えを乞う必要はありませんが、宗教上の敵から教えられることもあります。元々、マリアを採用予定でしたが、あえて宗教を別にしました。


アーイシャ立ち絵
【ナビゲーター アーイシャ(イメージ)】(CHARAT様に感謝
ムハンマドの幼妻。記憶力と知恵に優れ、ムハンマドが片時も離さなかった最愛の妻。
後にスンニ派形成に尽力。貧困をものともせず、ムハンマドへの純愛を貫く。
絵画では常にベールで顔が隠される。
sophie100
【ソフィーさんの独り言】
人生が辛いとき、ヨハネ黙示録を何度も読み返して、色々な文献を調べました。
まとめたものが、このページです。
それと、ムハンマドの奥様のアーイシャは、困窮と戦いの最中もムハンマドに常に従い、困窮の生活を生涯愛おしく思い続けました。素敵な生き方だなと思って、ついキャラクターとして採用しました。

サタン「(ヨブは)利益もないのに神を敬わない」に対するヨブの信仰の物語です。三人の友人の「神と和解し戒めを受け入れれば神は守る」は誤りで、ヨブは「人の子による永遠の生命を、この塵にいただき感謝する」に到達します。

理不尽に辛くなると、なぜ、神様は不必要に試練を与えるのだ!と怒りたくなります。エリフは、罪人であることを認めて賢く静かに信じて待てと問うていますが、教会では、これを解として解説します。

ヨブ記は神の視点が加わっていて、神と人間の間に、憎むべき罪科があり、その間を渡るためには、理不尽な苦難の道を通ることになります。新約の時代は、無垢なるイエスの十字架によって、その隔てがなくなり、人類には倍の恵みが与えられました。三人の友人に従うと、事態が変わらなければ、神はいないと言って、棄教してしまいます。

人の子は、ヨブのように理不尽な仕打ちを受けるという、預言書の性格があります。

勇者ヒンメルイエス様なら、そうしたってことだよ。

公式サイト様の画像から(たまたま使ってみたら結構意味深い)
サタンってナニモノ?
旧約聖書では、歴代史、ヨブ記、ゼカリヤ書の3つのみ登場します。
福音書では、信仰なき者をふるいにかける権利が与えられ(ルカ22:31)、天から落ち(ルカ1:18)地上で災厄のを起こす者(1:12)とされます。ユダの中に入り(ルカ22:3)、十字架刑に導く悪を行います。ヨブ記では、地上を巡回し(1:7)て、ヨブの様子をよく観察しています(1:10)。


難解の書の理解

「なぜ罪なきヨブが災難に遭うの?」という疑問に、答えが返ってこないのでモヤモヤしてしまいますね。

義人ヨブが神の試練に遭難し、三人の友人とエリフとの主張の後、嵐の中から出現した神がヨブに対し、
  • 創造について知っていることを言ってみろ(38:4)
  • 創造から今まで、お前は生きて知っているというのか(38:21)
と、逆ギレとも取れるレトリックで返し、なぜか突然、ヨブが敗北宣言を出してしまいます(42:6)。なお、神の追求がヨハネ福音書の伏線になっています。

ヨブ記


「なぜ無垢の民に対し、神が苦難に遭わせるのだ」
「サタンの挑発に乗って、それでも神か、ひでぇ」

と読者が思いながら読み、説明なしにヨブが納得するため、しっくりきません。

しっくりこなさに対して、神の偉大さは説明の必要がない、ヨブの前に神が姿を現した信仰という解釈が多いのですが、ヨブは神と親しい交わりがあり(29:4)、ずっとヨブは神の正しさを確信し、三人の指摘に異論を唱えています。

この世界には不遇があり、いずれ人の子が、人と神の隔てを解決するとヨブは説きます。
  • わたしを贖う方は生きておられ/~/わたしは神を仰ぎ見る」(19:25~26)
  • わたしの歩みが道を外れ(たこと)は、決してない。(31:6)
  • これらのことを知っているはずだ。(38:21)
  • 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネ1~2)

