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悪魔の証明-プロバチオ・ディアブリカ

 土地の所有権を、権利書、古文書とひもといていくと、際限なく文書が出てくるので、土地所有権を証明するのは、悪魔が存在しないことを証明するような、難しさがあります。

 では、2000年前にユダヤ人がシナイ半島に住んでいて、ローマ・ユダヤ戦争で土地を追われ、東ローマ、セルジューク、マムルーク朝、オスマン帝国が支配していたところに、英国外務大臣がユダヤ人に「パレスチナへ国民的郷土樹立に最大限努力しますよ」と言って移住する場合、誰の土地になるのでしょう(1915:バルフォア宣言)。
悪魔


宗教の蹉跌

 オスマンの首都イスタンブールは黒海の出口にあり、ロシア海軍を封じる要所です。クリミア半島は軍事的要所で、ロシアののど元にも関わらず、テュルク人が居住し、ギリシア正教の影響圏です。ロシアと敵対するイギリス、フランス、ドイツは、ロシアがオスマン帝国から奪取すると、返還の圧力を強め、これがクリミア戦争(1853-1856)になります。
クリミア
 クリミア戦争はナイチンゲール(1820-1910)が従軍し、直後にアルフレッド・ノーベル(1833-1896)がダイナマイトを1871年に発明するなど、戦争が近代化する前夜の時期です。オスマン帝国は完全に劣勢に転落していきます。

 バルカン半島はハプスブルグ家とロシアとオスマンを抑えると、セルビア王国が独立し(1882)、ボスニアをハプスブルグ家が編入すると、カトリック国がイスラム教徒を弾圧する構図ができあがります。セルビア人をロシアが汎スラブ独立と正教会信仰を煽り、ヨーロッパの火薬庫の名に恥じない紛争地域へと化していきます。サラエボ事件(1914)前夜です。


ドイツにおけるユダヤ人迫害の発生

 第一次大戦期(1914-1918)には、ドイツに多数のユダヤ人難民がいましたが、これはロシアのクリミア戦争敗北以降に強まった汎スラブ主義の影響から、避難する形で移住したもので、ロシアは隣接する国のスラブ民族市民に対して、独立心を煽るようになっていきました。

 スラブ民族の少ないドイツは、ユダヤ人にとって居心地が良かったらしく、1910年頃まで、ロシア、ポーランドから逃避するようになります。ところが、第一次大戦でドイツとイギリスが膠着した時期に、ユダヤ人ロスチャイルド家に対して、イギリス外務大臣からバルフォア宣言(1917年)が発行され、パレスチナに自国領を持つために、ドイツを攻撃する側に調停協力した形になったため、終戦後、ドイツ国内でユダヤ人に対する迫害が始まります。
バルフォア宣言
 このバルフォア宣言は、第一次大戦において、米国を英国側陣営につける目的で発せられているため、イスラエルに対して米国がバックアップする形で関与し、その後は産油国として存在感を増していくアラビア諸国に対して、米英メジャーが交渉する後ろ盾として変化していきます。

 その後の中東戦争が繰り返され、第四次中東戦争(1973)において、イスラエルに対してエジプトやシリア等のアラビア諸国が互角の交渉力を持つようになり、これが日本のオイルショックを引き起こします。

サイクス・ピコ協定(1916)からローザンヌ条約(1923)へ

 オスマン帝国を解体し、列強が好きなところを植民地にして、パレスチナにイスラエル建国を認めるという、ロシア、イギリス、フランスの密約で、ロシア革命(1917-1922)で帝政ロシアが倒れると、ソビエト連邦共産党は帝政ロシアの批判のために、密約を公表してしまいます。

 イギリス、ロシア、フランスの委任統治領の残りは、トルコ、ギリシャ、アルメニアで分割、クルド人は自治領を認めるという内容ですが、ローザンヌ条約(1923)では、トルコが交渉を一部優位に進めた結果、クルド人の自治領がキャンセルとなります。
histry

憲政体制への移行

 憲法は国家に対する抑止力を目的とし、議会は予算の過剰支出の抑止を目的とします。憲政体制への移行によって、無制限の軍事活動や軍事支出の抑制をして、国内紛争や他国への紛争介入を防ぐようになりますが、日本は帝政を温存していたプロイセン憲法を参考にしていました。

