古代日本の神話の中に出雲が登場する場面というものがあり、そこではヤマト王朝に国を譲る出雲王朝というものが現れます。
その意味というものがあまりにも軽んじられているのではなかろうか。
そういった反省から梅原さんは出雲のあちこちを歩き回り、多くの人に話を聞いてある確信にたどり着きます。
それは、ヤマト王朝が勢力を伸ばす以前に、本当に出雲王朝が日本を治めていたことがあったのではないか、そしてそれをさほど激しい闘争はせずにヤマト王朝に渡したのではないか。
そしてその後もかなりの期間は出雲の統治だけは認められており、さらに国譲りの代償として巨大な出雲神社を建造したのではないか。
そういった推論の検証を行っています。
そこには多くの神話の中に隠れている真相を見つけ出すということもあります。
それ以上に重要だったのが、最近になって発掘された多くの考古学的資料でした。
荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡などから大量の銅剣、銅鉾、銅矛が出土しました。
出雲が青銅器の王国であったことは間違いなさそうです。
その王国がヤマトとどういう関係であったのか。
やはりヤマト以前に出雲の勢力が日本全国に力を伸ばした時代があったと見るべきでしょう。
さらに青銅器文化は大陸の影響を強く感じさせます。
出雲を建てたとされるスサノオ、そしてその後のオオクニヌシといった存在はヤマト王朝の神話の中に取り入れられていますが、実際にはそれ以上の存在であったのではないか。
大陸か朝鮮半島からやってきて出雲に上陸しそこを基点に日本全体を治めたのではないか。
しかしそのような勢力も必ず衰退します。
その代わりに台頭したのがヤマト王朝であり、それが出雲の神話も乗っ取って自らの神話の中に取り込んだということでしょう。
これまでの学説ではその点を間違えていた。
その誤りが本居宣長、津田左右吉にあり、彼らの説が広く影響したために学界全体が誤ったとしています。
そして梅原さん自身もかつては「神々の流竄」という本でその点を完全に間違えた説を発表してしまった。
それを反省したのがこの本だということです。
出雲の地から多くの銅剣銅鉾が出土したということは今では教科書にも載っています。
しかしそれで歴史の記述は変わってはいないようです。
まあまだ本居説、津田説の影響は強いということなのでしょう。