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「華栄の丘」宮城谷昌光著

宮城谷さんの多くの小説では歴史的にも大きな存在であった人々が主人公ということが多いのですが、この「華栄の丘」の主人公、華元はそこまで有名な人物ではありません。

 

中国春秋時代の中原の小国、宋の国で右師(宰相)として活躍したのですが、当時は北方の晋と南方の楚の両大国に代わるがわる攻められてしまう運命に翻弄されていた頃です。

しかしその中で誠意を尽くした外交交渉を行い、最後には晋と楚の和平を取り持つという業績も上げました。

その地位と業績との対比を思えば相当な人物だったということでしょう。

 

他の史書にもいくつかの挿話は触れられていますが、その中でも最も大きなもので、華元の運命も風前の灯となったのが鄭国との戦争で虜となった事件でしょう。

 

鄭も宋と同様に中原の小国で、晋と楚の間で揺れ動いていたのですが、その時は楚に降伏し配下になっていた時代でした。

その当時の楚の王は荘王、楚王の中でも有数の優れた王でしたが、他国を厳しく支配する方法でも優れたものでした。

新たに降伏した鄭国の態度に疑念を持ち、その真意を測るためにあえて晋側の宋国を攻めるように命令します。

軍事力では宋の方が上であったため、鄭は仕方なく犠牲を出すことを覚悟で宋に攻め寄せます。

宋側も楽観的な見通しでの戦争でしたが、いざ戦いの前夜となり羊を屠ってその肉を兵士たちに振る舞います。

ところが華元の馬車の御者の名前が羊斟、羊肉では共食いになると思ったのか、羊斟にだけは肉を食べさせませんでした。

それを恨みに思った羊斟は翌日の総攻撃の際、馬車を暴走させて鄭軍の本陣にまで走り込み、華元を鄭軍に引き渡してしまいます。

総大将がいきなり虜囚となった宋軍は総崩れ、華元を取り戻そうと無理に攻め込んだ将兵たちは多くが戦死してしまいます。

虜囚はそのまま切られることも多いのですが、宋の文公は華元を決して死なせぬようにと急いで交渉を始め、多くの馬と馬車を補償として華元を釈放させることとします。

華元が宋に戻った時、羊斟はまだとどまっていました。

華元が「馬のせいだった」と声を掛けると羊は「人のせいです」と答え、その後家族を連れて国を去ったということです。

 

食べ物の恨みは怖いというより、やはりこれは部下と言えどその面目をつぶすようなことをしてはいけないということでしょう。

 

小品ではありますが、なかなかの出来でした。そのせいか、司馬遼太郎賞を受賞したそうです。

なお、宮城谷さんの他の小説では主人公は誰も眉目秀麗の美男で女性にもてるのですが、この華元のみは「目が出ていて太鼓腹」でそうではなかったようです。

 

 




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