 各国は重火器類を増強していき、兵士の戦いから都市や城塞を破壊するようになり、目的に対して被害が不釣り合いになっていきます。民族や宗教の独立を外国から煽るようになり、大国が介入して占領する紛争が増え、安全保障の方法が変わっていきます。

 民族、宗教国家はリスクでしかなく、法治国家として、国家全体に及び管理をゆきわたらせる憲政化が進み、帝国主義、宗教弾圧に対する抑止力を備えることで、自国内の紛争と大国の介入を抑制するような国家体制が作られていきました。

 植民地を維持することで、領内の紛争の対処や他国の介入の余地が生じてしまうため、世界的に植民地を手放す流れが起こりはじめ、憲政と議会という、暴走の抑止機構の範囲で国境が決定していくようになりました。 

 神よ、帝国を失う皇帝を赦し給うな。
 コンスタンティノス11世はオスマン軍の中に消えていきました。コンスタンティヌスはビザンティオンをローマの首都とし、その終焉もコンスタンティヌスでした。

 オスマンスルタンのメフメト二世(1432-1481)は、コンスタンチノープルを包囲し、短期決戦で1453年に陥落させました。矢継ぎ早に地中海を攻略し、ヴェネチアを1480年に臣従させることに成功します。オスマン帝国を支えるイエニチェリの鉄砲隊の力は強く、当時、最強を誇った騎馬隊をなぎ倒していき、科学技術の優位性が国を左右する時代でもありました。
コンスタンチノープル陥落

イスラムの寛容

 大国を領土に編入する場合、民族、宗教、統治体系を温存した方が安定します。メフメト二世は、コンスタンチノープル総主教を自ら叙任し、都市への略奪も禁じました。司法制度も出身国のものを適用し、この制度は治外法権と言われますが、外国人は外国の法で裁くことにしました。

 東ローマ末期は、ローマ皇帝よりもスルタンに臣従する方がマシだと考える住民も多く、円滑に領内にはオスマン統治が浸透していきました。オスマン帝国は、モンゴル帝国末裔のカザン、クリミア領も編入し、多民族・他宗教国家として、地中海の肥沃な地を独占していき、1517年にマムルーク朝を滅ぼすと、地中海はオスマンの海となります。

イエニチェリ
 イスラム教は旧約聖書を聖典とし、ムハンマドが統治する過程で形成されていったもので、異教徒に対しては金銭で解決させるなど、統治に慣れた一面がありました。

 イスラムの寛容で目を見張るのがマムルーク朝です。初代女帝シャジャル・アッ・ドゥル( -1257)はカリフの後宮妾で、以後、軍人奴隷(マムルーク)がスルタンに就きます。スンニ派というのは、遊牧民が奴隷契約をして、そのまま君主になり得るという、特殊な構造があり、奴隷解放をする主人は天国行きが決定し、出世した主人のチームは、チームごと高い地位を得ることになりました。当時はペストで死が身近であったため、常に奴隷の流入を必要とし、兵士の力が国の力となっていました。

 しかし、マムルーク朝の騎馬隊は、イエニチェリの鉄砲隊に駆逐されていきます。
シャザル

錬金術と産業革命

 スコラ学によってもたらされたアリストテレス哲学では、世界は不完全であり、4大元素に、星と魂を構成する第5元素アイテールが地上に流出し、より完全に変化していくと考えていました。地は最初に地上に現れた物質で、最近に現れたものが風であり、いずれ、アイテールが注ぐことで、完全になっていくといいます。完全に近いものが金で、卑金属もいずれは純金になり、人間の魂は永遠に消滅しないとされます。

 この研究はルネサンス期のキリスト教圏を熱狂の渦に巻き込み、フラスコや試験管など、様々な実験道具を作っていきました。何年研究を続けても金はできませんでしたが、水に火を通すことで力を生み、その力を蒸気機関として利用するようになります。
錬金術
 しかし、カトリック教会では、錬金術は悪魔の学問として異端審問は判断し、魔法の一種のようにみなしていました。蒸気機関として産業用に実用的にしたものは、ジェームズワット(1736-1819)ですが、イギリスの国教会圏から外れた、スコットランドグラスゴー大学で蒸気機関を開発し、瞬く間に英国全域に蒸気機関が広まっていきます。人類は新たな生産力を得て、耕作能力を高め生産力が上がり、人口が増えていきます。土地を囲い込んで毛織物工場を作り、大量生産された物資を供給する植民地が必要になっていきます。

