3分で説明
ヘロデ王による子供の虐殺の預言「ラマの嘆き」に匹敵する脅威が、魔女による乳児の呪殺にはあると、カトリック教会は伝えます。今回は乳児の死に恐怖した教会史として、ラマで嘆く ラケルがナビゲートします。
歴史的に、魔女裁判が始まるのは、ローマ教皇庁異端審問修道士クラーメルが、マレウス・マレフィカルム(魔女に与える鉄槌)を著し、発明品グーテンベルク活版印刷を使い広め、識字率が低かった地方都市に魔女の挿絵により周知された頃です。教皇庁は、カノッサの屈辱で異端裁判権を手にし、魔女裁判は「魔女に与える鉄槌」の罪科を読み上げて有罪とし、それを市司法機関が追認すると異端者として処刑されるよういなります。しかし、多くは司法機関により棄却されてしまいます。
猫は人里に定着して劣性遺伝の黒猫が現れるものの、カトリック圏の酪農や狩猟では猫は害獣であり、黒猫は冥界から現れると考えられています。回勅"VOX in RAMA"(1233)では病死や乳児死を解決すべく、食糧豊富で猫が定住していた南仏カタリ派地域に、十字軍派遣が宣言されました。
リンゴは寒冷地で採れるもので、非カトリック率が高いバスク地方で魔女狩りが発生した際に、ピレネー種のリンゴと厚手ローブ姿のバスク地方の民族衣装の絵が多数描かれます。後に、これが魔女らしい魔女の絵として、末代まで残りました。

Jan Van Der Velde, 'The Sorceress', 1626.
魔女の力は細菌の力
現代に伝わるグリム童話の魔女は、リンゴ片手に、黒猫とオオカミと一緒に悪役を演じ、大抵、魔女は子供の命を狙います。

異端として告発された魔女達は、後期になるほど助産師が増えているので、医学知識を持った助産師を医師が批判したというジェンダー論から分析されることがあります。また、密告者側も女性が増えていくので、死産の医療訴訟のような構図を見せるようになります。罪状が皆コピペなので、内実はわからないことが多いです。

中世では35%の新生児が1歳を迎えられず(17C-18C Nurtingen)、聖職者が祈祷したにも関わらず、5歳までに半数が死んでしまいます。カトリック・ドミニコ会は、祈祷を妨げる魔女の呪いが原因だと断じ、乳児の脂肪を箒に塗る霊薬の材料にするため、魔女が呪殺して、空を飛んでサバトに参加しているという生活習慣を流布しています。
そして、教会に反抗的な者や、民衆間で魔女として訴えられた者が、異端審問の記録を作り上げられて、自白により有罪とする魔女裁判にかけられました。自白が有罪判決の根拠となったのは、そもそも根拠がないためです。

中世では細菌の存在など知らないので、祈祷によって魔を払えば、子供は健康に育つと考えられていました。
更に、13世紀にモンゴル人が病原菌とともに襲来し、14世紀にペストが流行して、物資不足により悪性インフレが起きると、庶民による教会への不満が強くなっていきます。奇跡の期待によって教会が悪魔から市民を守るという伝統は限界を迎え、終末論が広まっていきます。
ローマ教皇庁管区・文明の後進国のルネサンス
後にカノッサの屈辱と呼ばれる争議によって、教皇庁の権威が再認識され、教皇庁では、真正な教えを体系立てるため、ドミニコ会とフランシスコ会による異端諮問委員会を整備していきます。ここで俗世での司法権を獲得します。

名門貴族師弟が聖職者をキャリアに組み込み、徐々に神聖ローマ皇帝とローマ教皇が癒着していき、ハインリッヒ4世(1084年~神聖ローマ皇帝)は、地域や教皇庁内に政治基盤を固めていきます。
カトリック教会管区の文化はコンスタンチノープル、エジプトに劣り、ゲルマン宗教統合時に偶像崇拝を取り入れて矛盾を内包しています。そして、偶像崇拝が政争化し、1054年にカトリックとオーソドックスは東西分裂をします。