神とともにいた贖い主が、理不尽に、人類の罪を背負うというヨブへの預言が本来であり、また、災厄はサタンのもので、ヨブを神は信頼している点に注意です。

アウラサタンの服従の天秤、魂が傾いた方に従わさせる術だ。アウラが500年の間、勝ち続けたのは、アウラの災厄が人類に神を呪わせた(不満吐露)からだ。あるいは、保身により災厄との和解をヨブが求めれば、アウラは半永久的にヨブを従わせる。

ヨブの改心
38章で嵐の中から主が答え、わたしに答えよと問いかけをします。
(sound only)
天地創造時に、ヨブはどこにいたか。朝に命令したか。

ヨブは反論できない。告訴は(31:35)、もう繰り返さないという。

ヨブは善でも、主には罪(40:8)がなく、災厄に文句言いません。
ヨブは、不遇を通じて人の子の救済を知り、主は正しい方だと痛感します。

なお、エリファズの「神と和解すれば、災厄を神が退ける」(22:23)は「神は災厄から守るからヨブは信じる」(サタン 1:11)のトートロジーになっています。

災厄から守られているから、ヨブが神を信仰することを示せばサタンの勝ちです。苦難にある無垢の民の信仰が、何に根ざすかを考える必要があります。

信仰は、探し求めている時が、一番正しいんだよ。命じられる義に、自分の信念なんて入ってなかっただろ?

三人の友人とヨブの議論の要約

「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。」とサタンが神を挑発すると、ヨブの所有物は好きにしていい(1:12)、しかし命を奪うなと(2:6)、過酷さが増していき、持ち物、健康と、ヨブに深刻な災厄が降り注ぐようになります。さっきまで奥様の前でも健気だったヨブですが、三人の友人の前では、もう、生まれたくなかったよと、激おこプンプン丸になっています。別人?

驚いたね。律法では、罪人には死のみだが、悪人が栄え、無垢の民が苦しむ、魔族が人類を支配する世界を、神が送り込む人の子が打ち砕くと考えてる。
「レヴィヤタンの天秤」はヨブの罪による死、これを超えた神の赦しを、唯一人、ヨブが見抜いてた


03三人

士師(さばきつかさ)にとって、神は不信仰者を見逃すザルだと困ってしまいます。以後簡単に流します。

<ヨブ><エリファズ> ヨブをエリファズが励ます
<ヨブ><ビルダド> ヨブがエリファズの提案に疑問を呈するが、ビルダドがたしなめる。
<ヨブ><ツォファル> ツォファルは「悪人はこうだ」とヨブを脅す
<ヨブ><エリファズ> エリファズは罪悪が原因だと強弁する
<ヨブ><ビルダド> 不信仰と不遇は関係ないとヨブは言う。ビルダドはヨブを否定
<ヨブ><ツォファル> ツォフォルは、自分の正義のために我らを批判するなと不快呈示
<ヨブ><エリファズ> 不遇な無垢の民の話を聞けとヨブは主張。エリファズは隠れて悪いことをしていたと疑う
<ヨブ><ビルダド> 神の判断を疑うなとビルダドが反論。
<ヨブ> 今の不遇に見合う罪ないと主張。

人類の罪は人の子の罪として担ったので、ヨブを責めると、贖い主を責めることになります。神は人の罪を責めないので、神に逆らったから、逆境にあるわけではありません。

<エリフ:ユダヤ神学者の伝統的見解>
神に判断の誤りはない。
神に無垢であると主張することはできない
神は正しく偽りを聞かず、知恵に満ちている
反逆者を確実に諭すはずである。

<神からヨブへ語りかけ>
神の創造した様子を知っているか
ベヘモット、レビヤタンにも勝てると思っているのか。
私の裁定を批判し、自分が正しいと主張するのか

<ヨブ>
神の御業を批判できず、変えられるものではないと悟り、自分を退け悔い改める。

<神からエリファズへ語りかけ>
なぜヨブのように正しく語らなかったのか。
ヨブに謝れば、それを受け入れ、祈るだろう。
(ヨブの資産が、以前の2倍になる)

<神のヨブとエリファズへの指摘の整理>
神はヨブをたしなめます。
神はエリファズには、ヨブは正しい、お前は罰則を受ける程の間違いを主張したといいます。

ヨブは境遇を受け入れ、首尾一貫、神はヨブを信頼しました。無垢の民も同様、神はともにいました。信仰したら不遇になるなら、そんな信仰なんか、やめちまえと言いたい人も出てくるはずですが、実際、金に目がくらんで、旧約聖書では裏切り者が出てきます。

信じないと地獄行きという脅しで信徒を増やすような、生やさしい教えではないのですね。

あり得ない。あれだけ体を蝕む大災厄に天秤が傾かない。なぜ災厄を与える神へ背き、病を取り去れと求めない!