 こうして18世紀に入ると、西欧諸国とオスマンの科学力は逆転し、どうしてもオスマンは勝てなくなってしまいます。1768年、1792年には露土戦争で2連敗し、重病人の様相を呈していきます。
ワットの蒸気機関 【ワットの蒸気機関】


国家宗教の死

 コンスタンチノープル正教会キエフ支部はロシア正教となり、1480年に東ローマ皇帝家のカエサル血縁としてツァーリの治める、モスクワ・ツァーリ国ができます。

 モスクワ・ツァーリ国は1721年にロシア帝国と名を変えますが、この頃には諸候国連邦国家がモンゴル帝国の属国から独立し、次々とモンゴル帝国の旧領を吸収していきます。モンゴル帝国はイスラム教に傾き、東ローマ末裔家はロシア正教会を国教とします。

 不凍港を獲得するために進軍を開始し、かつてキリスト教とイスラム教の境界線であったポーランド、リトアニアで、カトリックと正教会の戦線を開いていきます。
ロシア領

 ロシアから防衛するために、オスマン帝国はイギリスと同盟して国内を近代化し、法治国家の治外法権を内政干渉の材料とされ、領内の宗教の平等を求め、植民地の様相を見せるようになりました。

 各国とも帝国化が進んでいくことで、領内に様々な宗教と民族を抱えるようになると、身分と貧富の差、宗教と身分の差が紛争化させることになりました。鎮圧のために費用が必要になり、他国から介入されると領土を失うことから、政教分離が国家の安定化に必要になっていきます。宗教は国境線として機能させることが、非効率になっていきます。

<第三の男>
 イタリアではボルジア家三十年間の戦火・恐怖・殺人・流血の圧政の下で、ミケランジェロやダ・ヴィンチなどの偉大なルネサンス文化を生んだ。


 ルネサンスは、ローマ教皇庁において、ローマ帝国が大国たり得た理由の追及を研究し、大金を使って古代ローマと東ローマを再現し、自壊していく時代です。それだけ資金を投じたにも関わらず、コンスタンチノープル陥落以降、ヴェネチアは没落していき、地中海はイスラムの海になっていきます。

十字軍(1095-1272)と聖遺物

 アカデミアのソクラテス(BC470-BC399)の後継者プラトン(BC427-BC347)は、身内ひいきがひどかったため、アリストテレス(BC384-BC322)はアカデミアを見限り、マケドニアのアレクサンドロス(BC356-BC323)を訪れます。この選択が功を奏し、ローマでキリスト教会がギリシャ哲学が弾圧される一方、オリエント地方でアリストテレス学問体系が発展していきます。イスラム圏でアリストテレス学問は生き続け、イブン・シーナという医学体系を作ります。
アリストテレス 【アリストテレス:Wikipedia画像】

 東ローマが1000年も続いたのは、中東地域の肥沃の地によるもので、エルサレム巡礼者が帰国すると、中東地域の科学の先進性と裕福さが伝えられ、旧西ローマ地域で東ローマへの羨望が集まっていきます。新興セルジュークに、エルサレムを含む領土が蚕食され、一方で、ローマ教皇庁や神聖ローマ帝国は信仰心を煽り、エルサレム奪還と同時に、コンスタンチノープルの上位に立とうと画策します。

 1096年当初、数で圧倒する十字軍がエルサレムを奪還し、東ローマの旧領土を取り戻します。しかし兵站が存在しないため、略奪が横行し、十字軍国家は東ローマと領土争いを始めます。また、エルサレムの手柄を確保するために、すでに1000年が経過して風化しているはずの聖槍や十字架が多数発見され、いずれもローマ教皇管区に聖遺物として持ち込まれます。
十字軍
 第4回十字軍ではコンスタンチノープルをヴェネチア商人が占領し、亡命王朝とヴェネチアの抗争期に入っていきました。亡命王朝はコンスタンチノープルを1261年に再度奪還しますが、この時点で、貿易権がヴェネチア商人に握られてしまい、国庫が空のまま統治をして衰退していきます(1261-1453)。

イスラム・モンゴル帝国

 13世紀に成立したモンゴル帝国は、1240年のポーランド侵攻から膠着状態に陥り、南側は東ローマに侵入し、この前線がイスラム教圏とキリスト教圏の境界になっていきます。