天国にたとえられたアヤソフィア(イスタンブール)
カトリックはギリシャ正教と袂を分かった後、コンスタンチノープルを参考に建築に投資を始め、ローマの元老院文化と皇帝権の歴史調査、キリスト教会史の研究が進みます。これらは後にルネサンスと名付けられます。
前錬金術カタリ派国(1140-1244)
カタリ派制圧に十字軍が投入されます。猫と魔女の連想ができたのは、この頃ですが、猫は食料が豊富な地域に定着するので、食料事情が良かったようです。
信徒間は平等ですが、カトリック教会では煉獄という概念を作り、地位の低い信徒に対して「あなた、煉獄に落ちるわよ!」という使い方により、裕福な信徒との差別化を図ります。後に、贖宥状という、わかりやすい形に変化し、寄進を集めやすくなります。
免罪符絶賛発売中※ ルター(1483-1546)は、お金の音で煉獄から魂が飛び出す(27/95)と、痛烈に皮肉
当時の俗化カトリックを嫌う市民も多かったため、異教カタリ派により、南仏モンペリエ付近に独立地域を作る民衆が現れます。マグダラのマリアは復活後のイエスに最初に遭い、聖母マリアの胎が聖霊を受けたことから、女性は聖霊の受け皿であるとカタリ派は説きます。

"cathari"はギリシャ語の「清い者」という意味ですが、猫(Felis catus)を連想させる名前なので、アラン・ド・リール(1128-1202)は、魔女と猫が連想させるようになっていきます(ただのダジャレなのに...)。
Walter Map(1140–1210)の著作に"the Devil descends as a black cat before his devotees."という記述が見られるように、黒猫が悪魔の使いとして同調する文献も出始めます。
カタリ・グノーシス一元論では、天上の霊力によって薬、金、生物ができるとして、知恵の岩(俗称:賢者の石)や秘儀による、再現性のない技術書が作られました。ローゼンクロイツ(1378-1484)、パラケルスス(1493-1541)にもカタリの記載が見られるように、カタリ派は錬金術の基礎になっていました。
カトリック教会はカタリ派の同化政策を進めるために、多くの修道士を派遣して改宗させますが、持たざる民衆の清貧によるカタリには、坊ちゃま育ちの修道士は太刀打ちできず、仕方なくインノケンティウス3世(1198-1216)はカタリ攻略を呼びかけます。
十字軍国家は1150年頃にエルサレムを撤退し、2回目の進軍も失敗してから、功績のない軍団の行き場は失われていました。帰還した十字軍をカタリ派自治地域へ派遣し、1244年のモンセギュールの戦いで、カタリ派領が焼け野原になります。

モンセギュール古戦場
魔女っ子ワルドちゃん
魔女"Witch"の由来は、ドイツ語”Hexe”「人里を超えた者」で、神聖ローマの言語に由来します。教会の聖書印刷に使われたグーテンベルク活版印刷によりビジュアルイメージが広がります。
ワルド派(1171-1689)が神聖ローマ域内に流入し、非カトリック化が進むと、ドミニコ会とフランシスコ会は異端の取り締まりを開始します。異端の判別のために、トマスアアクイナス(1225-1274)による神学大全の百科事典的性格が有効に機能し、女性蔑視の強いスコラ神学により、魔女狩りが始まります。
神学大全では、魔術、姦淫を重大な悪とします(ガラテア5:24)。異端者に刑罰を与えるため、神学大全の魔術欄をコピペをして罪状として自白強要し、市司法へ書類送検するスタイルが使われます。
当初は2/3が男性でしたが、クラーメル(1430-1505)の活動以降、筋金入りのワルド派女性が悪魔の使いとして「魔法をかけて誘惑した」と、下手な浮気の言い訳みたいな裁判にかけられるようになります。
インフルエンサー達