※ エリファズは、神は災厄から守る存在だと信じています。サタンはエリファズには正しい。

 人は創造主による被造物とヨブは理解しますが(1:21)、サタンはほうぼうを歩き回っていた(2:2)と、由来がわからないところが対となっています。

創造主の愛は、人の罪の壁を乗り越えて達するので、災厄に向き合わないと、その愛が達することがありません。ヨブには嵐の中から神が現れます。

今の不遇と自分の罪の関係について、ヨブは神に、説明を求めますが、ヨブは神を見ることで、自分は神から離れていないことを知り、遭難は神が出したものではないことを理解します。

魔族が人類を襲う理由を考えたことはある?人類が人類を襲うから、魔族は出てくるんだ。だから、逃げ回って、なんとかしろと神に言ってもしょうがない。聖霊の支援は万全だ、向き合うしかない。

聞いてもらうことが私の慰め(21:2)

神から言葉を聞かれなくなると、その人は存在しないことになります。
三人の友人に対して、ヨブが話を聞いてくれと詰め寄る場面は、罪に原因のない不遇が存在することを、無視しないで欲しいというメッセージになっています。

神への不信仰が災厄を招くならば、(ユダヤ教では)無垢な者の受ける災厄は存在しないことになります。

宗教に根ざす身分制、社会的弱者は過去に罪を犯したという因果律を非難することがあり、罪を受けた神であるイエスを否定し十字架にかけた、反キリストの原型がここにあります。

神というのは、どうしても聖職者の連中が勝手に美化していく。そしてそのうち原型すら無くなってしまうんだ。美しい神殿の中になんかいない。凶暴な魔族のところにいて、常に戦っているんだ。


ヨブの不遇はどう生きたらいいのか

エステルさん、ヨブのような苦難を経験したとき、信徒はどう生きるべきでしょう?

そうですね、不遇だから罪深いということではありません。これはヨブが正しいです。

 
人間の善悪で態度を変える神はなく、悪人に嫌がらせをする神もいません。

ヨブの理解では「信仰深く生きますから、神よ助けてください」と祈る余地がなく、ヨナのように「敵を裁いてください」と祈る(ヨナ4:1)こともありません。苦難は必ず人生に現れ、ヨブは常に他人に協力的でした。苦難にあるとき、苦難から守る神は存在しないと、呪うことは誤りです。

なるほど、ゆえにイエスは、貧しい者や苦難にある人に、寛容と愛を説き、助け合うことが神の随伴者たりえると教えたのですね。苦境の者を罪深き者として見下すのは誤りであるとも。

人類はどうして、魔族から逃げ回って無病息災のヤツが、魔族と戦って満身創痍のヤツを見下したがるのだろう。魔族が驚異なら、魔族に勝った勇者と、仲間と一緒に戦うしかないのにね。


時代考証

最初の神とサタンの集会のシーンは、メソポタミアの宗教の世界観です。

ヨブは祭司役を果たし、律法の表現がないことから、創世記族長時代のユダヤ教習慣であると考えられています。

三人の友人の、エリファズ・テマン、ビルダド・シェア、ツォファル・ナアマはアブラハムの孫の頃に使われた名前。エリフは時代が下り、ダビデの兄弟の名です。

冒頭のヨブの財産は金銀ではなく家畜と使用人数が使っていますが、第3章では金銀が資産として扱われています。今のように、簡単に文章が作れたわけでもないので、異なる文書群を理解して、ヨブ記の編者のイメージにに合うように、組み合わせながら統合しなければなりません。

