一般人が選ばれて裁判に参加するという裁判員制度、導入の際には様々な報道がなされましたが、このところほとんど耳にすることもなくなりました。
それなりに定着しているのかと思ったら、どうやらそうでもないようです。
著者の西野さんは、裁判官を経験した後大学に転じ法学部教授をされていたのですが、裁判員制度についてはその制定前から厳しい批判をしてきた方のようです。
裁判員制度は刑事裁判の中でも一部の重罪事件にのみ一般人から選ばれた裁判員を参加させるというもので、司法への国民の関与を進めて理解を広めるといった、なんだか良く分らない理由で進められたものです。
理由なく参加しなければ罰則だとか、裁判内容を外部に漏らすと罰則などなど、厳しいことばかりが言われたり、殺人事件では被害者の遺体の写真を見せられて衝撃を受けて精神障害を発した人もいたという話が伝えられたりしました。
選ばれた裁判員候補者は相応の理由がなければ断れないということだったのですが、事実上はその原則は崩れてしまい、嫌なら行かなければ良いという状況になっているようです。
一つの裁判に正規の裁判員が6名、補充裁判員として2-3名を選ぶのですが、その候補者に最近では数百名に呼出状を発送する状態だそうです。
裁判員になるのが嫌だった場合でも断る正当な理由は「70歳以上」とか「地方公共団体の議員」とか限られているはずでした。
しかし、徐々に「やむを得ない場合」という事例を足していき「妊娠中」「介護が必要な親族がいる」「遠隔地で裁判所が遠い」といった場合でも認められるようになっています。
さらに、「やりたくない場合の対処法」なるものまで出回っています。
「呼出状を黙殺して何もしない」
「やりなくない事情を調査票に書いて返送し裁判員選任期日には欠席する」
「選任期日に裁判所へ行ってやりたくない事情を説明する」
「選任期日に裁判所へ行って裁判長が何と言おうと拒否すると宣言してそのまま帰る」
といったもので、後の方がより穏当ですが、最初の例でも裁判所から制裁されたということはないようです。
ここまで形骸化していても裁判所がこの制度を守りたいのは、裏の事情がありそうです。
実は、裁判員裁判というものは裁判の中でも刑事事件の一部だけにしか関係ありませんが、裁判では民事裁判の方がはるかに多く、これまでも司法の中での重心は民事に置かれていました。
しかし、裁判員裁判というものを強調することで、「刑事系」の裁判官が力を持てるという裁判所内での権力闘争の一面があったようです。
上手くそれを利用して力を持った刑事系裁判官は一度持った権力を手放そうとはせず、すでにガタガタとなった制度でも守り続けようとしています。
裁判員制度というものは、現行の憲法にはまったく触れられておらず、それ以上に従来の裁判制度というものを憲法内で何度も強調されています。
したがって、裁判員制度は「憲法違反」である疑いが極めて強いのですが、それを争った裁判では最高裁大法廷で15人の裁判官がまったく異論なしに憲法違反ではないという判決が出されました。
自らの施策を自ら裁くという、まったく成り立たない裁判でしたが、それも全員一致というあり得ない結果となっています。
なお、世界には陪審制(アメリカなど)、参審制(ドイツなど)といった制度がありますが、日本の裁判員制度というのはそのどれにも属さない独自の物(というか、中途半端なもの)となっています。
そういった制度の問題点も詳しく解説されており、理解しやすいものとなっています。
裁判員制度導入の際には、日本の裁判で誤審、冤罪が連発されたので、「陪審制の方が冤罪が少ない」などと言う宣伝がなされましたが、アメリカの現状でも冤罪の多さには目をつぶるわけには行きません。
冤罪で死刑となり執行されてしまった人も何百人もいるのに、まだ「陪審制は冤罪が少ない」と言い続けている人も居ます。
裁判制度というものは、その国の政治形態と強く関わっています。
日本の政治形態というものが裁判員制度とはまったく相性が悪いということのようです。
- 作者:西野 喜一
- 発売日: 2015/01/30
- メディア: 単行本