薄れゆく記憶を書き留めておくシリーズ、今回は運動会。
日曜日は近くの小学校の運動会が開催されたようです。
もはや縁も無くなった小学校ですので見に行くこともありませんが、小学生やその家族の人たちはそれぞれ楽しんだりしたことでしょう。
さて、運動会ですがこれは幼稚園から小中学校、そして高校でも体育祭としてやったことはかなり記憶に残っているところです。
ただし、私の場合はそれは良い思い出だけでなく辛いものもかなり入っています。
どうも昔から運動は苦手の方で、特に運動会の花形、短距離走はほとんどダメでした。
したがって、どうも運動会というのは楽しみというよりは嫌だなという印象の方が強いものでした。
記憶が残っているのは小学校2年以降の福岡での小学校のものです。
毎年短距離走は開催されていたようですが、ずっとビリ。
一度だけ一人途中で転んでしまいその子よりは前にゴールして最下位を免れたことがありました。
小学校でも冬場は持久走と称して少し長距離を走る体育の授業がありましたが、そちらは結構速い方だったので、先生が「〇〇君(私の名前)は短距離は全然だめだけど長距離は速いね」と言われたのが今でも記憶に残っています。
よほど先生の印象にも残るほど短距離の走り方がひどかったのでしょう。
昔の小学校の運動会の楽しみと言えば家族での昼食。
その時期には母が栗ご飯をおにぎりにして持ってきてくれました。
母の栗ご飯は田舎風というのか、少し醤油を入れて炊くために色は茶色くなりましたが、香りがよく美味しいものでした。
運動会の種目やその結果などはほとんど良い思い出もありませんが、弁当だけが記憶に残ります。
高校になると運動会ではなく体育祭となりました。
結構派手に実施する学校で、ベニヤ板に絵を描いて応援席の後ろに立てるといったこともあり、また仮装を競うものもあり、競技よりはそちらに力を入れていました。
大道具あり、小道具あり、衣装も作るなどクラス全員何らかの役を担当し頑張りました。
そのために翌春の大学入試に失敗するという人も数知れず、私もその一人。
それまでの仮装は大道具と衣装で行列して歩くといったものが多かったのですが、私が3年の時には少し変化を付けようとダンスを大幅に取り入れて踊る振り付けにしてみました。
私がなんとダンス指導の役を割り振られ、皆に踊り方をあれこれ教えるなどと言う冷や汗もののことまでやってしまいました。
もう50年以上も前のことですが、まだはっきりと頭に残っています。
最近も町内会の運動会などに声をかけられることもあるのですが、もう走るのも覚束なく参加は無理となりました。