 モンゴル帝国は、多民族・多文化を排他せず、吸収・習得する形で国家運営を行います。ユーラシア大陸全域にわたる帝国を運営するために、宗教の解釈に踏み込んで介入することに関心を持ちませんでした。

 モンゴル帝国下のテュルク人オスマン一世が独立していきますが、中央アジアの遊牧民は、より肥沃な地を求めて移動していくため、何度も何度も、津波のように東ローマやポーランドへ侵攻していき、ついに1000年以上も続いたビザンチン帝国は、1453年にイスラム教徒に首都を明け渡します。
モンゴル進軍

ローマ教皇によるローマ復興とペスト・パンデミック

 西ローマ教皇庁は、荒れ果てていたローマの復興のため、かつて存在した、ローマ帝国の情報を東ローマに求め、多くの文献に基づいて、大帝国となった歴史が研究されていきます。また、東ローマの建築様式を吸収し、莫大な予算を使い、天国の如くに荘厳なコンスタンチノープルから、競うように財を投じてローマを装飾していきます。

 スコラ学という、不明なことは、みんなで議論して決めようという神学は、イスラム・アリストテレス文化はキリスト教文化に統合できそうだと考え始めます。トマスアクィナス(1225-1274)は、神の理性が哲学を理解させてくれるという理屈で、アリストテレス学問体系を神学の中に強引に押し込みます。このような文化の平行輸入活動を、ダンテ(1265-1321)は著作の中で「ルネサンス」という言葉で表現しました。
トマスアクィナス 【トマス・アクィナス】

 大きな資金が動く時代は、大きな資金を動かせる人物、特にスペイン名門ボルジア家のアレクサンデル6世(1431-1503)が、金で枢機卿を買収していき、ローマ教皇庁を金と色で染め、キリスト教会を政治に傾倒していきます。教皇庁の財政出動と低俗化に歯止めがかからなくなり、芸術に対して湯水の如くに財を投じていきます。

 同時期、モンゴル軍がもたらしたペストパンデミックが広がり、神に救いを求める人々が、全力を使って建築物に経済と精神を注ぎ込みます。ローマ教皇も政治抗争を繰り返しながら、莫大な資金を投じていくうち、レオ十世の頃に、教皇庁の金庫が借金まみれになってしまいます。

 万事窮する教会は、神への救済を求め、サン・ピエトロ寺院建築を開始し、その費用に充てる資金として贖宥状の絶賛キャンペーンを始め、人間の罪ポイント制度を煉獄というシステムに入れ込み、寄進ポイントによりキャンセルアウトさせるシステムを考案します。
旧サンピエトロ寺院


カトリック教会の没落と正教会の四散

 アタナシウス三位一体説に基づくキリスト教宗派のローマ教皇組織体系をカトリックといいます。国家は衰退しても、キリスト教は残り続けたため、国王の命令には従わなくとも、教皇回勅政令に従う信徒が多数いました。教皇庁が王を破門すると王が困ってしまう事態まで起こり(カノッサの屈辱:1077)、加えて、異端審問という司法機能まで持ち始め、強大な権力を手中に収めていました。

 資質のない国王や教皇であっても、教会の後ろ盾により国家運営ができるため、国家はカトリックと一体化していきます。しかし、それはキリスト教圏という前提であり、1453年にコンスタンチノープルがオスマン帝国によって陥落すると、正教会は消滅し、ヴェネチアの地位が低迷し、オスマン帝国が地中海を手中に収めるようになっていきました。コンスタンチノープル陥落後は、キエフ支部がロシア正教に成長していきます。
コンスタンチノープル

こんにちは。
なのは~なばたけ~に いり~ひうすれ みわた~すやまの~は かすみふかし~
ソフィーさんの家の隣は市有地ですが、荒廃抑制のために緑肥のアブラナが播かれているため、菜の花畑になっています。春が訪れると、一面が黄色くなり、彩りがキレイです。連休中は本格的に暖かかったので、春に入ったかもしれません。春分の日ですし。


市有地なので害虫駆除はしてくれないから、気を抜くとヨトウムシやナメクジが這ってくることがあります。そのため、米ぬかと燐酸第二鉄を常備して、敷地境界に防衛線を張っておきます。猫ちゃんがいるので、メタアルデヒドのような強い薬が使えません。
イメージ 1 市有地の菜の花畑

