クリストファー・ノーラン監督のオッペンハイマーが人気です。
”American Prometheus”(2006)を原作とする、各賞総ナメの映画ですが、映像・音声の効果に特化しているオペラ的な作りなので、あくまでストーリーではなく、映像美と娯楽を楽しむことを意図したもの。
原作はオッペンハイマー事件を軸としたもので、ルイス・ストローズとエドワード・テラーとのロバートオッペンハイマーの確執が、アリバイのねつ造という疑惑を招き、それが火を手にしたプロメティウスへの罰という内容になっています。
原作者は原爆による悲劇の作品が多いので、オッペンハイマーとテラーの、両名に対する罰を描いているのですが、映画にするとわかりにくいので、原爆を悔いたオッペンハイマーと、水爆を誇るストロースに再設計されています。
google検索すると、YTの紹介欄がオッペンハイマー解説動画だらけになってしまうので、皆様、いろいろ語りたくなる映画なのだと思います。

今回は、オッペンハイマー映画について、単に映画を説明しても仕方ないので、史実から紹介します。
Fusion ユダヤ人社会の地位と嫉妬

ルーズベルト大統領が4月12に死去して、副大統領のトルーマンが大統領に昇格。ナチスドイツが5月9日に降伏し、急転直下で事態が変わっていきます。

東西冷戦はトリニティ実験(7/16)に始まり、ポツダム会談(7/17-)はトルーマン、チャーチル、スターリンを中心とした東西一体でしたが、実験成功の報告がトルーマンに入り、単独で日本降伏にこぎ着けられると見込んで、ムクムクとソ連を露骨に外す衝動が頭をもたげてきます。
ポツダム宣言(7/26-)ではスターリンを外し、米英中で署名します。

グローブス准将とオッペンハイマーは、効率的に日本を破壊するため、皇居、京都をはじめとする象徴的な場所に投下して継戦意欲を削ごうとします。トルーマンには、スティムソンを頭越しに、(本当は都市部が標的だが)軍需工場を攻撃すると説明します。政治的に厳しい選定と知っての確信犯です。
後に、計画を知ったスティムソン長官が、文化的価値のある都市を破壊する損失を、トルーマンに説き、第一候補広島、第二候補小倉と変更します。都市部を狙うあたり、原爆の威力誇示を目的としているのですが、後にトルーマン大統領にオッペンハイマーが「我が手は血塗られています」と言ったとき、トルーマンは激怒し、二度と会いませんでした。
トルーマンは日記に「弱虫」と罵っていますが、トルーマンは、副大統領の時は一切情報がなく、よく知らずに責任転嫁されたので、普通は怒るでしょう。
スティムソン長官は、議会対策のため、とっとと日本が求める天皇制を認め、終戦させてしまえ!と主張していたため、米軍内が一枚岩ではなく、文書で追っていくと、グローブス准将が暴走しているように見えます。トルーマンにとっても、ソ連の予想外の早い進軍が気がかりです。

GHQによる赤旗30日停止に対する抗議(1950.9)ソ連核実験成功は皮肉にも朝鮮戦争(1950.6)を起こしてしまう
戦後、マッカーサー元帥は、日本のレッドパージ、軍将校(尉官以上)根こそぎ公職追放を予定し、危険分子を公職から除こうと画策しますが、ワシントンから、政体が残っているのに余計なことするなと、大喧嘩して、内政から外されてしまいます。また、GHQから独立した極東委員会を設置されてしまいます。
帰国後、マッカーサーの部下だったアイゼンハワー大統領と、信用厚いルイス ストロース(※)は、オッペンハイマーを共産主義への情報漏洩のかどで、公職追放を働きかけます。軍人政治家グループは独特のネットワークがあり、スポイルズシステムにより、大統領が軍人を高官につけ、政敵をレッドパージで追い落としていました。
ストロースは同じユダヤ人のうえ、地位はオッペンハイマーより上ですが、オッペンハイマーは裕福な貴種であるうえ、ユダヤ人聖職者から高く評価されています。
このため、ストロースは対抗心を持ち、1947年、医療用同位元素輸出(当時はレントゲン撮像機)をとがめて大騒ぎした際、オッペンハイマーから、武器になり得るならシャベルだってそうだろうと、屈辱的な回答をされ、憎悪に火を付けてしまいます。その場では、一人だけ物理に詳しくないアウェイの場であり、ストロースは屈辱で鬼の形相だったらしいですが、後にセキュリティ聴聞会で逆の立場に置かれてしまいます。
こうして、1954年5月、エドガー・フーバーFBI長官、マッカーシー議員の力を借りて、オッペンハイマーのレベルQクリアランス(最高位全原爆情報)を失効させます。フーバー長官はKKK、レッドパージ、JFK事件でも暗躍するなど、サワルナキケンです。

