昨年ですが祖父の戸籍の除籍証明書を取得し、眺めていると色々なことに気が付きます。
出生、結婚、死亡といった事柄について記載してあるのですが、その結婚相手の出自も記されています。
そこで頻繁に出てくるのが「山吹村」という地名でした。
我が家の先祖の本籍は長野県下伊那郡松川町生田、合併前は生田村というところで、松川町の中心部からは天竜川を渡って東岸に出て南下し、隣町の喬木村のすぐ近くのところです。
一方で山吹村というのは現在は下伊那郡高森町の一部になっていますが、以前は独立した村でした。
(地図参照)これは1911年の周辺の地図です。天龍川という文字の「川」のあたりが本籍地。山吹村という地名はやや左側に見えますが、後述するT家の位置はそこよりは東側です。H家というのはどこかは全く分かりません。

この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
実は天竜川にかかる橋を台城橋といい、現在は自動車も渡れる橋となっていますが、以前は吊り橋でした。
その橋を渡ると生田と山吹というのは隣り合ったところなのです。
そのためでしょうか、以前の通婚先を見てみると現在同じ町内となっている松川町の他の地区は出てこないで、山吹村からは何件かあるようです。
まず、高曾祖父(5代前)の伊六が娘の婿養子として迎えたのが、山吹村のH家の安吾の四男の伊六(名前が一緒)これが私の高祖父となります。
さらにその息子の熊太郎(私の曽祖父)の妻として迎えたのが、山吹村T家の豊蔵の妹のきく、
その間に生まれた息子の儀一の子の博(私の父)が妻としたのが山吹村T家の虎策の娘のりよでした。
H家、T家の関係は不明であり、また豊蔵と虎策の家が同一かどうかも分かりませんが、近世の婚姻は家の格がほぼ同一の所と繰り返されていたようですので、その可能性が強いかと思います。
こういった通婚先の固定化とも言うべき風習は、私の父が最初に結婚した戦前頃までは残っていたのかもしれませんが、その後は急速に衰えたのでしょう。
親戚の人々の結婚相手、居住地を見ても長野の地元同士の結婚であってもかなり広い範囲になっています。
自動車での移動が普通になればかつてのような近い範囲内にこだわる必要もなくなったのでしょう。
また見合い結婚であってもかつてのような家と家との結びつきという意識はかなり弱くなってしまったと考えられます。
そしてその後はそれすらなくなり恋愛結婚優勢となれば、家意識は消え去りました。
通婚先が限られた場合には遺伝病が出やすい危険性が増します。
かつては劣性遺伝と言われた、父母両方から病気の遺伝子が伝えられる潜性遺伝というものは、近親者が結婚した場合に出やすいのですが、近親結婚という意識があまりなくても同じ家同士で結婚していれば同様でしょう。
その意味では結婚相手が広範囲から選べるようになったのは良いことなのかもしれません。
私は長野由来、家内は熊本ですので、かなり離れています。
さらに子どもたちも息子は神戸出身の嫁、娘は鹿児島出身の婿との結婚となりました。
まあ、遺伝性の病気よりはるかに多いのが生活習慣病ですので、気を付けなければならないのはそちらの方でしょうが。