五足の靴とは、明治末に与謝野鉄幹が4人の学生詩人と共に九州を周った紀行を新聞紙上に発表したものです。
特に長崎や天草などのキリシタンについて訪問、調査し、その後メンバーの中の北原白秋の「邪宗門」、木下杢太郎の「南蛮寺門前」という作品のもとになったと言われています。
ただし、この文章は当時の東京二六新聞という紙上に掲載されたものの、さほど注目されたとは言えなかったもののようです。
与謝野はまだ作家として知られていたものの、他の学生たち(北原白秋、木下杢太郎、平野万里、吉井勇)は今でこそ大家として名が通っていますが当時は学生。
後から考えるほど重要な存在とは思われていなかったのかもしれません。
しかし後になって評論家の野田宇太郎氏がその存在に気付いたのが戦後昭和22年、さらに本書の編著者濱名志松氏も同じころに注目し、世に広める活動をしていきました。
もちろん、北原白秋を始めそのメンバーたちのその後の活躍から振り返ってこの五足の靴を見直したということも大きな要素であったのでしょう。
そのような経緯を含め、この五足の靴に関する資料や文章などを1983年になって濱名氏自らまとめたのがこの本です。
野田宇太郎氏の文章に続けて五足の靴の旅行の行程に従った説明。
そしてこの旅行の成果ともいえる北原白秋や木下杢太郎の文章。
さらに五足の靴の原文ともいえる新聞発表文まで収録しています。
なお、この旅行自体は福岡から佐賀、長崎を経て天草に渡り、熊本から阿蘇、という大旅行で各地を巡っていますが、編著者濱名氏が天草の人ということで、特にその旅行の中から天草に焦点を当てた内容となっています。
特にこの旅行の中でも最も重要な出来事ともいえる、天草大江の教会を訪ねてそこの神父、フランス出身のルドヴィコ・ガルニエと語らった光景は詳しく語られています。
ガルニエ神父は31歳の時に大江の主任司祭となりその後82歳で亡くなるまでずっとそこで布教に当たっていました。
五人が訪ねた頃には言葉も達者となり下男の茂助に「もぅすけぇ、よか水を汲んで来なしゃれ」と話していたと五足の靴に描かれています。
天草の後、島原から熊本に渡っていますが、その時島原から対岸の長洲に渡る船の様子が興味深いものです。
小さな汽船で航行しているのですが、長洲は遠浅で浜まで着けないので、艀(はしけ)に乗り換えて陸地に近づきますが、それでも波止場には着かず途中で止まります。
するとそこに岸の方から3,40台の人力車が海の中をざぶざぶと進んできて客を乗せて陸に向かっていたということです。
島原から長洲へのフェリーは現在でも運行していますが、大型のフェリーが岸壁まで着けます。昔はそのような設備も無かったのでしょうが、海の中を人力車というのは想像を絶する光景だったのでしょう。
巻末の五足の靴の原文収録というのもなかなか貴重なもので、この一冊で全容がつかめるものと言えます。