日本で方言といえば語彙の差、つまりその地特有の言葉の意識が強く、方言学という分野でももっぱらそういったことが扱われてきました。
しかし、本書著者の小林さんは新潟出身、澤村さんは山形出身でどちらも仙台で学びその後東京や関西に移っていったのですが、その地に行ってみるとそれまで慣れていた「ものの言いかた」と全く異なるしゃべり方をする人たちばかりだったそうです。
確かに語彙の差というものは大きいかもしれませんが、それ以上に話をする上での態度の差というものがかなり大きいのではないか。
そういった観点から研究を進めてきているということです。
なお、言葉が違うということは方言の違いと意識され、「あの人は東北出身だ」といった判断が為されますが、「ものの言いかた」が違う場合に出身地の差ではなくその人個人の性格と見なされることもありそうです。
たとえば、関西出身の人は「おしゃべりで軽薄」と見られたり、東北出身の人は「無口で暗い」と見られたりといったものです。
これらも方言の差という見方をすればこれまでとは違う印象で見られるかもしれません。
こういった見方はこれまでなかなか検討されたことがなかったようです。
そのため、著者は各地の事例の紹介をするだけでも読者の興味を引くだろうとは思ったということですが、それ以上にそういった現象面の紹介だけに止まらずそういった現象を引き起こす原理のようなものにも迫ってみたいという方針で書いていったということです。
最終章にまとめとして載せられているものが本書の構成を表しています。
第1章 口に出す地域と出さない地域がある。 発言性
第2章 決まった言い方をする地域としない地域がある。 定型性
第3章 細かく言い分ける地域と言い分けない地域がある。 分析性
第4章 間接的に言う地域と直接的に言う地域がある。 加工性
第5章 客観的に話す地域と主観的に話す地域がある。 客観性
第6章 言葉で相手を気遣う地域と気遣わない地域がある。 配慮性
第7章 会話を作る地域と作らない地域がある。 演出性
そしてこういった差を産み出したのはやはり人々が密集して暮らし、人との交わりが多く、それをうまくこなしていこうという文化の発達、そしてそれが必要ではなかった地域との違いというものです。
そのため、発達地域は近畿地方、準発達地域が西日本、関東(特に東京)、準未発達地域が東日本(東北を除く)、九州・沖縄地方、そして未発達地域が東北地方と分類できます。
なお、このようにまとめられていますが、それぞれの章では非常に細かくその差の実例が説明されています。
嫁をもらうこととなった家の人が、道で近所の人からお祝いの言葉を掛けられた時、どういった言葉を返すか。
これについてすでに1993年に沖さんという方が調査発表をされています。
それによると、
東の方言は「ヨカッタ・イガッタ」と自分の感情を一人称述語で語るのに対し、西の方言では、「ヨロコンジョリマス」のような描写的な表現を用い、(中略)すなわち、東の方言が吐露的であるのに対して、西の方言は描写的な談話運用をする。
このように東(東北地方)では主観的に述べるのに対し西(近畿地方)では客観的、つまり技巧的に語るということです。
長い文化的生活の結果、決まり文句が広く分布しているというのも近畿地方の特色です。
それに対し、東北地方では個性的な表現が様々に繰り広げられます。
喧嘩の際の言葉も近畿では各県にあまり違いはありません。
大阪「おまえ、なめとったらあかんで」
兵庫「おどれ、なめとったらしょーちせんど」等々、多少の言葉の違いはありますがその構成は似通っています。
しかし東北では、
青森「な、ふざげだごとせば、ただおがねや」
岩手「なに、さんかぐやろ、うな、けねぐみで、やるが」
宮城「ぬさ、うるせ、みでろよ」等々、千差万別だそうです。
言葉で相手を気遣うというのも文化の一つの発達です。
店を出る時に店員に「ありがとう」と言うかどうかでもはっきりと地域差が出ます。
店の物を買ってあげたのになぜ客が「ありがとう」というのか、東北出身の著者はそう思ってしまうそうですが、西日本では多くの地域でそう言う人が多いようです。
ただし、この「ありがとう」は感謝の意味で言っているというわけではなく、相手を気遣っていますという態度を見せるために発しているようです。
なかなか面白い着眼からの研究で、かなり深い意味が込められているのかもしれません。
自分の話し方というものを振り返ってみると、語彙やアクセント、文法はほぼ東京風ですが、その中にかなり近畿的なものも含んでいるように思えます。
ただし「店での値切り」はできませんが。