1445年グーテンベルク活版印刷実用化以降、エリート修道士のクラーメルは、著作物”Malleus Maleficarum”「悪魔術の槌」を大量に頒布します。
現代日本語では「魔女に与える鉄槌」と訳されますが、女性は男性を誘惑する力があり、それが罪を誘発すると考えていました。鉄槌は、裁判所のハンマーであって、悪魔術裁判規則の意味があります。

「魔女狩り西欧の三つの近代化の解説」の挿絵と説明を転記
「悪魔術の槌」では、魔女は男性器を消すことができる、乳児の脂肪を塗った箒で飛翔し集会(サバト)に参加する、女性は不完全である、だから魔女は罪というラジカルな論調を取り、クラーメルは自ら異端審問に邁進します。
しかし、異端審問の様子を見た人は違和感を持ち、クラーメルって変じゃね?と考える人が増えていき、教皇へ評価書を取り消すよう求められます。また、多くの魔女裁判結果は、さすがに、こいつら変だと、市の司法機関が棄却してしまいます。

妙に写実的な魔女絵が描かれた
黒猫という見慣れぬ生物
ラマの嘆きは、乳児死亡率の高さを特に問題視していたことを暗示します。また、黒猫の出現は、市民の食糧事情の改善があったことを示し、倉庫に穀物が蓄えられた時代になっていきます。
猫は倉庫のネズミを追いながら、人間社会に溶け込みました。最初にエジプトで神格化されたのも、ナイル河畔が穀倉地帯だったためです。
猫は人類史では新参者で、中国の文明黎明期には生息しなかったことから、象形文字がなく、干支にも入らず、ヘブライも同様に聖書にも登場しません。
猫は 白(W)、橙(O)、縞(A)、点(S) の遺伝子があると、黒猫になりませんが、穀類が豊富で、地域に猫が定住して遺伝子が偏ると、突如黒猫が出現します。神聖ローマのカトリック教会圏では、狩猟や酪農が行われた地域では、猫は害獣であり、カタリの伝承と重ね合わせて、魔女が世を忍ぶ仮の姿として黒猫に変化すると考えられました。
一方で神聖ローマでは、困窮から逃れるために十字軍に参加するくらい、貧困地域であったため、食料が乏しく、あまり猫がいません。
一方で神聖ローマでは、困窮から逃れるために十字軍に参加するくらい、貧困地域であったため、食料が乏しく、あまり猫がいません。

1227年に80歳のグレゴリウス9世が教皇に就任し、異端の抑圧に乗り出します。カトリック内政に力を注いだ人物で、特にアッシジのフランチェスコやエリザベートを列聖した人物として知られています。
1233年に十字軍指導者の一人コンラート(?-1233)は、このままでは、赤ちゃんが魔女に呪い殺されてしまうと危機感を持ち、グレゴリウス9世に働きかけて回勅「ラマの声」を施行します。ここでの黒猫は、冥界のルシファーの使い魔として記されています。
その後、十字軍によりカタリ派討伐が始まります。

