商(殷)王朝初期の伝説の名宰相伊尹の一生を描いた作品も佳境に入ってきます。
いよいよ主人公摯を迎えようと商の湯王が動き出します。
最初は臣下を向かわせますがそれでは全く摯の家に近づくこともできず、湯王自ら赴きます。
それでも三度通ってようやく招聘に成功します。
これはあの「三顧の礼」ではないかと思ったら、どうやら有名な三国時代の劉備と諸葛孔明の話の元はこの伊尹のことから来たようです。
それはさておき、この摯の姿勢を見て夏王桀の回し者ではないかという周囲の疑念も晴れることとなります。
商に招かれた摯は夏王に派遣される商の使いとして夏の都に赴きます。
昔からの経緯もあるのですが、夏王もそれは封印して何事もなかったかのように摯を迎えます。
しかしその裏で商を葬ろうという夏王側の陰謀が進行しているのでした。
そこにはこれまで商とのつながりの強かった昆吾国の思惑がありました。
そのため、目障りな摯を除くため商に対して新宮殿の床に敷き詰める象牙を納めるよう命令し、それができるまで摯自ら南方に向かわせます。
そして彼がいない隙を狙って商王の上京を促しますが、それは商王を捕らえて獄に入れるための方策でした。
それにまんまと引っかかった湯王はそのまま夏台と言われる牢獄に入れられることとなります。
南方からなんとかして象牙を調達し、商の国に戻った摯はようやく湯王が捕らえられたことを知り、その釈放を求めて動き出します。
命ぜられた象牙をそろえたことを種に、また多くの財宝を夏王や側近たちに届けようやく湯王に対する告発は誣告に当たるということを認めさせます。
それは湯王の釈放につながるとともに、昆吾とその一党の破滅につながります。
釈放された湯王はその後体力と国力の回復に努め、それができると徐々に昆吾国などの討伐に入ります。
そしてそれはやがて夏王朝そのものに対する戦いとなりますが、もはや夏王は諸国からも見離され圧倒的な力となって商王朝の樹立に進むこととなります。
なお最後の部分は他の書にも見られるように、湯王の死後その長男次男が後を継ぐものの短命、長男の子(湯王の孫)太甲は暴虐だったため、伊尹が無理やり服喪のために押し込めその間を摂政として国を治めたということを描写しています。
伊尹の伝説がどの程度の史実を伝えているのか全く分かりません。
夏王桀の暴虐ぶりというものも商王紂のものとそっくり、湯王を捕らえて獄につなぐという話も周の文王の話とほぼ同一です。
どちらも在ったことなのか、同じように作られたものなのか。
それを作った人々の意志が込められているのかもしれません。