こちら、ヒメシャガも新芽を吹き出し始め、春の訪れを感じさせてくれます。ヒメシャガは、冬の間に枯れた葉の下から新芽が出てくるらしく、ちょっぴりと先端が緑色になっています。今日時点で、4株のヒメシャガのうち3つが芽が出てきました。
イメージ 2 ヒメシャガの発芽

しかし、四株のうち一つは、草むしりが趣味の家族が雑草だと思って抜いてしまったようで、まったく新芽が出てきません。根が残っていれば生えてくると思いますが、植物が生えていた方が雑草が生えないと言っても聞いてくれず、庭をツルッツルの状態にしたがります。タグがたくさん必要です。
(ノ_-。)

百日草の種まき土比べを温室で続けた結果、パーミキュライトとパーライトだけの種まき土は全滅し、ロックウールが一つが徒長しすぎで枯れ、ジフィー種まき土の大部分残っています。温室は病原菌が繁殖しやすい温床になるので注意が必要です。それにしても、ジフィーのピートモスの抗菌能力の高さを思い知らされた印象です。
イメージ 3 土の衛生は大事

ソフィーさんは、百日草の発芽期間の三日で発芽するという短さに興味を覚えたので、今度はジニア・プロフュージョンの種を播きます。450円と少しお値段が張りますが、このサラブレッド感あふれる種の梱包物がすごいです。中を見るとピートバンでの種の育て方解説...宣伝じゃん。
(๑˃̵ᴗ˂̵)و
イメージ 4 ただの種としては豪華

袋を開けて数えてみた種の数67個、育つ苗の数20本、これは間引きも入れての数なのでしょう。とりあえず40個をプラグトレイに播くことにしました。

こんばんは。
今日は四季なりイチゴの定植をしました。
種をプラグトレイに撒いて153日ですが、冬を挟んだだめ小さいです。本葉も大きくなってきたので定植することにしました。

最初に定植先に穴を開けて、苗が来るのを待ちます。
次に、プラグトレイの端にスプーンの柄を突き刺して、グググとスライドさせます。

写真が撮りづらかったので画像はありませんが、上手に羊羹のようにスポット抜けました。スプーンの柄がソフィーさんは一番使いやすく、土を少し盛るのも種まきもスプーンだし、とにかく便利。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3

さっきの穴に苗を差し込んで終了。

ジフィー土とバルク土とロックウールの発芽比較

花期の長い植物を物色したところ、百日草の矮性種(スウィズル)が良さそうなので、先週播種しました。非常に発芽が早い植物ですが、ただ植えるのはつまらないので、苗床の土を変えて撒いてみました。

百日草は好光性の種なので、直まきをしています。
一つはサカタのタネさんのジフィーシリーズ「かんたん挿し芽種まきの土」、4Lで600円と少し高め。比較として[バルク]挿し芽種まき用の土15Lで600円(袋破損につき3割引き)、ロックウールです。

バルク品は刀川平和農園さんの、パーミキュライトとパーライトと鹿沼土の混合で、ジフィーシリーズに比べるとピートモスが入っていません。土で変わるのかなと思って試してみました。
イメージ 4
左から、バルク、ロックウール、ジフィー土です。

一週間で比較すると、ロックウールが全て発芽のうえ成長が早く、ジフィー土が概ね成長が早く、バルク種まき土が最下位。でも、それほど極端に違うわけではないので、難易度が高くないものはバルクで良さそうです。

ロックウールは雑菌に強いので衛生的ですが、逆に土の中で分解されないので多用はできません。ジフィー土はピートモスが発芽しやすさになっているのかもしれませんが、高いだけのことはあります。バルク種まき土も、発芽しないわけではないので、難しくない種は安い土でも良さそうです。

それと、フロックスは土に直に撒いた方が発芽は早かったです。これが3週間目ですが、プラグトレイのものは発芽していません。やっぱり、種によって性格が違いますね。
イメージ 5

こんばんは。
ソフィーさんは縁あって被災5年目の浪江町に行ってきました。
イメージ 2 駅前は解除準備区域

これが浪江駅前の写真。
googleのストビューでも似たような画像が見られるので、ありがたみがないですが、人っ子一人いない駅前は寂しいです。
イメージ 1 駅前は震災当時のまま。影は同職場の人

少し駅前を歩いてみると、崩れかかった家や建物が並んだ町並みです。
まだ帰還できないので、復興に着手できていない状態です。本当に時間が止まってしまったかのようです。
イメージ 4イメージ 5

少し海の方へ移動してみると、海岸沿いは津波の被害もあって、廃墟と流されてしまった畑があります。
イメージ 3 手前の広場は津波で流された畑

まだ、震災は終わっていないのだと伝われば幸いです。

こんばんは。
ソフィーさんの会社のメールはOutlook2013ですが、サーバー容量が500MBなので、個人用フォルダに保存しないと、すぐに超過してしまいます。

× メールボックスがいっぱいです

今日は、調子に乗って個人用フォルダにサーバー上のメールアイテムを保存していたら、異動後2年経過したところで上限の15GBを超えてしまい、受送信ができなくなってしまいました。やばっ!

