父方の祖父儀一という人は私の生まれる10年も前に亡くなっていますのでもちろん顔も見たことはないのですが、話もほとんど聞いたことがありません。
わずかに聞いた話もあまり良いものはありません。
地主だったが他人の借金の連帯保証人になって破産した。
農業技術員として各地を転々とした。
それを辞めたあと商売をしたが失敗した。
といったものです。
ただし、どうやら私の父の博が祖父の商売が失敗した後に借金を負わされたということがあったようで、それであまり良い思い出が無く私たちにも話をしなかったのかもしれません。
ただし上の話もちょっと腑に落ちないところがあり、農業技術員として就職するには学校で教育を受ける必要があったはずで、借金の連帯保証人云々とはつながりません。
どうやら、曽祖父の熊太郎の事績とごっちゃになっていた疑いがあります。
そんなわけで既に両親ともに亡くなった現在では祖父の生涯をたどりようもないと思っていたのですが、たまたま父の戸籍の除籍証明書を取ることができ、それを見ていると祖父儀一の生涯も分かってきたことがあります。
先祖の戸籍(除籍証明書)取ってみました。 - 爽風上々のブログ
そんなわけで祖父儀一の生涯をたどってみたいと思います。
(なお、他人様にはほとんど必要のない話でしょうが、自分の記憶のためが主です)
祖父儀一は明治19年(1886年)12月18日、長野県で熊太郎・きくの夫婦の長男として産まれました。
戸籍を見ると他の兄弟はまったく記載されていないので一人っ子だったようです。
戸籍には出ていませんが、父の残した記録によれば農学校を出て農業技術員となり各地を転々としたようです。
そして大正2年4月1日に岐阜県神渕村の林彦吉長女なみと結婚しました。27歳の時です。岐阜県で勤務中のことだったのでしょうか。
その後、大正4年10月17日に長男博が誕生、その場所は岐阜県海津郡石津村でした。儀一29歳。
大正7年10月5日には長女綾子誕生。出生地は福島県北会津郡一箕村。儀一32歳
大正9年1月13日に次男穰(みのる)誕生。この出生地は本籍地とあります。儀一34歳。
どうやら大正7年からすぐ後に仕事を辞めて故郷に戻ったようです。
その後は農業資材などの商売をやっていたようですが、戦争が近くなりできなくなっていきました。
そして最後は父博と同居したのか、祖母なみは昭和18年に東京で死去、祖父儀一は昭和20年に仙台市行人塚というところで死去という記録が残っています儀一61歳のことでした。
私も父の転勤であちこちと引っ越しを強いられましたが、祖父の代からそうだったのですね。
それが自分まで同様になってしまいました。
NHKのファミリーヒストリーという番組が面白くよく見ますが、明治から昭和にかけての時代というのはやはり激動というべきでしょうか、多くの人が住居や職業を転々としています。
自分の祖父もそうだったのかという思いが強くします。