わさび(山葵)と言えば刺身や寿司には欠かすことのできないものであり、いわば和食というものを支えているかのような存在です。
しかし、わさびがいつ頃から日本人の食に彩を添えるようになったのか、よく分かっていないようです。
そのような「わさびの歴史」というものを、岐阜大学准教授の山根さんが研究してこられました。
山根さんは生物科学の研究者ということで理系なのですが、わさびの食習慣やその栽培の歴史などを探るために古文書の研究にまで手を広げるという、わさびに対する探求心が非常に強い方ということです。
わさびを食用にするという習慣があるのは日本だけのようです。
現在では広く栽培されていますが、その栽培種だけでなく原生種をも採集しDNA解析なども行なってその植物種としての類縁種との関係解明を研究してきました。
すると中国に存在する類縁種とは約100万年前に分岐しており、それは日本列島形成時期よりははるかに後の時代だったようです。
それがどうやって日本にやってきたかと言えば、その後幾度もあった氷河期に大陸と列島が陸続きになった時期に伝播してきたようで、そのために数度にわたりやってきたので日本列島の原生種でも非常に多様性が高くなっています。
ただし、その野生種は現在非常に少なくなっており、環境の悪化や野生鹿による食害で激減しているようです。
日本列島の原産種で人により栽培種化された植物というのはごくわずかです。
わさびの他にはフキやミツバくらいしか無いようですが、その中でもわさびは和食の海外での普及で広く知られるようになっています。
ところが、その栽培化の歴史や栽培種の起源などはほとんど分かっておらず、研究者も少ないようです。
わさびを利用したという記録の最古のものは飛鳥時代の天武天皇の頃、木簡に委佐俾という文字が見られるというものです。(666年頃)
その記述は他の薬草と並んでおり、薬草として用いられていたと考えられます。
その名称はおそらく「わさび」と読まれていたと考えられ、他の植物などと異なり現在と同じ名称を使われていたと見られます。
その後はショウガやハジカミなどと並んで扱われることが多くなり、香辛料として使われたことが推測されるのですが、簡単に栽培できるような植物ではなかったため、山奥から山伏などが採取してくる程度しか得られず、一般的なものではありませんでした。
室町時代になると食用として用いられたことも記録されており、その場合はわさびと酢が混ぜられて鯉料理に使われると言った例があります。
その時期には新鮮な魚が得られるところでは生のまま刺身として食べることも始まっており、わさびがそれに添えられた可能性もありますが不確かです。
わさびの食用の記録が一気に増えてきたのが戦国時代末期から安土桃山時代になってからのことでした。
織田信長、豊臣秀吉の食事の記録は色々と残っていますが、そこにはわさびの文字はほとんどありません。
しかし徳川家康は駿河に居を構えたこともあり、わさびと非常に強い関係がありました。
家康がわさびの葉が徳川家紋章の葵に似ているとして保護したという伝説は広く信じられています。
その確かな記録は無いようですが、家康がわさびを食べていたというのは間違いのない事実のようです。
家康が居城とした駿府城から安倍川を遡ったところに有東木という集落がありますが、どうやらその少し前からそこでわさび栽培が始まっていたようです。
その産物が駿河には出回り、数々の食べ物に添えられるという習慣が広まりました。
なお、江戸時代初期にはわさびは刺身のような魚料理ではなく、貝料理や鳥肉に用いられる方が普通だったようです。
しかしその後、江戸の町でさまざまな食文化が発展する中で、握り寿司というものが生まれますが、それにピッタリだったのがわさびということになりました。
実はわさびと寿司という組み合わせにはもう一つ重要な相棒が必要です。
それが醤油でした。
江戸時代初期には醤油はすべて上方から運ばれるものだったのですが、中期から後期にかけて関東でも醤油製造が盛んになり、大量に作られて広く流通するようになります。
わさびを付けた寿司を醤油で食べるという食習慣が一般化していきます。
わさびの栽培が始まった地域として、静岡市北方の山あいの有東木という地区があったということは間違いないようですが、それ以外にも伊豆半島でも早くから栽培されています。
栽培適地という意味では、伊豆半島の方がより優れていたようです。
気候的な条件や地形もさることながら、伊豆が幕府直轄の天領となったことも重要な条件でした。
そのため、木材の伐採も強く規制されたのですが、その管理を任せる代わりにわさび栽培を許すという施策が取られ、そのためにわさび栽培が盛んになったようです。
なお、有東木地区では山葵の苗の持ち出しを厳しく禁止していたため、どうやって伊豆に持ち出したかということは数々の伝説となっていますが、どうやらどちらも甲斐武田の出身者が関係しているのではないかと推察されています。
元々、有東木地区にも武田家滅亡後に甲斐から流れてきた人がわさび栽培を始めたらしいということで、その縁で武田家縁者が渡したのではということでした。
このように現在では世界的にも重要な香辛料となったかのような「わさび」ですが、その未来は決して安泰とは言えないようです。
わさびとトウガラシはいずれも辛味があるのですが、その使い方には大きな差があります。
わさびは魚料理、トウガラシは肉料理というのが一般的であり、そのため日本料理ではわさび、韓国料理ではトウガラシが多く使われるという特徴があります。
そして、今の日本では魚料理というものが徐々に若い世代で離れつつある傾向があります。
そのため、わさびというものへの親和性も落ちています。
子供たちにも寿司の人気はありますが、「わさび抜き」の寿司が多くなっています。
どうやら、「魚離れ」「米離れ」の傾向が強くなっていますが、それは同時に「わさび離れ」にもつながります。
著者の「わさび愛」の強さというものが伝わってくるような本でした。