サタン「(ヨブは)利益もないのに神を敬わない」に対するヨブの信仰の物語です。三人の友人の「神と和解し戒めを受け入れれば神は守る」は誤りで、ヨブは「人の子による永遠の生命を、この塵にいただき感謝する」に到達します。
勇者ヒンメルイエス様なら、そうしたってことだよ。
「なぜ罪なきヨブが災難に遭うの?」という疑問に、答えが返ってこないのでモヤモヤしてしまいますね。
- 創造について知っていることを言ってみろ(38:4)
- 創造から今まで、お前は生きて知っているというのか(38:21)

「サタンの挑発に乗って、それでも神か、ひでぇ」
しっくりこなさに対して、神の偉大さは説明の必要がない、ヨブの前に神が姿を現した信仰という解釈が多いのですが、ヨブは神と親しい交わりがあり(29:4)、ずっとヨブは神の正しさを確信し、三人の指摘に異論を唱えています。
この世界には不遇があり、いずれ人の子が、人と神の隔てを解決するとヨブは説きます。
- わたしを贖う方は生きておられ/~/わたしは神を仰ぎ見る」(19:25~26)
- わたしの歩みが道を外れ(たこと)は、決してない。(31:6)
- これらのことを知っているはずだ。(38:21)
- 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネ1~2)
神とともにいた贖い主が、理不尽に、人類の罪を背負うというヨブへの預言が本来であり、また、災厄はサタンのもので、ヨブを神は信頼している点に注意です。
アウラサタンの服従の天秤、魂が傾いた方に従わさせる術だ。アウラが500年の間、勝ち続けたのは、アウラの災厄が人類に神を呪わせた(不満吐露)からだ。あるいは、保身により災厄との和解をヨブが求めれば、アウラは半永久的にヨブを従わせる。
(sound only)
天地創造時に、ヨブはどこにいたか。朝に命令したか。
ヨブは反論できない。告訴は(31:35)、もう繰り返さないという。
ヨブは善でも、主には罪(40:8)がなく、災厄に文句言いません。
ヨブは、不遇を通じて人の子の救済を知り、主は正しい方だと痛感します。
なお、エリファズの「神と和解すれば、災厄を神が退ける」(22:23)は「神は災厄から守るからヨブは信じる」(サタン 1:11)のトートロジーになっています。
信仰は、探し求めている時が、一番正しいんだよ。命じられる義に、自分の信念なんて入ってなかっただろ?
驚いたね。律法では、罪人には死のみだが、悪人が栄え、無垢の民が苦しむ、魔族が人類を支配する世界を、神が送り込む人の子が打ち砕くと考えてる。
「レヴィヤタンの天秤」はヨブの罪による死、これを超えた神の赦しを、唯一人、ヨブが見抜いてた。

