日本の歴史上の人物には「悪人」と評される人たちがいます。
しかしその実像は通説とは違うのではないか。
著者の一人井沢さんは専門の歴史学者ではありませんが、日本史のそれぞれの部分でこれまでとは違った見方をしていくという、「逆説の日本史」というシリーズを著しています。
その立場から見ると、専門の歴史家たちといわれる人たちのいわゆる通説というものが、あまりにも固定観念に囚われすぎており、他分野の知識からみれば全くおかしなことでも疑おうとせずにいるように見えています。
そこでいわゆる「悪人」たちの真実の姿について、心理学者の和田さんを迎えて対談形式で語っていきます。
取り上げている人たちは、平将門、徳川綱吉、道鏡、田沼意次、蘇我入鹿、井伊直弼、吉良上野介、平清盛、足利尊氏、織田信長という面々です。
その「悪人説」のほとんどは、かつての皇国史観から来ており、「天皇に反逆したから悪人」といった判断基準から悪人とされているのですが、そのような観念がいまだに続いているのにもあきれるほどです。
道鏡は色仕掛けで時の女帝孝謙天皇をたらし込み、さらに自ら皇位を望んだなどと言われていますが、どうやらその実態は全く異なるようです。
仏教を学ぶ段階ではかなり優秀な僧で、サンスクリットに通じ経典を原文で読めたということです。
さらに祈祷の力も優れていると認められ、病に苦しむ孝謙上皇を看護しました。
その時で道鏡は61歳、孝謙上皇は43歳ということですから、色の方はほとんど関係なかったでしょう。
道鏡が取り立てられた時期は藤原仲麻呂が権力を握り、藤原氏の勢力が伸長していた頃でした。
仲麻呂はその後乱を起こして自滅しますが、そのような藤原氏の勢いを抑えようとして孝謙上皇は道鏡に頼ったのかもしれません。
しかしその後は藤原氏側が盛り返し、その後も権力を握ったために道鏡は一方的に悪人に仕立てられました。
田沼意次は賄賂の帝王であり、とんでもない金まみれの政治を行ったと言われます。
一般に江戸幕府の最大改革といえば、八代将軍吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革と言われています。
しかしそれらは農業重視というよりは「農業偏重」ともいうべきものであり、幕府創業時の米本位制をてこ入れし元に戻そうというものでした。
徐々に貨幣経済が広がっていた時にそれをやれば農民の不満は増すばかり、一揆が頻発します。
それを見て商業を活性化し、貿易も行って幕府財政を立て直そうとしたのが田沼だったということです。
田沼は実際にオランダ商館長に命じてオランダ植民地のバタヴィアから船大工を呼ぶように依頼していました。
かつての外洋航海用の船を作った日本の船大工の技術は失われたため、海外の造船技術を手に入れようとした模様です。
通説に挑戦する説というのはたいてい面白いようにできています。