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「外国語を学ぶための 言語学の考え方」黒田龍之助著

黒田さんはスラブ語群の専門家であると同時に言語学にも通じており、単なる外国語教師とは異なる見方をするようです。

外国語をものにするには、とにかく慣れろとかネイティブスピーカーに習えといったことが言われますが、言語学というものを基本に据えそこから見ていくとより合理的にマスターできると言うことです。

 

そういったことをこれまでも意識し、本にも書いていたのですがどうやら最近の外国語学生の中には黒田さんの意図を誤解し、外国語の習得をおろそかにして言語学に走る者もいるとか。

それでも困るということで、言語学による外国語学習について少し考え直した結果、本書を書いたということです。

外国語を学習するということをまず目標におき、そのための助けとなるような言語学の知識を置いていくということです。

 

しかし話題はすぐにあちらに飛び、こちらに飛びということになります。

 

「外国語」「母国語」という用語に引っ掛かります。

なぜ「国」が入ってくるのか。

日本、日本国、日本語というものがつながっているかのような日本ではさほど気にならないかもしれませんが、そうではない国や地域が数多くあります。

アメリカでも英語もありスペイン語もあり。アメリカに住んでいる人が英語とスペイン語を話せば「二か国語」か。

国という字は除いて使うべきなんでしょう。

 

日本で外国語を習うとき、フリガナをふることがあります。

本当はいけないなどと言われてもやはり初心者ではそれをやってみたくなります。

しかし問題はカタカナでフリガナを振ってもほとんど正確な発音にならないことです。

これは日本語のカナというものが子音と母音の組み合わせを一字とすることになっており、これを音節文字と言います。

ところがたいていの外国語、アルファベット(英語のものだけでなく)は一つの文字が一つの音に対応するようになっています。これを単音文字と言います。

世の中には子音ばかりがいくつも連続するような言葉を持つ言語もあります。

その言葉に母音も含むカナでフリガナをふっても正確な音になるはずもありません。

 

全く異なる言語を話す人々が何らかの交流をすることとなると、多くの場合それらが混ざったような言葉を話すことがあります。

その共通語をピジンと呼びますが、多くの場所で生まれたにもかかわらずほとんど記録が残ることもなく消えてしまっています。

ところが民族の混血が大掛かりに起こった場合などにそのようなピジンが固定化し一つの言葉として生き残る場合があります。

これをクレオールと言います。

ハイチにはハイチ・クレオール、パプア・ニューギニアにはトク・ピシンということばがありますが、これらはクレオールです。

ところが実は現在は一つの言語として考えられているものの、かつてはクレオールだったというものがあります。

アフリカで多くの人が使っているスワヒリ語は、8世紀ごろにアラビア語を話す商人と現地のバンツー諸語が接触して生まれたクレオールだそうです。

それどころか、フランス語も実はクレオールだということです。

ラテン語を話すローマ人がフランスにやってきて、現地のガリア語と混ざってできたのではないかということです。

クレオールといえば「崩れた」「堕落した」「下品な」言語といった印象がついて回りますが、現在の言語の多くはその側面を持っているのでしょう。

 

最終章で著者は、言語学は科学的側面が強すぎるが、自分は「浪漫主義言語学」で行きたいと述べています。

科学分析ばかりに突き進む現代の言語学では受け止められないものが浪漫主義言語学の対象となるのではないか。

ただし、これでは大学院には進めず学位も取れませんが。

検定試験なし、留学も不要、とにかく文学や小説などフィクションを読んでいく。

今の外国語会話重視の風潮はともすれば自分の意思の発信にしか重きを置いていませんが、それでは「会話のキャッチボール」ではなく「会話のバッティングセンター」です。

相手の言いたいことを受け止めるためには会話より読書かも。

 

なにしろ日本語以外には何も使えない私ですが、このような外国語に関する本は面白いものでした。

 

 




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