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「『歴史』の意外な結末」日本博学倶楽部編

歴史上有名な人物や事件などいろいろとありますが、「その後」どうなったのかということが知られていない場合もよくあります。

大阪城落城で死んだ淀君」など最後がはっきりしていますが(それでも異論はありますが)分からないものも数多いものです。

 

この本ではそういったものを取り上げていますが、あくまでも気楽な読み物にしてあり、出張帰りの電車や飛行機の中で読んで暇つぶしをするといったものです。

実際にこの本にも羽田空港山下書店というカバーが掛けてあり、東京出張の帰りに買ったということが分かります。

 

日本で初めて太平洋を往復した船は伊達政宗の命で建造されたサン・ファン・バウティスタ号で、1613年に支倉常長らを乗せてアメリカまで往復しました。

しかし日本まで帰ることなく、途中のフィリピンでスペインの総督にオランダ軍との戦争のために貸してほしいと言われ渡してしまったそうです。

その後スペイン艦隊に編入されオランダ軍との海戦に使われました。

結果ははっきりしていませんが、スペイン軍が敗けたことからこの船も撃沈されたようです。

 

徳川吉宗の命で設置された「目安箱」というのはよく知られているものでしょう。

それは将軍が代わった後にも長く使われました。

最終的に廃止されたのは、明治になってからの明治6年、「上書建白は集議院または地方庁に差し出すべし」というお触れと共に無くなったのでした。

 

戦いなどで敗れ、ほぼ確実にそこで死んだと思われる場合でも、庶民の願いとして「別のところに逃げ延びた」という伝説が生まれることはよくあることのようです。

西南戦争西郷隆盛大塩平八郎壇ノ浦の戦いの後の安徳天皇大坂の陣の後の豊臣秀頼など、遺体が確認できなかったり、それは影武者だったという理屈をつけたりして、逃げ延びたと言われるのも庶民の人気のあった人物が死んだとは思いたくないという気持ちから作られた伝説でしょう。

まあほとんど真実ではないのでしょうが、一つくらいは事実もあったのかもしれません。

 

 




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