百人一首に関する本は多く出版されていますが、この本はちょっと変わっています。
著者がアイルランド生まれの文学者で、ほんのちょっとしたきっかけで日本にやってきてそのまま数十年。
日本文学の研究を始め、百人一首はこれまでに3回英訳して出版したということです。
そのため、この本でも百人一首の歌それぞれに対して英訳を示し、さらに3回の英訳で移り変わった部分を説明するということもしています。
私もそれほど英語に通じているわけではありませんが、「この部分はこう英訳したが別のやり方もある」といった説明を受けるとかえって本歌の意味も深く理解できるように思います。
猿丸太夫の歌、「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」は百人一首のなかでも有名なものと思います。
しかしその中の「紅葉踏み分け」るのは、誰なのかということをはっきりと認識している人はどれほどいるでしょうか。
この解釈には二通りあり、「鳴く鹿」が踏み分けているとも「人」が踏み分けているとも解釈可能です。
そして実はそもそもこの歌を作った猿丸太夫(かどうかは不明ですが)自身もどちらかに決めていたとも限らないようです。
どちらとも取れるような意味にしておくという技法もあります。
しかし、百人一首英訳本を出版しようという著者にとってはどちらかに決めなければなりません。
それを決める方向もありますが、どちらの意味も入れてしまうというやり方もあるようです。
ここに著者は日本人の自然と人間に対する捉え方というものも見ているようです。
曾禰好忠の「由良の戸を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな」も有名な方でしょう。
有名な歌枕である由良の戸から始まり、そこに舟をこぐ人を描写しているかと思うと実はその舟人が梶を失ってしまうように、「恋の道」を見失ったということを歌っています。
このような隠喩というものが、西洋では非常に好まれるのだそうです。
したがって、この歌なども百人一首の中でも特に評価されるのだとか。
一方でレトリックのない和歌というものは西洋では詩として認められないことが多く、右近の「忘らるる身をば思わず誓ひてし」のような歌は音律的には美しいものの訳すると散文的になってしまうようです。
他にも、掛け言葉が多いものや同じ音を連ねる歌(蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては」)のようなものも英訳するには苦労があるようです。
百人一首の英訳という、あまり知らなかったものに触れるとまたその和歌としての意味合いも深く考えられるようです。