リスク学者永井孝志さんのブログで「リスクと倫理その2」が掲載されました。
nagaitakashi.net「その1」に続いて、今回は「規制か自由か」「ELSI」「道徳と正義」を取り扱います。
規制か自由かという問題は、先のコロナ禍対応で嫌というほど露呈しました。
リスクをできるだけ防ぐためには人々の行動を規制しなければならない、しかし規制しすぎると人の不満がたまり、経済活動も収縮し、収入が断たれる人も出るといった問題です。
無症状の人でもどんどんとPCR検査を行って陽性の人は隔離しろなどと言う論議もされました。
現実にはそんなことは不可能だったわけですが、もしも可能だったらやったのか。
そこには相当「倫理」問題が絡んでくるわけです。
ELSIはコンプライアンスにも関係しますが、リスクの社会科学的側面ということです。
ELSIとは「Ethical、Legal、and Social Issues」の頭文字です。
コンプライアンスを日本では単に「法令順守」とのみとらえることが多いのですが、それに留まるものではありません。
新規技術では法規制が追い付かないことがありますが、その場合に
「コンプライアンス」を単なる「法令遵守」ではなくもっと広くとらえて、法規制が追いついていないことであっても、世の中はこの新規技術に対して何を望んでいるか、どんなことが起こった場合に社会は許容できないのか、世の中の倫理規範に反していないか、などを自分たちで考える必要があります。
という観点から自ら考える必要がありますが、現状の法規制のみを相手にする思考法ではその域に達することは不可能です。
人権リスクというものは刻々と変わっていきます。
多様性やハラスメントなどもあっという間に社会の風向きが変わるようです。
道徳と正義というものは倫理と同じようで違うものかもしれません。
倫理は社会の中でも行動規範、道徳は個人の行動規範と書かれていますが、本当でしょうか。
あまり明確な区分はされていないようです。
「免罪符効果」というのもあるようです。
道徳的に何か良いことをやっていると他で多少手を抜いても良いように感じてしまう。
コロナ禍の時には政府の言うとおりに「Stay Home」を守っているのだから「goto」などと言っている奴を差別・偏見しても良いなどと感じる人もいました。
有機食品を食べる人は自分自身を道徳的に優れていると考えるあまり、ボランティアに参加することが少なくなったり、社会の人を道徳的に断罪する傾向があるという研究もあるそうです。
教育を道徳的にしたいと考えるばかりで、非科学的な主張を取り入れてしまうこともあるようで、EM菌を無批判に取り入れてしまうことも起きています。
ありがとうと氷の結晶などという話もこの一つでしょう。
ネットでのデマや、中傷も正義感から起きることが多いとも言われています。
紛争というものは皆正義と正義の争いとも言えますから、身近な個人間のトラブルもそういったものが多いのでしょう。
このような倫理の網の中でリスクを考えていかねばならないということでしょう。
単に数字で決まるものではないようです。