平安時代や鎌倉時代など、日本で中世と言われる頃には、男性は烏帽子を被り、女性は黒髪を長く伸ばしているといったイメージがあります。
実はそのような風習は平安時代に始まり室町時代には終わるのですが、その時期がちょうど中世と言えるのではないかとこの本では指摘されています。
とはいえ、それは必ずしもすべての人々に適用されたわけではなく、上流や中流の階級に限られたことであり、庶民はそういった風習ではなかったとも言われています。
その辺の事情はジェンダー観だけでなく、階級意識も大きく作用し、男性貴族が人前では決して烏帽子を取らず、被っていない姿を人に見せることを極端に避けたというのは男性という意識であるというより、庶民と見られることを嫌ったためという意味が強かったようです。
また女性の長い黒髪というものもそれ自体が高貴性を示すと見られており、日本人のかなりの程度には見られるはずの縮れ毛や黒以外の色目が強い人にも変わらずに適用される絶対基準となっていたため、苦労せざるを得なかった人も多かったのでしょう。
中世の男性には烏帽子を被る「男」と被らない「童」(わらわ)がいたということです。
この「童」は現在使われるような意味での「こども」という意味ではなく、一生元服できず一人前の男になれず、童髪のまま過ごす人々のことでした。
もしも烏帽子を被る貴族の男性がたまたま烏帽子を落としてしまうと瞬時に下層身分に見られてしまうということで、貴族としては絶対に避けなければならない事態だったのです。
烏帽子の下の頭髪には整髪料を振りかけていました。
美男石というもので、これは美男葛(びなんかづら)すなわちサネカヅラの茎から取った粘り気のある汁から作られたものでした。
サネカヅラといえば、今では百人一首にも取られている藤原定方の、なにしをはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな、で知られているでしょう。
本書著者によれば、ここでサネカヅラが出てくると当時の人たちは必ず整髪料の美男葛を思い出したのではないかということで、それを和歌の解釈にも入れるべきではということです。
中世の物語には、美女、不美女が出てきます。
しかし美女というものの条件がよく分かりません。
顔かたちなどは二の次で、当時の人たちは「髪が長い」=「身分が高い」=「美女」という判断基準を持っていたそうです。
逆に「髪が短い」=「身分が低い」=「不美女」も成り立つわけです。
「ひなにも稀な美女」などということが成立するのは中世から近代に移った後の話だったようです。
なかなか面白い着眼点から組み上げたもので、興味深い内容でした。