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「ものづくり興亡記」杉本貴司、藤本秀文、湯前宗太郎著

日本の失われた30年と言われる期間は「製造業=ものづくり」の衰退の時期でもあります。

その製造業の興亡というものを日本経済新聞の記者の3氏が取材し、まとめています。

取り上げられたものは、今治造船三菱重工MRJの顛末、日本製鉄、シャープ亀山工場の凋落、日立金属安来工場、ホンダ和光研究所というものであり、どちらかといえば「興」よりは「亡」の方が多いようです。

 

いずれも一時は世界をリードするほどの勢いがあったものが、様々な要因で衰退していきます。

 

三菱重工は国産ジェット機MRJの開発に注力していきました。

しかし旅客機には不可欠の型式証明というものが障害となり開発をあきらめることとなりました。

米国向けの旅客機には米連邦航空局(FAA)の型式証明が必要ですが、これが困難を極めました。

拒絶した係官がその理由も明確にせず、禅問答のような回答のみで長年苦しめられましたが、「ルールを決めるのも相手チームも審判もすべて米国。我々がストライクを投げてもボールと言われる」ような有様だったようです。

 

今や製鉄業は中国が圧倒的な製造量をしめていますが、その中国の製鉄所の立ち上げに尽力したのが日本製鉄、当時は新日鉄の特に君津製鉄所の技術者たちでした。

その時の中国側の担当者たちの熱意はものすごいもので、指導に当たった日本人はそのうちに中国が追い付いてくるということを実感したそうです。

しかし自動車用鋼板の特許侵害が明らかとなり、日鉄は中国側とさらにトヨタ自動車も提訴することとなります。

 

日立金属安来工場は職人肌の技術者たちが多種類の製品を作り出していました。

しかし日立本社の経営方針の転換で日立金属は切り離されることとなったちょうどその頃に品質検査の不正問題が明るみにでます。

その後、多くの製造業各社でも同様の事態となりますが、どこも自らの技術力を過信し納入先との品質取り決めよりも自身の検査を優先してしまったことが原因となりました。

事故や不良が出なかったから良いだろうでは済まないものでした。

 

多くの製造業で同じようなことが起こり、それも原因となって日本衰退が起きたのでしょう。

何かが間違っていたのでしょうか。

 

 




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