こんばんは。

今年度の中学校の部の推薦図書「太陽と月の大地」は、キリスト教徒とイスラム教徒の争い渦中で引き裂かれた悲恋の物語ですが、ソフィーさんは似たような経験をしていたこともあり、また、最近の推薦図書の程度に興味があったので、手にとって、じっくり読んでみました。

【福音書館書店】 『太陽と月の大地』が、第64回青少年読書感想文全国コンクール 課題図書(中学校の部)に選定されました。 2018年06月14日
https://www.fukuinkan.co.jp/oshirase/detail.php?id=151

平易な内容でありながら難解な物語です。
こういう物語を、さすが上手に探してくるな、と思うのですが、問題意識を持たないで読むと、幻想的な物語で終わってしまい、宗教戦争は良くない、大法官はひどい人、奴隷制度は奴隷がかわいそう、宗教ってそんなに大切なものなの?と直感的に読み流してしまいます。

また、キリスト教を信仰している人にとってキリスト教は絶対なので、この物語はキリスト教に対する批判だと思う人もいるでしょう。聖書が一切出てこないので、キリスト教の悪いところだけ書いていると受け止めるかもしれません。

■本の読み方は魔女に従え
この物語は、魔女の予言が最初に方向性を示してから、予言のとおりに出来事が進んでいきます。マリアに視点を置いたり、イスラム教徒全般に視点を置いてもいいのですが、作者は魔女を通じて持論を展開し、エルナンドとマリアは幸せになるように生まれついていると言っているので、二人がなぜ幸せになるのかを考えながら読まないと、作者の意図は理解できません。読者に問題意識付けをしているのですね。

予言に出てくる太陽と月、これはキリスト教とイスラム教の黙示文学ですが、キリスト教徒の登場人物の多くは、モンデハール侯爵、アリベーニヤ伯爵、エルナンドの母アナ、マリア、登場するキリスト教徒は、親切でしっかりした意見を持ちます。

しかし、フェリペ二世のイスラム教徒追放の勅令によって、宗教間の違いを根拠にした人格攻撃が理不尽に始まり、両宗教間で保たれていた安定が崩壊してしまいます。勅令以降、理不尽という言葉が多用されます。

モンデハール侯爵がフェリペ二世の勅令施行者のドン・ペドロ大法官への反論として、互いに認め尊敬しあう人々の存在という一つの解決法を示し、エルナンドの手紙の中で、宗教間の優劣の比較が争いの材料になっていると気づきます。

先に理想像を示して、そのとおりに登場人物が行動することで、物語は壮大な構想に基づくことに気付きます。

■幸福とは、結婚して一緒に暮らすことなのか、尊敬し認め合うことなのか

単純明快な物語では、結婚して幸せに暮らしたという結末が多いですが、この物語では「互いに尊敬し認め合う」ことが、宗教戦争の解決策の一つであり、人間の幸せの姿として示されています。このグラナダの舞台では、あえて優先度の低い、結婚して一緒に暮らすという結末を捨てて、幸福を純粋に追求しています。

エルナンドの手紙において、自分とゴンサロとの争いの原因は、強さ順位のためだったと自覚し、マリアが「戦争ごっこは悪いことだから、やめて平和ごっこをしよう」と提案していたことの意味にエルナンドが気付き、物語が終局を迎えます。

■幸福は、お互いの尊重と敬意に尽きる

フェリペ二世治世下のスペインでは、キリスト教絶対主義(実際はカトリックの守護者)の中で、イスラム教徒は生活基盤が持てません。せっかくアルベーニヤ伯爵がエルナンドの生活基盤を作ってくれたので、仲良く暮らしていけそうな気がしますが、エルナンドは”奴隷”という人格を否定された立場のため、グラナダの地を立ち去ってしまいます。しっくり来ないのですね。

ここで再び、幸福とは何かという問題が頭を持ち上げてきます。
一緒に暮らすといえど、エルナンドは奴隷として人格を否定されて値付けされるという経験をしているので、これは何か違うと違和感を持ちます。エルナンドがグラナダにいれば、奴隷という立場から逃れられませんが、グラナダから離れて対等な立場になり、奴隷として買い取られた金銭をエルナンドはアルベーニヤ伯爵へ返していることを手紙は物語っています。

物語の最後は、マリアは出てこなくなるので、イスラム教側の立場で描かれていることが暗示されているのですが、エルナンドのマリアに対する敬意に満ちた文面から、作者は、幸福とは、お互いの尊重と敬意で足りるという問題意識が伝わります。

■フィクション故の問題の追及

この物語は寓話になっています。
普通の人間は、生活上の現実を優先せざるを得ないので、理想を追い求めることがなく、そこそこのところで妥協します。

教育課程の年齢では、生計や利害上の人間関係が少ないので、この物語の追求する、本当の幸福、本当の平和について、純粋に読むことができる良い機会です。

娯楽映画では、込み入った事情が入って頭が混乱したところで、敵を叩きのめすことで勝利してハッピーエンドにしたり、色々な複雑なことを考えた後、よくわからないけど、結局結ばれて結婚して終わるという安易な手法が使われますが、このような強引な結論付けを、この物語では使っていないので、幸福、平和を考えるうえでは理路整然としています。

そういった意味で、魔女の「幸せになるように生まれついた」という言葉は何を意味しているのか考えると、深い感想文が書けると思います。