作家の保坂正康さんは昭和史に関する作品も多く著していますが、そういった時代を対象として来た5人の作家と対談しました。
内容は題名の通りで、戦争を中心とした明治以降150年の日本の歩みを扱っています。
西村京太郎さんは陸軍幼年学校の最後の生徒ということもあり、戦争末期の末端の兵士(にもなりかけ)の行動について。
池内紀さんはドイツ文学が専門ということで、戦争についてのドイツの実情と日本の比較。
逢坂剛さんは歴史小説も多く書いていますが、戦争末期の生まれということで、自身はほとんど直接体験はありませんが、御父上が片目を失明していたにも関わらず徴兵され、「俺のところに赤紙が来るようじゃこの戦争はもうだめだ」とおっしゃっていたそうです。
浅田次郎さんの小説家としての原点は「三島由紀夫事件」そこから遡り軍国日本を話題にしていきます。
半藤一利さんは軍国を中心に昭和史を数多く描いてきただけあって、明治からの軍国化の完成を見ていきます。
「明治150年がおめでたいなんて『何をぬかすか』ですよ」という言葉が端的に示しています。
昭和10年に陸軍内部の抗争で皇道派の相沢中佐に刺殺された、当時陸軍軍務局長で陸軍の統制派のリーダーであった永田鉄山は、日本人の性格というものが現代戦には不向きだと見抜いていたということです。
現代戦には「自治自律・自主独立の精神」「強い責任観念」「堅忍持久の資質」「強靭執拗な性格」が個人個人に求められるのですが、それが日本人には不足していると。
第一次大戦以降の戦争では、機関銃など兵器の革新により兵は今まで以上に散開しながら機関銃を撃ち合う戦いがスタンダードとなっており、こういう戦いだと兵士自らの自立心が必要なのですが、相互に依存しがちな日本人は向いていないのだそうです。
密集状態での白兵突撃を最後までやり続けていた日本軍ですが、それでは機関銃の餌食となり恐ろしいほどの被害を出すばかりでした。
半藤さんの指摘では、明治憲法(大日本帝国憲法)ができたのが明治22年ですが、その時点ですでに「軍事優先国家」としての体制を先に作っていました。
憲法以前に天皇に直属し陸軍卿(のちの陸軍大臣)に優越する地位を持つ完全独立の「参謀本部」が設置されています。(明治11年)
ここですでに後に軍が振り回す「統帥権」というものが確立されていました。
これには明治維新を成し遂げた元勲、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通が相次いで死去してしまい、残ったのが山県有朋、伊藤博文という維新時にはずっと下の下級武士に過ぎなかった二人だけとなり、彼らが昭和20年まで続く大日本帝国の仕組みを作ってしまったのでした。
以前の戦争と国家の在り様を知るのは今後の進み方を見ていく上で必要なことでしょう。