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「日本史の内幕」磯田道史著

武士の家計簿」の原作者、磯田さんのエッセイ集です。

これまでも何冊か読んでいますが、磯田さんが古文書を探し出しそれを読んで知られていなかった歴史の真相を明らかにしていくという過程が鮮やかに描かれています。

 

子どもの頃から古文書に触れ、早くから解読法を習得して来たということで、骨董店や古本屋で出会った古文書もさっと内容を見積もり有望品は購入しており、時折歴史の通説をひっくり返すような大発見に出会うということです。

 

豊臣秀吉の全国統一も終わりに近づき、自ら出陣し九州平定に向かったのですが、薩摩の島津はなかなか難敵で攻めあぐんだそうです。

それについて坂為左衛門という人の残した史料に面白いことが書かれていました。

秀吉は薩摩にも本願寺門徒が多いことに着目し、本願寺門主(とはいえ実際は門主顕如ではなくその子の教如のはず)に請うて同道させ、門主を先に押し立てて薩摩に向かったところ薩摩領内の本願寺門徒は闘わず降伏し、結局は島津氏もあきらめて秀吉の配下に下ったということです。

そのため、その後島津氏は領内の本願寺派の寺院を残らず廃止し、一向宗キリシタン同様に禁教としたそうです。

江戸時代の薩摩藩内では浄土真宗の禁教が厳しかったということは知っていましたが、これにそのような理由があったということは驚きです。

 

江戸時代にも将軍や大名には毒殺の危険性が強かったのですが、「毒味役」という者がいて殿様に出す料理の毒味をしていたということが言われています。

しかし、実際にそうだったのか、それを示す史料がほとんどありませんでした。

熊本藩細川家の古文書を集めた永青文庫に、毒味役と言われる坂井七郎衛門の誓約書(起請文)が残っていたそうです。

「私は毒味役を命ぜられたからには、調理した物は調理人や御膳を運ぶ者に毒味をさせます」と書かれており、毒味役は自ら毒味をするのではなく調理人や侍女などに毒味をさせていたということです。

 

古文書も江戸期のものは特に文字の崩し方が激しく、読解しずらいものですが、それを読んでその内容を知るということができれば歴史の真相にもたどりつくことができるのでしょう。

 

  • 作者:磯田 道史
  • 発売日: 2017/10/18
  • メディア: 新書
 

 




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