イメージ 1

保存しようとすると、画像のように
このアイテムを移動できません。Outlookデータファイル D:\Outlook\XXX\archive.pst は最大サイズに達しました。このファイル内のデータ量を減らすには、不要なアイテムを完全に削除してください。
と出てくるだけで、移動ができなくなってしまいます。
イメージ 4

新しいOutlookデータファイル

大規模に個人用フォルダのメールを削れば良いのですが、膨大な数になってしまうことと、今後は頻繁に削除しなければいけなくなるため、非常に管理が大変になってしまいます。

意外とネットを探しても対応方法がヒットしないので、ここに対応方法をメモしておきます。良い方法が見つかれば、ここの記事を後でアップデートします。

現状、個人用フォルダファイル(*.pst)をもう一つ増やすことしか方法がありません。
「すべてのOutlookアイテム」を検索でもヒットしたので、検索は有効なのでしょう。

方法は、[ホーム]タブの[新しいアイテム]の[その他のアイテム]の[Outlookデータファイル(F)]をクリック

イメージ 2


個人用フォルダファイルを作成。ソフィーさんの場合、"archive.pst"がデフォルトのファイル名ですが、今回は"archive02.pst"を作成しました。

イメージ 3

受信トレイと送信済みアイテムフォルダを作成して、今度はそちらに保存をすると、メール受送信が可能になりました。

こんばんは。
冬の寒さで地上部がほぼ枯れてしまったイチゴでしたが、暖かくなってきたおかげで、復活して花芽が出てきました。
イメージ 1 右ポットの水苔が緑色化

年末に炭疽病で危篤状態になったイチゴ達ですが、紫外線、納豆菌、米ぬかを使ったりしたものの、炭疽病は雨が続いてしまうと激しく発生してしまうため、一時期は全滅を覚悟していました。

さらに寒気が来て葉が枯れ始めると、炭疽病どころか葉そのものがカサカサになってしまい、全滅の様子を見せていました。

とりあえず雨が問題で炭疽病になるので、ミニ温室で雨を防ごうと温室に入れ、灯油ランプで暖を取って暖めてきた結果、このとおりすべての苗が残っています。

土の中にも菌が残っていると考え、消毒効果と保水効果を期待して水苔をマルチングに敷いてみたこともあって、炭疽病は完全に防除ができているようです。

ところで、水苔マルチをよく観察してみると、ところどころ緑色の箇所があり、特に右ポットは緑が多く、水を吸って植物として復活をしているようです。この復活した部分の上にある黒い粒は発酵油かす肥料ですが、ホームセンターの水苔は乾燥して圧縮しただけなので、水と肥料を与えたことで植物として息を吹き返しているのですね。

イメージ 2イメージ 3
ナデシコはジフィーポットに播種して2週間が経過したものですが、100%のポットで発芽しています。ナデシコの発芽率はステキな結果ですが、日本で古来から育ってきた植物なので、風土に合った植物なのでしょう。育てやすさを暗示しています。

右の写真はポットの流出土砂の画像ですが、ソフィーさんの場合は流出が少しあります。下にかかる程度の腰水をすることで、毛細管現象で吸い上げてくれるもののようなので、水が多すぎたのでしょう。

イメージ 4
ジフィーポットを観察してみると、所々カビが生えて白くなっています。ジフィーポットは欠陥品なのだろうかと思って苦情でも言って差し上げようと思ったのですが、これは放線菌という抗生物質を発する善玉菌のようです。放線菌にはストレプトマイシンを生成するものもいるように、ジフィーシリーズは病気対策としてはよくできた商品のようです。40個入りで500円くらいするので、1個12円程度と値段が高いのが玉に瑕です。



以上の内容はhttps://sophie-mercure.blog.jp/archives/2016-03.htmlより取得しました。
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