論理学由来の用語だが,本来の定義を離れた使われ方をしている用語がいくつかある.当然,学術用語として用いていないことが明らかな場合においては,本来の意味を離れた使われ方をすることに特に問題はない*1.それどころか,学術用語が日常において異なる意味で使われること自体が興味深い言語現象である.
この記事はそういう論理学の用語の使われ方のうち,わたしが知っているものの一覧である.(2025/04/01 改訂)
- 論理学的でない「論理」
- 論理学的でない「演繹」と「帰納」
- 補遺:論理学における演繹と帰納(2025/01/21 追加 2025/4/1 最終更新)
論理学的でない「論理」
論理学は推論(inference)・論証(argument)を研究する学問と説明されることが多い.実際,形式論理学において「○○論理」と言われるとき,何らかの推論(多くの場合は演繹)やその列と思えるような記号列を指していることが多い.また,非形式論理学においても議論で使われる推論・論証の形式が主題になる.
しかし,世の中には推論や論証が関わっているとは到底思えないか,逆にそれ以上の強い条件が想定されているとしか思えない「論理」の使用例がある.
「物理」に何らかの意味で対照を為す語としての使用例(2025/1/21 最終更新)
「論理」はときに「物理」に何らかの意味で対照を為す語として使われることがある.「抽象的な」くらいの意味だろうか.
(サーバーの)論理的分割
サーバーの仮想化の方法の一つとして,「論理的分割」という方法がある.雑に説明すると「同じコンピュータの上でハードウェアのリソースを共有しているが,それぞれ違うマシンであるかのように振舞わせる」手法のことを論理的分割と言う.詳しいことは次のページでも見てくれ.
参考:論理パーティショニング型 | セラクコラム
「理屈」という意味の使用例(2025/01/21 最終更新)
「論理」はときに「理屈」などの意味で使われる.
数の論理
「それは多数派の論理だ」などと批判されたことはないだろうか.おそらく,「多数派にとっては有利な考え方,意見だろうが,それは少数派に負担を押し付けているだけで,負担を押し付けられる少数派のことを考えていないものだ」というような意味の批判であろう.「数を根拠にした理屈」という意味で「数の論理」という言葉は使われているように思われる.
組織の論理
「組織の論理」は「数の論理」の「多数派」が何らかの組織になっている場合に「数の論理」と同様の意味で使われることがある.つまり,「少数派にデメリットを背負わせて,組織(多数派)が利益を得るための理屈」の意である.ビジネスロジック
ビジネスロジックとはプログラムの処理手順の概略のようなものを指している.正直,人によってその指す範囲が異なるので次のページを参考にしてほしい.
参考:ビジネスロジック - Wikipedia
「(わかりやすい)議論・論証(の展開)」という意味の使用例(2025/01/20 最終更新)
「論理」は「(わかりやすい)議論・論証(の展開)」という意味で使われる.この際,単に「言明間に支持関係がある」以上に「(その支持関係の)わかりやすさ」を含んでいることがあるように思われる.この場合,通常論理とは切り離して捉えられるレトリックについての条件を含んでいるようにも思われる.
論理的な文章
「論理的な文章」を書くアドバイスとして,「『思う』ではなく『考える』などと書け」「一段落に一つキーセンテンスを置け」などのアドバイスがされることを鑑みると,「言明間に支持関係がある」以上により強いレトリカルな条件を含んでいるようである.このレトリカルな条件が国家・文化圏・言語圏間によって異なっていることがたびたび指摘されているようだ.
参考:Contrastive rhetoric - Wikipedia
「感情・情動に対比されるもの」に何らかの意味で対照を為す語としての使用例(2025/01/14 最終更新)
「論理」はときに感情に対比されるものとして扱われる.
「合理的(である)」という意味の使用例(2025/01/15 最終更新)
「論理」はときに「合理的」という意味で使われる.
「科学(的である)」という意味の使用例(2025/01/15 最終更新)
「論理的」はときに「科学(的)」という意味で使われる.
意味がよくわからなかった使用例(2025/04/01 最終更新)
わたしには意味が良くわからなかった使用例をあげる.
カイザー恵理菜作詞作曲『運命に賭けたい論理』の歌詞に繰り返し出てくる「論理」
カイザー恵理菜作詞作曲『運命に賭けたい論理』(トゲナシトゲアリ)の歌詞において出てくる「理性もいらない運命に賭けたい論理」や「いつか貰った強さが私の論理」というフレーズに出現する「論理」は(上ですでにあげた)「理屈」のことかと思われる.
一方,「説明書すらない運命に賭けたい論理」というフレーズが出てくるのだが,こちらがどうもよくわからない.「理屈」を意味している気もするのだが,わざわざ「説明書『すら』」と言っている以上,本来説明書が存在するものであると思われるので,どうも違う気がする.
意味とは関係ないが論理と lonely とかけたいのだろうなということは伝わってくる.