グレゴリウス9世(VOX IN RAMA) 冗長のため概略
マインツ大司教、ヒルデスハイム司教、マルブーフの師コンラートに
ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。この預言のとおり、悪魔の蛇は、神の愛を受けた胎を噛み切り、教会を破壊しようとする。
ヒキガエルに見える悪魔が病原菌をまき散らし、悪魔に魔女はキスをする。青白く黒い痩せた氷のような男が現れ、魔女はキスをする。体は非常に冷たい。黒猫が後ろ向きに現れ、魔女はキスをする。そして歌う。
ろうそくの灯火が消えると、情欲の嵐が吹き荒れ■自主規制■
天に反逆し、狡猾にルシファーを冥界に追いやったと主張し、かつての天の栄光を取り戻そうとする。神の奇跡はどこへいったのだ。武装し立ち向かう者達に祝福を。
1233年6月にラテラノにて授与する
マインツ大司教、ヒルデスハイム司教、マルブーフの師コンラートに
ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。この預言のとおり、悪魔の蛇は、神の愛を受けた胎を噛み切り、教会を破壊しようとする。
ヒキガエルに見える悪魔が病原菌をまき散らし、悪魔に魔女はキスをする。青白く黒い痩せた氷のような男が現れ、魔女はキスをする。体は非常に冷たい。黒猫が後ろ向きに現れ、魔女はキスをする。そして歌う。
ろうそくの灯火が消えると、情欲の嵐が吹き荒れ■自主規制■
天に反逆し、狡猾にルシファーを冥界に追いやったと主張し、かつての天の栄光を取り戻そうとする。神の奇跡はどこへいったのだ。武装し立ち向かう者達に祝福を。
1233年6月にラテラノにて授与する
魔女とされた聖女
ジャンヌダルク(1412-1431)は1431年異端審問裁判で魔女として裁かれましたが、比較的恣意的に魔女とされていたことを示しています。その後、カトリック教会により1455年に棄却され、19世紀に列聖されています。
神からの啓示に従順に従って行動をした結果、偉大な功績を挙げたとしてカトリック教会では聖人に列せられました。奇跡はともかくとして、非常に信心深い有能な女性で、カリスマを備えていました。

フランス出身のアンジュー伯ヘンリー2世( 1133-1189)がイングランド領主(プランタジネット朝)を兼ねていたので、フランスとイングランドが連邦化し、プランタジネット朝はフランスを支配するイングランド勢力と認識されるようになります。パリ周辺の領主には支配王朝プランタジネット朝とも懇意の者がいたものの、百年戦争(1337-1453)でフランスを独立国とすべく、弱小連合がプランタジネット朝と争います。
現在でも、英国は連合王国(UK)が正式名称であるように、統治機構が一枚岩ではなく、さらにややこしいことに、ジャンヌダルクがオルレアン軍を立ち上げ、乱戦状態に入り、誰がフランス統治をするのかわからなくなってしまいます。ジャンヌダルクはドミニコ会とプランタジネット朝の二元権力の狭間に入り、魔女として処刑されてしまいます。
神からの啓示に従順に従って行動をした結果、偉大な功績を挙げたとしてカトリック教会では聖人に列せられました。奇跡はともかくとして、非常に信心深い有能な女性で、カリスマを備えていました。

フランス出身のアンジュー伯ヘンリー2世( 1133-1189)がイングランド領主(プランタジネット朝)を兼ねていたので、フランスとイングランドが連邦化し、プランタジネット朝はフランスを支配するイングランド勢力と認識されるようになります。パリ周辺の領主には支配王朝プランタジネット朝とも懇意の者がいたものの、百年戦争(1337-1453)でフランスを独立国とすべく、弱小連合がプランタジネット朝と争います。
現在でも、英国は連合王国(UK)が正式名称であるように、統治機構が一枚岩ではなく、さらにややこしいことに、ジャンヌダルクがオルレアン軍を立ち上げ、乱戦状態に入り、誰がフランス統治をするのかわからなくなってしまいます。ジャンヌダルクはドミニコ会とプランタジネット朝の二元権力の狭間に入り、魔女として処刑されてしまいます。
ジャンヌダルクの行軍によって現在のフランスの形があるので、今でもフランスでは強い人気があります。ジャンヌダルクはジェンダーと既得権と戦いました。
バスク産魔女のリンゴ
魔女のイメージがここに完成します。それだけ、バスク地方の風俗は印象が強かったようです。
バスク地方は、スペインとフランスの紛争地域で、フランスとカトリックへの同化を拒んでいました。南仏のバスク地方は言語体系が異なるため、カトリック教会の影響が少なく相性が良くありません。
ここで、バスク地方出身のカトリック系新興貴族ド・ランクルと、同出身の旧貴族ベルトラン・デショーがフランス王国宮廷内で争い、バスク地方同化政策のため、ド・ランクルは魔女裁判を1609年に開始させます。

