七夕まつりは今でも各家庭で行われるだけでなく、地域で開催されることもあります。
この七夕というものは中国発祥ですが日本にもかなり古い時代にやってきてそれ以来延々と続けられています。
七夕と言えば牽牛織女、あるいは彦星織姫といった伝説が思い起こされ、天の川、笹の葉、短冊に願いを書くといったことがついて回りますが、そういった風習は昔からあったものなのか。
著者の勝俣さんは古代・中世文学の研究者ですが、子どもの頃から七夕というものがお好きだったようで、七夕に関する歴史や経緯、風習などあらゆるものについて調べてきたそうです。
そういったものを広くあれこれと解説していきます。
まず第一部では「七夕伝説」というものについて、その由来、牽牛と織女の組み合わせはどこから来たのか、なぜ七月七日なのか、鵲の橋とは、天の川の意味は、七夕伝説と羽衣伝説の関係はといったことを次々と取り上げていきます。
第二部では、七夕を日本の古典文学はどのように扱ってきたか。
すでに万葉集にも七夕を扱った歌が収められています。
奈良時代中期に編まれた懐風藻という漢詩集には中国伝来の風習として取り入れられているのですが、それが和風の短歌長歌を収めた万葉集にも広まっているということは、中国の七夕があっという間に日本の民衆の間にも普及したということか。
さらに平安時代になり勅撰和歌集、宇津保物語、伊勢物語など次々に論じていきます。
第三部は今でも残っている七夕の行事について。
「梶の葉」に歌や願い事を書くという風習が今でも残っているところがあります。
この由来は相当古いもののようですが、徐々に短冊に変化していったのか。
七夕と水の関係というのも相当深いもので、あちこちにそれに由来する伝統があります。
最後に現在の七夕祭りにも触れており、仙台市、平塚市、三河安城市というのが有名ですがいずれも戦後に地域おこしの目的で始められたものです。
しかし歴史的にも古くから行われてきたのが大阪府枚方市、交野市のもので、この地域には百済や中国からの渡来人が多く住んでいたのでその頃からの伝統があるのかもしれません。
七夕が七月七日となった由来にはいくつもの説があります。
しかしそこにはやはり中国の思想が影響しており、道教ではこの日は一月七日、十月五日と並んで「三会日」として最も重要な日とされ、祖先の霊魂に出会うことができる日と言われていました。
仏教でも七月十五日を盂蘭盆会とされていますが、古くは七月七日が盂蘭盆会の始まる日とされていました。
十五日は太陰暦では満月ですが、七日は上弦の月でその関係が影響しているようです。
短冊に歌や願いを書くということの原型は梶の木の葉に書くということだったようです。
これが確立したのは平安時代末期のことでした。
鳥羽天皇の息子、覚性入道親王の歌に「かぢの葉におもふこと」をかいたという表現がありその頃には普通の風習となっていたようです。
その後、江戸時代には関東では今と同じように短冊が使われるようになったのですが、京都では昔通り梶の葉に歌を書いて、かつ川に流すということが行われていたとか。
七夕というものは今でも多くの人が思い出を持っているものでしょう。
これを「宗教行事」だとして学校での実施を行わないところもあるとか。
これは宗教とは言えないもので、その対応は非常にもったいないものでしょう。