こんばんは。
もう、なんていったらいいのかわからない。
かなしいとか、さびしいとか、
そういったかんじょうはたしかにあるんだけど、
あたまのなかがまっしろになるかんじで、
なにもかんじないかんじ。
どんなことばでもあらわせられないようなかんじ。
さいしょにえっくすでじょうほうをみたときは、
がせねただとおもった。
たいちょうふりょうでしばらくやすむというにゅーすがあったけど、
たいちょうをくずすのはしかたがないもの。
にんげんだもの。
そう、おもってた。
だから、ぜんぜんきにしてなかった。しんぱいしてなかった。
それが、がせねたじゃなかった。
それがほんとうにざんねんだし、むねんだし、くやしい。
やきゅうせんしゅだったら、でんどういりするだろう。
というか、こくみんえいよしょうをあげてもいいとおもう。
それくらいすごいことをしてきたのだ。
やくるとふぁんじゃないひとでも、
やきゅうにきょうみがないひとでも、
しっているひとがおおい。
かくいうぼくも、べつにやくるとふぁんでもないし、
(ふぁんくらぶにはいっているけど、
おくがわくんがいるからはいっているだけだし)
ぷろやきゅうもそこまですきでもないけれど、
すきだったし、あいちゃくをもっていた。
だから、このぶろぐでも、きゃらくたーとして
なんかいもとうじょうしてもらってきた。
これからもとうじょうしてもらう。
それは、もちろん、こんなことがあったからということなんか
いっさいかんけいなくさいしょからそのつもりだった。
あまぞんでちゅうもんしたやつだけど、
たしかぼくがいちばんさいしょにかったぬいぐるみだし、
いまはぴかちゅうさんもいるけれど、
たぶんもうそんなにかわないだろう。
もともとぬいぐるみはかわないしゅぎだもの。
べつにりゆうはないけれど、
とくにおいておくひつようはないかなあとおもってるからかわないだけ。
さいしょからどうせつかわないだろうなあとおもってたから、
かうのやめとこうかなあともおもったけど、
さいしゅうてきにぽちるよういんになったほど、
あいちゃくをもっていたんだろう。
そんなことができているほかのきゅうだんますこっときゃらくたーはいるだろうか。
いたとしても、あっとうてきにまけているだろう。
おおやまのぶよさんのどらえもんといっしょだとおもう。
どらえもんはいまでもいるけれど、
もうおおやまのぶよさんのどらえもんじゃなくなってる。
だからどらえもんだけど、どらえもんじゃない。
ぼくはそうおもってる。
やくるとすわろーずのひとたちがどういったはんだんをするかわからないけれど、
つぎのひとにけいしょうするとしても、
それはもうつばくろうであってもつばくろうじゃない。
ぼくはそうおもってる。
いつか、いつのひか、このあしあとのさきに、つばくろうがいなくなったら、そらをとんだとおもってくいださい
おくりびとというえいががある。
そのえいがのえいごばんのたいとるはでぱーちゅあーとなっている。
にほんごにやくすとたびだちとなる。
おわりではなくて、あらたなるすたーと。
それをいみすることばだとぼくはおもう。
だからかなしいわかれなんかじゃない。
えがおでまえをむいておくりだす。
それがたびだちなんだ。
まだはやいじゃないかとおもってたけど、
しらべてみるとつばくろうさんがでてきたのは1994ねんから。
だから31ねんたっている。
そうかんがえると、はやいとはいえないのかもしれない。
どんなけしきをいままでみてきていたのかはわからない。
うらでどんなくろうがあったのかもわからない。
だから、まだはやいじゃないかなんてきがるにいえるもんじゃない。
でもやっぱり、さびしいな。
もうあえなくなるとおもうと。
だからあいにいってきた。

じぇいあーるのしなのまちえきのかいさつをでて、
でぐちのほうへとむかってあるくとすぐひだりてに
あとれしなのまちというえきびるがある。
そのいりぐちまえでおでむかえしてくれる。
ここの2かいにつばくろうじんじゃがあるらしい。




(おそなえものにびーるがおいてあるけれど、ぼくがおいたものではありません)


ほんもののつばくろうさんにあえました。
ついでにせいちじゅんれいもします。








ぽけもんますたーのさとしもまたあらたなたびのすたーとだ。
てきなかんじでおわったよね。
まんがとかでも、おれたちのたたかいはこれからだというのでおわる
というていばんがあるよね。
だから、つばくろうのものがたりもまだおわってなんかない。