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「太公望 上」宮城谷昌光著

商王朝(殷)を周が倒した商周革命の際に商の軍師として活躍したという伝説のある太公望、その後斉の国に封じられたと言われています。

しかしその人生はほとんど知られていません。

それを大胆に想像して小説にしてしまいました。

 

その名も太公望呂尚と言われますが、それが何を表しているかも分かりません。

通常は呂が氏族名、尚が名前だと言われています。

しかし宮城谷さんは彼を「呂望」と呼んでいます。

呂氏は羌族の一部族で呂の地に居たために呂氏と名乗ったと。

 

そして呂望はその呂氏の族長の息子であるというところから始まります。

その時の呂望は10代半ばの年ごろでした。

その当時、中原を治めていた商王朝では初めて帝を名乗った帝乙が亡くなり、その嫡子受王(紂王)が即位しようとしていました。

しかし即位の礼には多くの生贄が必要であり、それを捕らえるために受王自ら兵を率いて出向きます。

当時、生贄とするのは異民族の捕虜であり、呂氏の属する羌族は戦闘力もあまりなく、捕らえやすいものと考えられていました。

受王の率いる軍に見つけられた呂氏一族は一気にその攻撃を受け、族長などは逆らったものの殺され、多くの人々は生贄とするために捕らえられます。

ところが呂望と数名の子供たちは何とか逃げ延びます。

彼は商軍に立ち向かおうとする父親から「孤竹に逃げろ」と言い残されます。

そして父や一族を殺した受王を倒すことがその後も呂望の一生をかけた望みとなります。

 

しかし食料も武器も持たない子どもたちの集団が旅をできるような時代ではなく、様々な種族に捕らえられたり、他の部族の攻撃で解放されたりといったことが続きます。

最初に捕まった馬羌の部族には危うく商に売り渡されようとしますが、それを攻撃した鬼方の部族に助けられ、その首領からは気に入られ、見込まれて希望通り孤竹の国へ送り届けるよう配下に命じ、長い旅の果てに孤竹に入ります。

なお、鬼方の公にはいずれ仕えることを約束していました。

 

孤竹ではその近くに暮らす老人から剣術と文字を教えられ、どちらも相当な腕を身に付けます。

そしてそれが十分な段階に達したとして師匠から認められると、約束通り鬼公に仕えるために商の国の中心に向かうこととなります。

 

ところが商の首都朝歌に着いても鬼公はちょうど不在、そこで知り合った鄭汎という商人と共に旅をすることとなります。

東部に向かった鄭汎を護衛しながら旅するうちに、山賊に追われる女性を助け賊を倒しますが、その女性が呂望の最初の妻となります。

ところが子供を出産のときに妻は亡くなってしまい、子供は舅に残して初めの目標通りに商を倒し受王に復讐するためにまた商都に戻ることとします。

 

太公望上巻はこのように呂望の少年時代から青年期に入った頃までを扱いました。

 

 




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