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「ナポレオン四代」野村啓介著

ナポレオンといえば日本ではほとんどがいわゆる「大ナポレオン」最初に皇帝となった一世を指し、他にナポレオンと言われる人々がいたということもあまり意識されません。

しかしナポレオン三世第二帝政において皇帝となっており、幾分かは知られているでしょう。

一世と三世がいるなら、まあ二世もどこかにはいるとは推測できます。

そして三世の息子が四世というのも類推可能です。

実は、一世から四世まではそれを取り巻く人々が彼らを担いで政権を握る夢を見たという意味では社会的存在感がありました。

それ以降も五世、六世・・と一応続くのですが、その存在の意味はほとんどありません。

そんなわけで、この本ではナポレオン一世から四世まで、その生涯を描いていきます。

 

ナポレオンと言いますが、その家名はボナパルトナポレオン・ボナパルトというのが本名ということは知られていることでしょう。

しかしナポレオンという名があまりにも大きいために後継者もナポレオンと名乗るということがありました。

そのために「ボナパルト一族」と言うべきところを「ナポレオン一族」とすることもままあるようです。

 

イタリア本土からコルシカ島に渡った一族はもとは「ブオナパルテ」とイタリア風に称していたのですが、コルシカがフランスに併合されたためにフランス風にボナパルトと名乗るようになりました。

ナポレオンは兄弟そろってフランス本土の軍学校に入学しその後も軍に入隊して軍務につくこととなります。

そこで大活躍を遂げてフランス革命後の混乱の中でどんどんと昇進しやがては皇帝まで上り詰めるという過程は良く知られていることでしょう。

 

フランス皇帝となりさらにヨーロッパ全体に勢力を広げた大ナポレオンは一族を各地の王として配置しさらに列国王族に一族の女性を嫁入らせることで支配体制を確立します。

兄ジョセフはスペイン王、弟ルイとジェロムをそれぞれオランダ王とヴェストファーレン王に、妹エリザはトスカーナ公妃に、ポリーㇴはグアスタッラ公妃にといった具合でした。

ナポレオン自身は有名なジョセフィーヌを最初の妻としましたが、皇帝となってからはより家柄の良い女性を求め、ジョセフィーヌを離別しハプスブルグ家のマリ・ルイズと結婚します。マリ・ルイズはあのマリ・アントワネットの姪にあたります。

そしてマリ・ルイズとの間に生まれたのがナポレオン二世でした。

 

しかしナポレオン一世が戦いに敗れ没落するとマリ・ルイズは息子を連れて実家に戻ります。

ナポレオン二世を再度フランス皇帝にという一派もまだ健在ですが、マリ・ルイズの父親オーストリア皇帝フランツ一世はナポレオン二世をそのような動きには関わらせず、国内でひっそりと育てさせます。

そのうちに、形だけですがローマ王という称号を与え、さらにフランツ一世よりボヘミア領内に所領を与えられ、ライヒシュタット公と呼ばれるようになります。

しかし本人は徐々に自分が大ナポレオンの後継ぎであるということを意識するようになり、フランスに戻って帝位を継ぐ意思も持ち始めます。

しかし徐々に健康を崩したライヒシュタット公は若くして病死してしまいます。

 

大ナポレオンの直系が亡くなったボナパルト家はその後継者に誰がなるかということでもめることとなります。

大ナポレオンの兄弟も何人かまだ存命でしたが、徐々にその息子の世代で後継者を争うこととなります。

そこで勝ち残ったのが大ナポレオンの弟、かつてのオランダ王ルイの息子であったルイ・ナポレオン、その後のナポレオン三世でした。

ナポレオン三世フランス帝国崩壊後のフランスの混乱の中で革命運動へ参加し、失敗し投獄されることもありました。

しかしちょうど選挙権が拡大される時期にあたり、貧困層も選挙に参加できるようになると、かつてのナポレオン帝政を支持していたその人々によりまず大統領に、そしてそこから皇帝にとなります。

彼の政治力というものはほとんど評価されることがないのですが、それでも現在のパリの街並みを整備したのもナポレオン三世の時代であり一定の内政成果というものがありました。

しかし軍事力はあまりなかったようで、自らは欲しなかったプロイセンとの戦争に国内の世論に追い込まれて突入し、あえなく敗戦してしまいます。

 

ナポレオン三世のただ一人の嫡子、ルイはすでに皇帝となっていた父の最初の息子として産まれ、称号も「フランスの子」と付けられました。

皇太子として育っていったのですが、父の没落時にはイギリスに逃れることとなります。

その後、フランス帝国再興を願う人々の期待を集めたのですが、イギリスの軍学校での教育を受けそのままイギリス軍に入隊します。

まだ混乱の続くフランス政界の事情から、ルイの帰国を望む声も高かったのですが、イギリス軍での軍務を続けます。

イギリスもルイを危険な任務に付けさせるつもりはなかったのですが、ちょうど持ち上がった南アフリカズールー族との抗争にルイ本人が参戦する希望を持ち派遣されることとなります。

そこで危険な地へ向かったルイはズールー族待ち伏せを受けてあえなく戦死してしまいます。

 

その後もボナパルト一族の中ではナポレオンの名を継ぎたい候補者が出てきますが、すでに彼らを利用するという勢力も無くなり、影響力は失われていきました。

いまだにボナパルト一族は各地に残っており、ナポレオン一世の直系の子孫だけでも130名いるそうです。

中には活躍している人もおり、フランス政界ではシャルル・ナポレオン、そしてその息子のジャン・クリストフ・ナポレオンアメリカ経済界へと進んでいるそうです。

 

 




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