図書館はどこの自治体にもほぼ設置され住民の利用者も多いのですが、歴史的にはいつごろからあるものなのでしょうか。
もちろん図書館が成立するためには本というものが広く浸透していなければいけませんし、それを読むことができる人がいなければ利用もできません。
日本では文書を集めた書庫といったものは古代からできていましたが、やはり広く人々が読むための本を集めたものは江戸時代に拡散していったようです。
この本ではそのような図書館の歴史について、主に江戸時代の状況を見ていきます。
その前史として、古代、中世の図書館あるいはそれに類似した施設について述べられています。
古代には中国から書物が伝来しました。漢籍と呼ばれるものと仏書です。
それらを収めた施設はすぐにできるわけですが、すでに聖徳太子が建立した寺院には経蔵と呼ばれる蔵が作られ、仏書などが収められていました。
さらに時代が下ると公家文庫、武家文庫といったものが作られていきます。
金沢文庫、足利学校といった施設にも多くの書物が収蔵されるようになります。
しかし何といっても広範囲に大量の書物が出回り、それを集めた図書館とも言うべき施設が数多くできたのは江戸時代でした。
この本ではそれを「将軍専用の図書館・紅葉山文庫」「藩校の図書館」「庶民の読書ネットワーク」と分けて述べていきます。
江戸幕府を建てた徳川家康は読書を好み、学問を重要視しました。
その個人的な蔵書を集めたのが富士見亭文庫でした。
それを三代家光が組織化し幕府直属の文庫としたのが紅葉山文庫でした。
専門の担当者も置き、蔵書の管理もすることとします。
これを利用できるのは将軍とわずかな人のみでした。
制度も整備され、貸出期間も30日と決めてそれを越えると報せが出されます。
「三十日伺」という制度だったのですが、これを出したのは将軍吉宗あてのものが多かったそうで、吉宗は多くの書籍を借り出して読んだものの、なかなか返さなかったということです。
江戸時代には各藩が藩校という教育組織を設立し、藩士の子息の教育に力を入れるようになります。
そういった藩校には書籍も揃えられますが、その収蔵のための書庫が設けられます。
学生たちはその書籍を借り出して勉強をすることが多くなります。
その書庫の本の整理のために作られた職務が「司書」という名称となったようです。
ただし司書の地位はそれほど高くなく、下働きのようなものでした。
庶民も本に触れる機会が多くなり、識字率も向上します。
ただし本はまだまだ高価で誰もが買えるものではありませんでした。
そのため本を読む機会としては、貸本屋というものが江戸市内にはできてきます。
そしてそれと同様に本に触れる場所として、本好きの人びとが集めた本を周囲の人びとにも読ませる蔵書家という人々の存在が大きかったようです。
これは江戸などの市中だけでなく農村部にも存在し、周囲の人に読ませることがあったそうです。
活字離れなどと言うことも言われますが、まだまだ本好きという人が多いようです。
その兆しは江戸時代にすでにありました。