銅板モーセ金の牛

ユダヤ教地域では金属文化がないので、鉄器アッシリアに完敗しています。

ヨブは記録媒体に岩を選んでいますが、数節ずれるだけで、金銀が倉庫にあるなど、何百年も時代が変わって異なる文化の箇所があります。

草木灰のアルカリ上澄液は比較的新しい洗剤で、オリオン座のベルトが緩む(38:31)って天文豆知識まで交えつつ、うちの財産は羊7000匹、使用人いっぱいと、オーパーツが散見されます。羊7000頭は北海道にいる全羊の頭数に匹敵し、完全にユダヤ族長規模です。

第2章のサタンの賭けと、第3章以降の論争は接点がなく、第1章と第2章で慎ましいヨブが、第3章では愚痴り始め、第38章では神から小言を言われています。サタンがドヤ顔して「ホレ見たことか」となる流れなのに、サタンが、なぜかいません。

01悪魔との賭け

エリフは三人より若い世代で、つい不規則発言したと取れる書き方です(32:6)。エリフの時代まで、罪がなかったのがエノクだけで、その後、エリヤが死なずに天に昇った(Ⅱ列2:11)ことから、罪がないと考えることが不信仰とされた時代の考えが、エリフの発言から感じられます。

ヨブを訪問したのは三人だけで(2:11)、神はエリフを無視して進むため(42:7)、ブロックチェーンに不整合が起きています。

オリジナルには、エリフはいなかったと思われますが、神は必要だと考えて、今の形になったと思われます。

エステル
【ナビゲーター エステル】
見る人誰もが美しいと思い、女性の鏡のような性質を持っています。
ユダヤ人の民族粛清に瀕しながら、冷静に淡々と解放させていくところに、難しいことをクールにこなすので、ナビゲーターキャラクターとして採用しました。

sophie100
【ソフィーさんの独り言】
辛いことがあると、ヨブ記を何度も読みました。この記事はその整理結果です。
教会の解釈はエリフ推しで、ヨブのように怒らず、静かに待とうねと言われて終わってしまいます。
重要な指摘をヨブがしていて、無垢の民がなぜ苦しむかという問いに、思考停止してはならず、現代人は、イエスが罪を受ける意味と、イエスと共に荷を負うことを理解できる、恵まれた時代にいることを感じられます。

悪魔の証明-プロバチオ・ディアブリカ

 土地の所有権を、権利書、古文書とひもといていくと、際限なく文書が出てくるので、土地所有権を証明するのは、悪魔が存在しないことを証明するような、難しさがあります。

 では、2000年前にユダヤ人がシナイ半島に住んでいて、ローマ・ユダヤ戦争で土地を追われ、東ローマ、セルジューク、マムルーク朝、オスマン帝国が支配していたところに、英国外務大臣がユダヤ人に「パレスチナへ国民的郷土樹立に最大限努力しますよ」と言って移住する場合、誰の土地になるのでしょう(1915:バルフォア宣言)。
悪魔


宗教の蹉跌

 オスマンの首都イスタンブールは黒海の出口にあり、ロシア海軍を封じる要所です。クリミア半島は軍事的要所で、ロシアののど元にも関わらず、テュルク人が居住し、ギリシア正教の影響圏です。ロシアと敵対するイギリス、フランス、ドイツは、ロシアがオスマン帝国から奪取すると、返還の圧力を強め、これがクリミア戦争(1853-1856)になります。
クリミア
 クリミア戦争はナイチンゲール(1820-1910)が従軍し、直後にアルフレッド・ノーベル(1833-1896)がダイナマイトを1871年に発明するなど、戦争が近代化する前夜の時期です。オスマン帝国は完全に劣勢に転落していきます。

 バルカン半島はハプスブルグ家とロシアとオスマンを抑えると、セルビア王国が独立し(1882)、ボスニアをハプスブルグ家が編入すると、カトリック国がイスラム教徒を弾圧する構図ができあがります。セルビア人をロシアが汎スラブ独立と正教会信仰を煽り、ヨーロッパの火薬庫の名に恥じない紛争地域へと化していきます。サラエボ事件(1914)前夜です。


