本書副題に「嘘、ミスリード、犬笛を読み解く」とありますが、「嘘、ミスリード」が本書大部分の主題となっています。
ただし、著者のソールさんは「言語哲学者」であるということで、その論理はあくまでも厳正で緩みはなく、細かい点まで検討し尽くすかのようです。
そのため、読んでいても「もう付き合いきれない」と感じる時間が長く、最後まで読むのは大変でした。
嘘とは、そしてミスリードとは何か。
直感的には誰もが分かるような気がするのでしょうが、その厳密な定義を与えるために非常に長い検討がされています。
「嘘をつくこと」の定義として最初に挙げられているのは
「話し手は、聞き手を欺く意図をもって誤ったことを言う場合にかぎり、嘘をついている」
ということなのですが、これに反する例を次々とあげ、定義をどんどんと更新していきます。
最後には「定義8」として
「話し手が、言語的な思い違いやマロブロピズムの犠牲者ではなく、またメタファーや誇張、皮肉を用いていない場合に、(1)その話し手がPであると言い、かつ(2)その話し手がPは誤りだと信じており、(3)保証を与える文脈に自分がいると見なしている場合にかぎり、その話し手は嘘をついている。」
というところまで到達しています。
「それがなんなの」と言いたくもなります。
まあ普通に言えば、「嘘は誤りを含むことをわざと言うこと」であり、「ミスリードは誤りは含まないことを言うが、その意図は伝える」ということなのでしょう。
そして、「嘘はいけないがミスリードはまだまし」というのが一般的な道徳判断のようです。
しかし、その点も哲学的には問題のあるところのようで、一概にそうとは言えないのでしょう。
なお、本書の全体を通して例示されているものが、ビル・クリントン元大統領がモニカ・ルインスキーとの間に起きたスキャンダルについて、記者にかたった言葉です。
There is no improper relationship.
つまり「不適切な関係はありません」というものでした。
ここでは「不適切な関係」というものが「性交」を示すかどうかということも一つの問題ですが、それ以上に重要な点が「is」です。
これがもし「was」であればそれは記者(そして国民)に対して明らかに嘘を言っていたことになるのに対し、その時点での現在形「is」であれば少なくとも嘘は言っていない。
それが「嘘」と「ミスリード」の違いだということです。
また別の例として、臨終間近の老女のもとを訪ねた息子の親友に対し、彼女が「息子は元気か」と尋ねるのに対し、彼は「昨日会った時は元気でした」と答えるというものです。
しかし、実際には息子はそのあと事故に遭って亡くなっていた。
これは嘘とは言えなくても真実は告げていない。
道徳的に良いのかどうかは別の話ですが。
ただし、これがもしも老女の財産の相続者が息子であり、息子がその親友に贈ることが予定されていたなら、この言葉は道徳的にも許されないということもあり得るということです。
「犬笛」は最後の附録の所のみに書かれていました。
ほとんど知らなかった概念ですが、アメリカの政治を含む状況では最近頻発している問題のようです。
この用語が出現したのは1980年以降のことのようです。
世論調査や政治的広告などで、使う言葉を操作することによりある対象に対して特に強い効果を生む言葉のことです。
それを他の人には聞こえないがイヌにだけは聞こえる犬笛ということで表しました。
2003年の演説で、ジョージ・W・ブッシュは「奇跡を起こす力」という言葉を使いました。
これは一般的にはそれほど深い意味があるとはとらえられない言葉であり、多くの人は聞き流したのでしょうが、キリスト教原理主義者だけは特別な意味でとらえられます。
これはキリストの力を明確に表す表現として彼らの間でよく使われるものであり、それをわざわざ一般教書演説に入れたということで、ブッシュはキリスト教原理主義者に同情を持っているということを表したことになります。
またブッシュは1857年という古い裁判の判決を持ち出しました。
「ドレッド・スコット判決」というのは、自由民であれ奴隷であれ米国市民にはなれないという判決で、現代では何の意味も持たないのです。
しかし、現代でも右派のコメンテーターが中絶の権利を論じる際に引用することが多いということで、右派の人々に対して「自分は中絶反対である」という姿勢を印象付けるという効果があるということです。
これは右派以外の人にとってはほとんど印象が無い言葉であるということも犬笛効果を与える例として判り易いものでした。
アメリカの政治ではこのような犬笛効果というものを使うということが頻繁となっており、それに対する批判も強まっているそうです。