中国三国時代の蜀の国の宰相として政治を支えた諸葛孔明の名は有名です。
しかし、三国志や三国志演義といったものを見る限り、主人公は劉備・関羽・張飛の三人で孔明は脇役のような扱いになってしまいます。
その登場もたいていはあの劉備の「三顧の礼」によって隠遁していたものが出蘆してくるといったもので、それ以前についてはあまり触れられることもないようです。
この陳舜臣さんの作品ではその諸葛孔明の誕生から成長も含め、生涯を描いていきます。
そのため、あまり知らなかった孔明の人生も分かります。
この上巻では孔明の誕生から劉備に仕えたのち、孫権とともに曹操を赤壁の戦いで破るまでを描きます。
後漢の光和4年(181年)諸葛珪の次男として産まれ亮と名付けられました。
その時父親の珪は泰山郡の次官である丞を勤めており任地に一人でいたのですが、一家は自宅の琅邪陽都県におり、亮もそこで産まれました。
亮には兄の瑾、弟の均と姉が一人いたようです。しかし均を産んだ時の産褥で母は死に、父は後妻を迎えました。
そして父もその数年後には亡くなり、その後は父の弟諸葛玄によって育てられます。
なお、その時すでに兄の諸葛瑾は成年に達しており玄によって養育されたのは姉と亮と弟のみだったようです。
そのため、その後の兄との仕える相手が異なる事態となります。
孔明の少年時代には漢王朝はほとんど力を失い勢力を増した者が代わる代わる政権を取るような乱世となります。
そんな中、叔父の諸葛玄は襄陽の劉表のもとに仕えることとなりますが、乱世の中では例外的に平穏な時期であり、戦争に巻き込まれることもなく成長します。
しかし諸葛玄も病に倒れ亡くなります。
孔明はその時まだ二十歳にもならない年でしたが、襄陽の近くの隆中に弟と共に住み勉学と農作に励むこととなります。
当時は比較的平穏だった襄陽には各地から戦乱を避けて人々が移り住んでいましたが、黄承彦のもとに徐庶などの青年たちも学び集い、孔明も彼らと共に語ることとなります。
やがて黄氏の娘との縁談もまとまり、孔明は娶ることとなります。
すでにある程度の名声を持っていた劉備を警戒し、劉表はさほど重要な扱いはしませんが、それでも亡命を受け入れ住むことを許します。
この時の生活が有名な髀肉之嘆の時期であり、戦乱から一時身を避けていることができました。
そしてその時に劉備が耳にしたのが臥竜鳳雛でした。その臥龍が諸葛孔明であり、彼を自らのもとに招こうとして三回訪れたのが三顧の礼です。
なお、三国志などの記述から感じていたのは孔明は当時小さな小屋に童子と二人で住んでいたということですが、実際には妻もおり弟も同居していたということでした。
少々イメージが違っていました。
その後、劉表は亡くなり後を継いだ劉綜は曹操に降伏、劉備たちはさらに奥地に逃げ延び、孫策が亡くなったことで後を継いだ孫権と同盟を結んで南下してくる曹操の軍と赤壁で戦い勝利を収めることとなります。
そこまでが上巻で描かれた孔明の半生でした。