ドイツにおけるユダヤ人迫害の発生

 第一次大戦期(1914-1918)には、ドイツに多数のユダヤ人難民がいましたが、これはロシアのクリミア戦争敗北以降に強まった汎スラブ主義の影響から、避難する形で移住したもので、ロシアは隣接する国のスラブ民族市民に対して、独立心を煽るようになっていきました。

 スラブ民族の少ないドイツは、ユダヤ人にとって居心地が良かったらしく、1910年頃まで、ロシア、ポーランドから逃避するようになります。ところが、第一次大戦でドイツとイギリスが膠着した時期に、ユダヤ人ロスチャイルド家に対して、イギリス外務大臣からバルフォア宣言(1917年)が発行され、パレスチナに自国領を持つために、ドイツを攻撃する側に調停協力した形になったため、終戦後、ドイツ国内でユダヤ人に対する迫害が始まります。
バルフォア宣言
 このバルフォア宣言は、第一次大戦において、米国を英国側陣営につける目的で発せられているため、イスラエルに対して米国がバックアップする形で関与し、その後は産油国として存在感を増していくアラビア諸国に対して、米英メジャーが交渉する後ろ盾として変化していきます。

 その後の中東戦争が繰り返され、第四次中東戦争(1973)において、イスラエルに対してエジプトやシリア等のアラビア諸国が互角の交渉力を持つようになり、これが日本のオイルショックを引き起こします。

サイクス・ピコ協定(1916)からローザンヌ条約(1923)へ

 オスマン帝国を解体し、列強が好きなところを植民地にして、パレスチナにイスラエル建国を認めるという、ロシア、イギリス、フランスの密約で、ロシア革命(1917-1922)で帝政ロシアが倒れると、ソビエト連邦共産党は帝政ロシアの批判のために、密約を公表してしまいます。

 イギリス、ロシア、フランスの委任統治領の残りは、トルコ、ギリシャ、アルメニアで分割、クルド人は自治領を認めるという内容ですが、ローザンヌ条約(1923)では、トルコが交渉を一部優位に進めた結果、クルド人の自治領がキャンセルとなります。
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憲政体制への移行

 憲法は国家に対する抑止力を目的とし、議会は予算の過剰支出の抑止を目的とします。憲政体制への移行によって、無制限の軍事活動や軍事支出の抑制をして、国内紛争や他国への紛争介入を防ぐようになりますが、日本は帝政を温存していたプロイセン憲法を参考にしていました。

 各国は重火器類を増強していき、兵士の戦いから都市や城塞を破壊するようになり、目的に対して被害が不釣り合いになっていきます。民族や宗教の独立を外国から煽るようになり、大国が介入して占領する紛争が増え、安全保障の方法が変わっていきます。

 民族、宗教国家はリスクでしかなく、法治国家として、国家全体に及び管理をゆきわたらせる憲政化が進み、帝国主義、宗教弾圧に対する抑止力を備えることで、自国内の紛争と大国の介入を抑制するような国家体制が作られていきました。

 植民地を維持することで、領内の紛争の対処や他国の介入の余地が生じてしまうため、世界的に植民地を手放す流れが起こりはじめ、憲政と議会という、暴走の抑止機構の範囲で国境が決定していくようになりました。 

 神よ、帝国を失う皇帝を赦し給うな。
 コンスタンティノス11世はオスマン軍の中に消えていきました。コンスタンティヌスはビザンティオンをローマの首都とし、その終焉もコンスタンティヌスでした。

 オスマンスルタンのメフメト二世(1432-1481)は、コンスタンチノープルを包囲し、短期決戦で1453年に陥落させました。矢継ぎ早に地中海を攻略し、ヴェネチアを1480年に臣従させることに成功します。オスマン帝国を支えるイエニチェリの鉄砲隊の力は強く、当時、最強を誇った騎馬隊をなぎ倒していき、科学技術の優位性が国を左右する時代でもありました。
コンスタンチノープル陥落

イスラムの寛容

 大国を領土に編入する場合、民族、宗教、統治体系を温存した方が安定します。メフメト二世は、コンスタンチノープル総主教を自ら叙任し、都市への略奪も禁じました。司法制度も出身国のものを適用し、この制度は治外法権と言われますが、外国人は外国の法で裁くことにしました。