<ヨブ><ビルダド> ヨブがエリファズの提案に疑問を呈するが、ビルダドがたしなめる。
<ヨブ><ツォファル> ツォファルは「悪人はこうだ」とヨブを脅す
<ヨブ><エリファズ> エリファズは罪悪が原因だと強弁する
<ヨブ><ビルダド> 不信仰と不遇は関係ないとヨブは言う。ビルダドはヨブを否定
<ヨブ><ツォファル> ツォフォルは、自分の正義のために我らを批判するなと不快呈示
<ヨブ><エリファズ> 不遇な無垢の民の話を聞けとヨブは主張。エリファズは隠れて悪いことをしていたと疑う
<ヨブ><ビルダド> 神の判断を疑うなとビルダドが反論。
<ヨブ> 今の不遇に見合う罪ないと主張。
人類の罪は人の子の罪として担ったので、ヨブを責めると、贖い主を責めることになります。神は人の罪を責めないので、神に逆らったから、逆境にあるわけではありません。
神に無垢であると主張することはできない
神は正しく偽りを聞かず、知恵に満ちている
反逆者を確実に諭すはずである。
<神からヨブへ語りかけ>
神の創造した様子を知っているか
ベヘモット、レビヤタンにも勝てると思っているのか。
私の裁定を批判し、自分が正しいと主張するのか
<ヨブ>
神の御業を批判できず、変えられるものではないと悟り、自分を退け悔い改める。
<神からエリファズへ語りかけ>
なぜヨブのように正しく語らなかったのか。
ヨブに謝れば、それを受け入れ、祈るだろう。
(ヨブの資産が、以前の2倍になる)
神はヨブをたしなめます。
神はエリファズには、ヨブは正しい、お前は罰則を受ける程の間違いを主張したといいます。
信じないと地獄行きという脅しで信徒を増やすような、生やさしい教えではないのですね。
あり得ない。あれだけ体を蝕む大災厄に天秤が傾かない。なぜ災厄を与える神へ背き、病を取り去れと求めない!
※ エリファズは、神は災厄から守る存在だと信じています。サタンはエリファズには正しい。創造主の愛は、人の罪の壁を乗り越えて達するので、災厄に向き合わないと、その愛が達することがありません。ヨブには嵐の中から神が現れます。
今の不遇と自分の罪の関係について、ヨブは神に、説明を求めますが、ヨブは神を見ることで、自分は神から離れていないことを知り、遭難は神が出したものではないことを理解します。
魔族が人類を襲う理由を考えたことはある?人類が人類を襲うから、魔族は出てくるんだ。だから、逃げ回って、なんとかしろと神に言ってもしょうがない。聖霊の支援は万全だ、向き合うしかない。
神から言葉を聞かれなくなると、その人は存在しないことになります。
三人の友人に対して、ヨブが話を聞いてくれと詰め寄る場面は、罪に原因のない不遇が存在することを、無視しないで欲しいというメッセージになっています。
神への不信仰が災厄を招くならば、(ユダヤ教では)無垢な者の受ける災厄は存在しないことになります。
宗教に根ざす身分制、社会的弱者は過去に罪を犯したという因果律を非難することがあり、罪を受けた神であるイエスを否定し十字架にかけた、反キリストの原型がここにあります。
神というのは、どうしても聖職者の連中が勝手に美化していく。そしてそのうち原型すら無くなってしまうんだ。美しい神殿の中になんかいない。凶暴な魔族のところにいて、常に戦っているんだ。
エステルさん、ヨブのような苦難を経験したとき、信徒はどう生きるべきでしょう?
そうですね、不遇だから罪深いということではありません。これはヨブが正しいです。
なるほど、ゆえにイエスは、貧しい者や苦難にある人に、寛容と愛を説き、助け合うことが神の随伴者たりえると教えたのですね。苦境の者を罪深き者として見下すのは誤りであるとも。
人類はどうして、魔族から逃げ回って無病息災のヤツが、魔族と戦って満身創痍のヤツを見下したがるのだろう。魔族が驚異なら、魔族に勝った勇者と、仲間と一緒に戦うしかないのにね。
最初の神とサタンの集会のシーンは、メソポタミアの宗教の世界観です。
ヨブは祭司役を果たし、律法の表現がないことから、創世記族長時代のユダヤ教習慣であると考えられています。
冒頭のヨブの財産は金銀ではなく家畜と使用人数が使っていますが、第3章では金銀が資産として扱われています。今のように、簡単に文章が作れたわけでもないので、異なる文書群を理解して、ヨブ記の編者のイメージにに合うように、組み合わせながら統合しなければなりません。


第2章のサタンの賭けと、第3章以降の論争は接点がなく、第1章と第2章で慎ましいヨブが、第3章では愚痴り始め、第38章では神から小言を言われています。サタンがドヤ顔して「ホレ見たことか」となる流れなのに、サタンが、なぜかいません。
エリフは三人より若い世代で、つい不規則発言したと取れる書き方です(32:6)。エリフの時代まで、罪がなかったのがエノクだけで、その後、エリヤが死なずに天に昇った(Ⅱ列2:11)ことから、罪がないと考えることが不信仰とされた時代の考えが、エリフの発言から感じられます。
ヨブを訪問したのは三人だけで(2:11)、神はエリフを無視して進むため(42:7)、ブロックチェーンに不整合が起きています。

【ナビゲーター エステル】

【ソフィーさんの独り言】
教会の解釈はエリフ推しで、ヨブのように怒らず、静かに待とうねと言われて終わってしまいます。
重要な指摘をヨブがしていて、無垢の民がなぜ苦しむかという問いに、思考停止してはならず、現代人は、イエスが罪を受ける意味と、イエスと共に荷を負うことを理解できる、恵まれた時代にいることを感じられます。