オッペンハイマーは研究にあたって、手先が絶望的に不器用なので、精神を病んだ時期があり、常に精神科医のケアを必要とします。精神科医であり、共産党員である女性医師のジーン・タトロックとの不倫写真を、フーバー長官によって撮影され、ストロースは、出来レースのヒアリングを設定し、ソ連への情報漏洩情報によりスパイ行為があったと結論づけます。

普段、独断専行が多い性格なので、ストロースは、勝手に結んだディクソンイエーツ契約の不透明さが民主党から追及され、1954年選挙では、共和党を大敗北させてしまいます。これが民主党とのねじれ議会の原因となった戦犯なので、議会に多数の敵を作ってしまいます。

アイゼンハワーとストロースは、軍人同士であり、閣僚として重用します
商務長官は存在感のない閣僚なので、問題ないだろうとアイゼンハワー大統領は考えて議会承認を提案しますが、民主党から不承認が突きつけられ、ストロースは
「オレがトルーマンを説得したから、水爆開発が進んだ!」
「水爆があればNY首都圏一帯だって破壊できる!」(絶望的失言)
と、あることないこと言います。
これを聞いたトルーマン(民主党)は激怒してしまいます。
商務長官承認の公聴会での虚偽を咎められ、結局、1959年にストロースは商務長官不承認後に政界を去ります。
ストロースは、普段は社交的軍人であり、レジオンドヌール勲章や、数多くの多国籍の勲章を得た人物でした。しかし、オッペンハイマーがオレより(ユダヤ教社会では)評価されるんだ、なぜ、水素爆弾を止めろというのだ、と最後まで敵意を隠しませんでした。
Fusion 水爆開発に伴う新たな懸念 Thermonuclear Explosions
ソ連が原爆を完成させた後、米軍の優位性を保つため、ストロースは水爆の開発を強く主張し、テラーを中心に水爆開発に邁進します。これに対してオッペンハイマーは反対の立場を持っていました。

現実の話では、エドワードテラーは水素爆弾を開発する目的で、喜び勇んでオッペンハイマーのところへ配属されると、水爆研究を止められ、日干しにされてしまいます。オッペンハイマーの部下であったがゆえに、能力発揮どころか無能扱いされるので、相当、嫌っていたらしい。
原爆は高温発生目的の武器であって、ウラン235またはプルトニウム239の臨界により、300万度の高温を発生し、[PV=nRT]の圧力が、桁の違う爆風圧として地上に吹きつけます。数万度の台風以上の熱風が吹いてくるのですから、地獄さながらで逃げ場がありません。

熱エネルギーにより、連鎖核融合が起きることを、オッペンハイマーは危惧。温度は足りないが慧眼である。
ところが、水素爆弾の場合、重水素原子を1億度を超えて熱核融合を起こし、数億度もの熱を生成するため、大気中の水蒸気中の重水素を誘爆する問題があります。
さらに10億度、20億度、50億度と温度が上昇すると、酸素、炭素、窒素、鉄まで核融合を起こし、地球は小さな恒星になり四散してしまいます。
オッペンハイマーは、地球を破壊しかねない水素爆弾に反対しますが、ストロースは何を言ってるのかサッパです。こうしてオッペンハイマーを政敵としてみなし、アイゼンハワー大統領に「オッペンハイマーを公職追放しなければ、委員長の仕事は受けませんぜ」と日干しに走ります。

水爆の熱衝突断面積計算のため、ロスアラモス研のノイマンの協力もあり、1947年に巨大コンピューターENIAC(俗称MANIAC)が完成し、水素爆弾の温度(原子振動)ならば連鎖核融合がニアゼロと結論が得られます。
1950年、ストロースがトルーマン大統領に働きかけ、水素爆弾開発が決定します(ストロースにオッペンハイマーが政治的に完敗)。
米軍の強さは軍事費を温存できたためと分析されていたので、核爆弾や水素爆弾で脅しをかけて、優位性を維持し予算を削る方針のなかで、オッペンハイマーの核爆弾ではなく通常兵器を使うべきという意見は、全く通らなくなり、政治的には孤立していました。
ストロースも、レッドパージの強引さが政治的汚点になってしまい、両極端の二人は、上手く立ち回れなかったことを、思い知らされます。

