京都大学学術出版会の理事という鈴木さんですが、最近学生からの相談を受けました。
自分の専門外の学術書が読めない。何を読んだらいいか分からないというものです。
鈴木さんは1970年代の終わりころに学生時代を過ごしたといいますから、私とさほど変わらない年代ですが、そこから見るとこの学生さんの問題が良く理解できなかったそうです。
昔の学生時代には他分野の専門書などを読む機会もあり、選ぶのもさほど苦労した覚えはなかったのですが、今の学生で何が問題なのか。
そして思い当たったのが、現在の大学生ではかつてのような教養科目受講というものが極めて少なくなり、他分野の専門書に触れる機会が減っていること。
さらにこのところ書籍類の出版数が非常に増えており、ますます選び方が難しくなっているのでは。
そういった意味で、本書では「学術書を読む意味」「専門外の学術書の選び方」そして「学術書の読書から現代を考える」と題して論じていきます。
なお、ここで言う「学術書」とは、専門家が自分の専門分野について、周囲の近接する分野の専門家や学生に読ませる意図で書かれたものを指します。
したがって、専門家が「一般読者」向けに書いたものは含みません。
さらに、ジャーナリストなどがその分野について調査し書いたものも含みません。
そして、専門家が自分の分野の学術雑誌(ジャーナル)に投稿する学術論文も指しません。
これについては巻末にその理由も書かれています。
学術の社会では専門性が一段と増し、ごく狭い専門分野の中でのみ通用するような言葉と論理で議論されています。
そんな中で近接する分野のことすら分からなくなる状態になります。
しかし専門分野の中でも他の分野の成果を取り入れることでさらなる進歩ができるということも多数あります。
量子力学を築いたハイゼンベルグは、哲学についての考察も深く、それが量子力学における「自省」を繰り広げるのに大きな助けとなったそうです。
欧米でも組織が大きくなると「サイロ・エフェクト」つまり「タコつぼにはまってしまう」効果が強くなり、縄張り争いに陥ってしまうことがあります。
「専門外による自省」が求められるところです。
専門外といっても大きなカテゴリーがあります。
1,良質の科学史、社会文化史
2,「近い専門外」の本を選ぶ
3,古典と格闘する
4,現代的課題を歴史的視野から見る本
といったものを選ぶと価値が高いようです。
最近の読書法では「多読」「速読」を勧めるものばかりが多いようです。
しかし「情報」をかたっぱしから当たるという意味では有効でも知識を確実に身に着けるためには適しません。
「本を塩もみして芯を洗い出す」ような読み方も必要ということです。
専門の発表としての「学術論文」はこのような学術書として読む価値のあるものではなくなってきました。
いわゆる「学術雑誌」に発表される学術論文は専門家の研究の成果を公表するものとしての価値が高いものですが、最近では研究者の評価の方法としてそれが利用されています。
学術論文の執筆数、それが他の論文で引用される回数などが研究者の評価方法として利用されるようになってしまいました。
そのため、そればかりが追われるようになり学術論文の内容の価値が追及されていないのではないか。
いわば「サッカー選手と野球選手の価値を、取った得点で比較する」ようなことをしています。
この本で紹介したような学術書という書籍の執筆は、このような研究者評価には使われませんが、書籍としての価値は比べ物にならないほど高いということです。
私の読書法というものもちょっと考え直さねばならないかと思わせるものでした。
なお、現在の私の読書傾向はこの本で言う「学術書」やもう少し一般向けの本などが中心となっています。
ただし、そこから「情報」を抜き出しているだけではないかという反省は必要だということでしょう。