バスク人衣装。魔女の装いとされる
バスク人達は独特の衣装をまとい、少しエッチぃダンスを踊り、女性は頭頂部を剃って長く伸ばしていました。 ド・ランクルは、そういうダサい風俗は止めてくれと、異端審問を通じて同化策を取り始めます。
バスク地方はピレネー種リンゴの産地であり、また、リンゴは邪悪"malus"と同じスペルのため、リンゴを禁断の実のアイテムとして、バスク人女性を魔女と断じます。
この時期の絵画に、リンゴを禁断の実とするものが散見され、魔女にピレネーリンゴが持たされます。
リンゴはヘブライと気候が違い、寒冷地でのみ実をつけます
弁護士の副業(不規則裁判)
ここで世の風潮を利用して、魔女裁判で金儲けを考える人物が現れます。
マシューホプキンス(1620年 - 1647年)はイングランドで私刑魔女狩りをした人物です。本職は弁護士ですが、1644年から1646年に300人の魔女の告発と処刑を行い、”The Discovery of Witches”(1647)を発行すると、後の魔女狩りの教書として使われるようになります。
裁判方法は、引っ込み式のナイフや針を刺し、痛みを感じない魔女であるとして住民を信じさせて処刑するというものです。また、川に突き落とし、溺れたら無実、生きていたら魔女という、逃れようのない私刑も行っていました。

The life of Matthew Hopkins, the opportunistic 'Witchfinder General'
しかしあっけなく、マシューホプキンスに疑問を持った清教徒聖職者により、魔女裁判が暴かれ追放され、14ヶ月の魔女狩り活動を終えます。翌年の1647年8月に結核であっけなく亡くなりました。
”The Discovery of Witches”はベストセラーとなり、1690年代のセイラム魔女裁判でも使われました。
セイラム魔女裁判(1692)は米国清教徒がセイラム村で起こした私刑群で、けいれんや麻痺状態の女性を魔女として告発し、処刑したものです。症状としては狂犬病や薬物症状に似ているので、やはり病気感染が疑われます。

魔女狩りのキリスト教的意義
宗教戦争が終わると、憑き物が落ちたように、魔女狩りは消えていきます。キリスト教同化政策による異端審問が始まりであり、マシューポプキンスの真似をする土壌があった地域で、魔女狩りが散見されます。
神聖ローマにおける30年戦争(1618-1648)の後、魔女狩りは沈静化していきました。カトリック教会の求心力を高めたいという動機で始まったものの、地域独占がなくなれば異端審問は力を失ってしまいます。


カルヴァン(1509-1564)
カタリ派とワルド派が如何なる教義であったのか不明で、今では多くは失われています。カタリ派と同じ名前の清教徒ピューリタン・カルヴァン派、そして錬金術治具を加工した蒸気機関の揺籃地スコットランド。彼らの目指していた目的は同じです。
カトリックは持つ者の失う恐怖に覆われ、恐怖の表現形の迫害を取らざるを得ませんでしたが、その後、絶対王政と議会が争い、悪性インフレ発生とアステカ金の争奪、新大陸と戦争債務と衛生観念が発生し、病原菌を封じ込めることに成功します。

人の魂のありかは解らなくなり、最初から神によって救済者は決まっているから、生活の富を稼ぐ活動(天職beruf)に費やす方がマシ(マクスヴェーバー1864-1920)、名声、権力に向かう力を求めるべきだ(ニーチェ1844-1900)と、逆方向に振れてしまったのが現代資本主義の社会学的考察です。
魔女達は、権力や富を求めないために、権力者の恐怖の矛先に向けられ、カトリック教会によって作り出された幻想になりました。悪魔は存在しないものの、確実に、恐怖の中に存在していた歴史でした。

【ナビゲーター・ラケル】
ラケルはイスラエルが恋い焦がれた妻で、ユダヤ人ベニヤミン族系統の母。エレミア書の預言から、子を失う母の嘆きを象徴します。魔女狩り文書に登場することで、子を失う母親の嘆きの矛先を、当時のカトリック教会が探していた様子がうかがえます。英語圏ではレイチェルになります。