アインシュタインは原爆の時点でも高温の核融合誘発の危険性を計算していたといわれる
冷静に考えると、水爆によって地球破壊するのはダメだが、原爆によって広島、長崎の被爆者が苦しんでもいいという発想は、マッドサイエンティストの一面を示すもので、驕りを感じます。巨匠にもの申す立場ではありませんが、被害者に寄り添った、アドリブメッセージがあっても良かったと思います。
Fission 黎明 -原爆開発史に残らないユダヤ人女性研究者
カイザーヴィルヘルム研究所開所において、ウラン235の核分裂の発見から原爆開発が始まります。ナチスはオーストリア併合(1938)によって、カイザーヴィルへルム研究所の研究を、管理下に収めます。

1913年 カイザーヴィルヘルム研究所開所(現マクスプランク研究所)
同研究所の研究者オットー・ハーンと助手フリッツシュトラスマンの、ウラン235の核分裂に関する論文は(1939)、世界に大きな反響を生みます。同時に、多くの研究者が、ナチスに管理させてはいけないと危機感を持ち、英チャーチル、米ルーズベルトに、たくさんの科学者が手紙を送っています。
アインシュタインの手紙もその一通です。

オットー・ハーン(中央)とフリッツシュトラスマン(右)公式上の核分裂発見者
英国ではMAUD委員会(1941-)を設立し、原爆研究を始めます。
しかし、チャーチル首相は資金に限りがあるため、どうにかして資金力の温存されている中立国の米国を抱き込もうとして、ルーズベルト大統領にメッセージを送り、米陸軍ではマンハッタン計画(1942-)を立ち上げます。
ここで多くの科学者の反動があったことと、ユダヤ人研究者をナチスが排除していたこと等から、比較的容易に研究者を集めることができました。

リーゼ・マイトナーの切手 実際の核分裂発見者
オットー・ハーンとフリッツシュトラウスマンの核分裂の論文は、リーゼ・マイトナー取り組んでいた研究ですが、最終的にはハーンが手柄を独占したため、リーゼは核分裂発見の名前の記録がありません。元々、1936年から、エンリコ・フェルミの超ウラン核種論文(1934)を研究していたものです。
ユダヤ人のリーゼは、ナチスの追跡を逃れるために外国に移籍したため、オットーハーン単独研究と説明する、ナチス管理下の研究の場に居られません。海外移籍にあたって、オーストリアパスポートがナチスから失効とされ、ドイツのパスポート申請も却下されたため、密航状態でスウェーデンストックホルムに移動します。
リーゼがストックホルム到着後、ハーンからの手紙のやりとりで、バリウム、ラジウム等の軽い元素が生成されるのは、手順を間違えたのだろうとハーンからリーゼに相談し、リーゼは、核分裂が起きているのではないかとアドバイスを送り、これが核分裂の論文になります。

ミュンヘン大学におけるハイゼンベルグの研究
ナチスドイツでは、ヴェルナー・ハイゼンベルグを中心として、重水中の天然ウランによる臨界を用いた原爆の研究を行います。しかし、重水は非常に採取コストがかかるため、重水槽が破損して修復費用が高額になることから、ヒトラーは普通に武器買った方がマシだとして、諦めています。
核分裂では先行していたナチスドイツですが、結局、資金不足のため1943年に断念します。オッペンハイマーの功績は、低コストにウラン濃縮を成功させた点にあり、他の手法では全て失敗し、多額の費用を無駄にしています。

英国MAUD委員会では、リーゼの研究を高く評価していたため、原爆開発チームへの招聘をしますが、水の波紋の如く、連鎖して増幅される臨界エネルギーが、巨大な被害を生む爆弾になると予見し、MAUD委員会への参加を拒否して、原爆開発と縁を切ってしまいます。
このような研究拒否から、後に「人間性を失わなかった研究者」と墓標に刻まれ、多くの研究者の尊敬を集めます。

ストックホルムのシーグバーン研究所では、リソースが少なく不遇な研究環境のため、大学の講義や男女平等運動、社会福祉活動に参加し、特に北欧地方の男女同権の考え方の普及に尽力します。
彼女の活動の成果もあり、北欧諸国の女性は、忌憚なく意見をする文化があります。
また、過去の研究の一つ、ハーンと共同研究の成果であったプロトアクチニウム(1917年)の発見の成果から、ドイツ重元素研究所は109番目の元素の命名に関し、リーゼの名前からマイトネリウムが提案され、周期表に彼女の名前が残っています。


