 東ローマ末期は、ローマ皇帝よりもスルタンに臣従する方がマシだと考える住民も多く、円滑に領内にはオスマン統治が浸透していきました。オスマン帝国は、モンゴル帝国末裔のカザン、クリミア領も編入し、多民族・他宗教国家として、地中海の肥沃な地を独占していき、1517年にマムルーク朝を滅ぼすと、地中海はオスマンの海となります。

イエニチェリ
 イスラム教は旧約聖書を聖典とし、ムハンマドが統治する過程で形成されていったもので、異教徒に対しては金銭で解決させるなど、統治に慣れた一面がありました。

 イスラムの寛容で目を見張るのがマムルーク朝です。初代女帝シャジャル・アッ・ドゥル( -1257)はカリフの後宮妾で、以後、軍人奴隷(マムルーク)がスルタンに就きます。スンニ派というのは、遊牧民が奴隷契約をして、そのまま君主になり得るという、特殊な構造があり、奴隷解放をする主人は天国行きが決定し、出世した主人のチームは、チームごと高い地位を得ることになりました。当時はペストで死が身近であったため、常に奴隷の流入を必要とし、兵士の力が国の力となっていました。

 しかし、マムルーク朝の騎馬隊は、イエニチェリの鉄砲隊に駆逐されていきます。
シャザル

錬金術と産業革命

 スコラ学によってもたらされたアリストテレス哲学では、世界は不完全であり、4大元素に、星と魂を構成する第5元素アイテールが地上に流出し、より完全に変化していくと考えていました。地は最初に地上に現れた物質で、最近に現れたものが風であり、いずれ、アイテールが注ぐことで、完全になっていくといいます。完全に近いものが金で、卑金属もいずれは純金になり、人間の魂は永遠に消滅しないとされます。

 この研究はルネサンス期のキリスト教圏を熱狂の渦に巻き込み、フラスコや試験管など、様々な実験道具を作っていきました。何年研究を続けても金はできませんでしたが、水に火を通すことで力を生み、その力を蒸気機関として利用するようになります。
錬金術
 しかし、カトリック教会では、錬金術は悪魔の学問として異端審問は判断し、魔法の一種のようにみなしていました。蒸気機関として産業用に実用的にしたものは、ジェームズワット(1736-1819)ですが、イギリスの国教会圏から外れた、スコットランドグラスゴー大学で蒸気機関を開発し、瞬く間に英国全域に蒸気機関が広まっていきます。人類は新たな生産力を得て、耕作能力を高め生産力が上がり、人口が増えていきます。土地を囲い込んで毛織物工場を作り、大量生産された物資を供給する植民地が必要になっていきます。

 こうして18世紀に入ると、西欧諸国とオスマンの科学力は逆転し、どうしてもオスマンは勝てなくなってしまいます。1768年、1792年には露土戦争で2連敗し、重病人の様相を呈していきます。
ワットの蒸気機関 【ワットの蒸気機関】


国家宗教の死

 コンスタンチノープル正教会キエフ支部はロシア正教となり、1480年に東ローマ皇帝家のカエサル血縁としてツァーリの治める、モスクワ・ツァーリ国ができます。

 モスクワ・ツァーリ国は1721年にロシア帝国と名を変えますが、この頃には諸候国連邦国家がモンゴル帝国の属国から独立し、次々とモンゴル帝国の旧領を吸収していきます。モンゴル帝国はイスラム教に傾き、東ローマ末裔家はロシア正教会を国教とします。

 不凍港を獲得するために進軍を開始し、かつてキリスト教とイスラム教の境界線であったポーランド、リトアニアで、カトリックと正教会の戦線を開いていきます。
ロシア領

 ロシアから防衛するために、オスマン帝国はイギリスと同盟して国内を近代化し、法治国家の治外法権を内政干渉の材料とされ、領内の宗教の平等を求め、植民地の様相を見せるようになりました。

 各国とも帝国化が進んでいくことで、領内に様々な宗教と民族を抱えるようになると、身分と貧富の差、宗教と身分の差が紛争化させることになりました。鎮圧のために費用が必要になり、他国から介入されると領土を失うことから、政教分離が国家の安定化に必要になっていきます。宗教は国境線として機能させることが、非効率になっていきます。




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