(多様な解釈を許容する文学や詩の類に出てくる言葉の意味がよくわからないことに深刻な問題があるとはまったく思わないので,文句を書きたいわけではない.純粋に「よくわからない」と述べているだけである.歌詞の意味がよくわからなくても良い曲であることは間違いない*2)(2025/1/19)
『論理的思考とは何か』に出てくる「本質論理」
渡邉 雅子の『論理的思考とは何か (岩波新書)』というやたらと売れている割に論理学的には何の価値もなく,社会学的にも価値があるとは思えない本がある.この本のキーコンセプト「本質論理」は定義不明なため意味不明である. 詳しいことは次に書いた:『論理的思考とは何か』とは何か - Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳.(2025/4/1)
論理学的でない「演繹」と「帰納」
演繹と帰納は論理学の用語の中でも人口膾炙している用語である*3.多くの場合,定義を理解していない人間による単に学術的には間違った使われ方である.が,中には共通した意味で使われている上,面白い使われ方もある.
「トップダウン」や「ボトムアップ」という意味の使用例
「演繹」は「トップダウン」,「帰納」は「ボトムアップ」という意味で使われていることがある.これらがそのような意味で使われているとき,対で使用されているようである.
『手塚治虫のマンガの描き方』に出てくるマンガの案を考える方法「演繹法」と「帰納法」
マンガはたまに読むくらいで,マンガ文化のことはよく知らないのだが,手塚治虫の書いた『手塚治虫のマンガの描き方』というマンガの作画・作劇・発想法についての本は有名であるらしい*4.この本にはマンガの案の考え方として,「演繹法(展開法)」と「帰納法」というふたつの方法が紹介されている.演繹法(展開法)は「最初の場面から話の展開を考えていく」というトップダウンな方法で,「帰納法」は「最後のオチから逆算して話の展開を考える」というボトムアップな方法である.『これ描いて死ね(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)』で最初に見かけた*5.(2025/4/1)
補遺:論理学における演繹と帰納(2025/01/21 追加 2025/4/1 最終更新)
現代の論理学における論証・論証*6は,「前提(premise)と呼ばれる言明群(命題(proposition)*7)」と「結論(conclusion)と呼ばれる(一つの)言明(命題)」のペアで「前提と結論の間に支持関係(support)がある」もののことを指す.推論・論証はおおざっぱに演繹的推論(deduction/deductive reasoning)と帰納的推論(induction/inductive reasoning)の二種類に分けられる*8.
演繹的推論とは「前提の言明群がすべて真であるならば結論の言明は真である*9」という条件を満たす推論(形式)のことを言う.帰納的推論とは演繹的推論ではない推論(形式)のことを言う*10.
次の推論は演繹的推論の例である*11:
前提1:すべての人は死ぬ.(すべての x について, x が人であるならば x は死ぬ)
前提2:ソクラテスは人である.
結論:ソクラテスは死ぬ.
このような「すべての x について,x が hoge であるならば x が fuga である(前提 1)」と「x が hoge である(前提 2)」から 「x が fuga(結論)」 を導く形の推論は「前提 1 と前提 2 が真であるとき,結論は真である」という条件を満たしている(と考えられる)ので,演繹的推論である.
帰納的推論の例としては次のようなものをあげる:
前提:この道では今まで地面崩落が起きたことはない.
結論:今日,この道で地面崩落は起きない.
「この道では今まで地面崩落が起きたことはない」からと言って,「今日,この道で地面崩落が起きない」とは限らない.実際,突然の地面崩落事故はときどき起こるが,直前までそのようなことに思いもよらないことのほうが多いであろう.しかし,この推論は前提が結論をよく「支持している*12」と考えられるので,まったく間違った推論を導いているとは言えまい.実際,なんらかの「地面崩落」の予兆がなければ「この道で地面崩落が起こる!」などと騒いでも奇異の目で見られるだけであろう*13.このような蓋然性の高い推論は世の中で良く行われており,このような推論を行うことなく生きている人間は皆無であると思われる.
さて,「論理的(推論)」というとき,ときどき「演繹的(推論)」のみを指していることがある.このような言葉遣いは,上記のような区別をよく理解していると考えられる論理学に携わる者でもときどき行ってしまう(私自身も含めて).そのためか,「論理」とは「演繹」のことを指していると勘違いされることがある.だが,実際に日常や科学で行われる推論は帰納的推論であることも多く,「帰納的推論」を使うからと言って「論理的でない」とするのはいささか狭量な言葉遣いであろう.
補遺の参考文献
用語は次を参照した.
- 論証の教室〔入門編〕ーインフォーマル・ロジックへの誘い
- Introduction to Logic
- Abduction > Peirce on Abduction (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
脚注に出てくる「アブダクションを演繹的推論でも帰納的推論でもない推論とする」立場である(パースの)三分法という用語は論証の教室〔入門編〕ーインフォーマル・ロジックへの誘いや新装版 アブダクション 仮説と発見の論理で見かけるのだが,対応する英単語がわからなくて困っている.もしかすると,米盛先生(新装版 アブダクション 仮説と発見の論理)の使い始めた用語のため,日本語にしかない用語なのかもしれない.
*1:裏を返すと,学術の文脈で本来の意味を離れた語法を行うべきではない.当然一般向けの本であってもそれは同様である.
*2:ちなみに,2024年に一番再生した曲が「爆ぜて咲く」であると Amazon music が告げてくる程度にはトゲナシトゲアリのことは好きである.
*3:演繹と帰納の意味の変遷の歴史については伊勢田先生の次のブログ記事が詳しい:Daily Life:演繹と帰納についてのノート.
*4:ちなみになぜかわからないが,我が家には石ノ森章太郎の『石ノ森章太郎のマンガ家入門 (秋田文庫 5-23)』はあった.マンガ家入門にもかかわらず,作画法については2ページしかないという不思議な本である.最近見かけていないが,家のどこかにはまだあると思う.
*5:『これ描いて死ね』シリーズは最高なので,絶対読んでほしい.
*6:推論と論証は形式論理学ではほぼ同一視されてしまっているが,厳密には異なるものである.詳しいことは『論証の教室〔入門編〕ーインフォーマル・ロジックへの誘い』や"Introduction to Logic"を読んでほしい.
*7:現代の哲学者・論理学者の言う命題は「翻訳などや些細な表現の変化によらない言明の意味内容」のことを指す.たとえば,「今,雪が降っている」と "It is snowing, now. " は違う言明だが,同じ命題を表している.そのようなものを措定することの是非にも議論はあるが,わたしはその詳細をよく知らない.
*8:アブダクション(最良の説明への推論 abduction/abductive reasoning/inference to the best explanation)と呼ばれる種類の推論を演繹的推論とも帰納的推論とも異なる種類のものとする立場もある(三分法).昨今では,アブダクションとは「仮説同士の比較検討によって,最良の仮説を選ぶ」推論で,帰納的推論の一種と説明されることが多い(たとえば,論証の教室〔入門編〕ーインフォーマル・ロジックへの誘い や https://youtu.be/Qu6FE_h3M_Y?si=9Mz48m5QUwI_fzvH&t=2748 ).一方で,アブダクションを最初に提唱したパースは(「仮説の比較検討」より前に行われなければならない)「仮説形成(hypothesis formation)」もアブダクションに含めていたため,単なる演繹的推論とも帰納的推論とも異なる推論方法だと考えていたようだ.三分法の立場を取る場合,暗に「仮説形成」をアブダクションの一部に含めていることが多いように思われる.ちなみに,たまに混乱した説明を見かけるが,「実験・観察によって仮説を検証する」という帰納的推論である仮説演繹法(hypothetico-deductive method)とアブダクションは違う形式の推論である.仮説演繹法は「仮説から予想される実験結果が得られる」ことをもって(後件誤謬(converse error)を承知で)仮説が正しいと結論する推論形式であるのに対して,アブダクションは(仮説形成の後に)「仮説同士を比較検討して,最も良い仮説を選ぶ」という推論形式である.仮説演繹法は実験・観察を(仮説形成の後に)行う必要があるのに対して,アブダクションはそうとは限らない.この点はアブダクションが仮説演繹法ほど確実な結論を得られにくいという弱点であるが,一方で,犯罪捜査・歴史学研究・宇宙論研究など容易に(再現)実験を行えない場合にも用いることができるという利点にもなっている.
*9:(実はちょっと語弊があるのだが)とりあえず「真である」というのは「正しい」を意味していると思っておけばよい.
*10:ちなみに,数学的帰納法は「前提の言明群がすべて真であるならば結論の言明は真である」という条件を満たしているため,演繹的推論である.歴史的な経緯で「帰納法」と呼ばれているせいで,この点はよく勘違いを引き起こす.
*11:この例はいろんなところによく取り上げられるのだが, 前提 1 から「ソクラテスが人であるならばソクラテスは死ぬ」という結論を導いた後に,前提 2 を合わせて,「ソクラテスは死ぬ」と結論を出しているような気がするので,実は2ステップの演繹的推論をしているような気がする.
*12:「前提が結論を支持している」ことの定義は非常に難しく,決定的な基準はいまだ得られていないようである.だからといって,「支持している」という概念は全く無意味かというとそんなことはなく,すくなくとも「『昨日の夕食はカレー』という前提から『猫は目からビームを放つ』という結論を得る」ような直観的に明らかに誤っている(前提が結論を支持していない)推論を区別することはできる.
*13:博多駅前道路陥没事故 - Wikipediaの場合,工事作業員が地面崩落の前兆に幸い気が付いたおかげで死傷者を出さずに済んだようだ.