以下の内容はhttps://sobameshi5.hatenablog.com/より取得しました。


風に乗せるエゴ祈り

生きててほしいと思ってた人が、たぶん亡くなった。たぶんというのは確証がないから。不穏な動きがあって、きっとそうなんだろうなーと思っていた時から、だんだん状況的な証拠が増えていって、限りなく確信近い「たぶん」に変わっていった。

親交がめちゃくちゃあったわけではないし、数回会っただけだが、漫画に描かせてもらったり、私のエッセイ本を買ってくれて、「お気に入りだ」と本棚に飾ってくれたりした。紛れもなく、大きな愛だった。


昨日の夜からザワザワがどんどん増していって、2年前に自死を選んだ友人のことまで思い出して、不安な気持ちが抑えられなかった。自分から悲しい匂いを探りにいってしまってるような、そんな感覚があった。

なんとか眠りについて、朝になってからとある人のツイートを見て、確信に変わった時は、不思議と夜ほどの焦燥感はなく、ただ「そうか…」と力なくつぶやいた。


今日は休日出勤の日だった。ろくに眠れてないし、休みたいという気持ちがあったが、逆にいつも通りの日常を過ごしたほうが良い気もして、仕事に行った。

今日は、先輩に連れ添って立ちっぱなしで色んな人と話さないといけない仕事だった。基本的に先輩に連れ添っていたらなんとかなるのだが、知らない人がたくさんいる中で、どう振舞っていいか分からず、何回か変なことを言った気がする。終わってからその辺の商業施設のトイレで、自分の行動を振り返り、「へんに、輪に入れてなかった気がする」「輪の外で言ったアレは別に言わなくてよかった気がする」「早く帰りたくてしたアレは余計だった気がする」と、思考がグルグル回った。普段は自分の好きな人間とばかり関わってるから忘れがちだけど、そういえば自分はかなりコミュ障の部類だったわ、と思い出した。


彼女と初めて会った時もたぶん上手く喋れてなかった。すごく会いたかったので、緊張していたし、なにか失礼なことをたぶん言ったんじゃないかとも思う。

彼女は有名な人だった。彼女には、色んな個性があって、そのどれもが魅力的で、色んな人を虜にしていたのだと思うが、私は彼女の優しい雰囲気が好きだった。

よく「自分という偶像を演じるのがしんどくなる」と彼女は言っていた。気合いの入っているように見える姿と反して、人間的な弱さを兼ね備えている人だった。だからなのか、私は彼女の中に人間に対する包容力を勝手に感じていた。弱さを持っている人ゆえの優しさがあった。

数回会っただけだし、まともに喋ったのも少しなのだけど、その包容力に気を許していたのだと思う。


コンビニの駐車場で久しぶりにタバコを吸いながら、これを書いている。いつも通りに過ごそうと思ったら、仕事でコミュ障かましてトイレにこもって病み散らかすし、カフェで作業しても手につかなくて、Twitterで彼女の名前を検索して、意味もない時間を過ごしてしまうし、思い切って、今のこの気持ちをブログに書くことにした。

勢いで書いてしまったことをきっと後悔するんだろうけど、せめてやっつけで書くことがないようにと、酒は入れずに書いている。


隣でタクシーの運ちゃんがショート動画を爆音で流しながらタバコ吸っててなかなかアツい。なんかこれくらい自由でもいいのかと思ってしまう。


「そうは言っても死なないでほしかった」という気持ちがどうしても存在している

彼女の選択をどうこうできる立場にないのは分かっているし、しょうがないなとも思う。

死んで欲しくないという周りの声を無視して死んじゃうのもかなりのエゴだし、死にたい人間に「死なないでほしかった」って思うのもかなりのエゴだと思う。

そっちもエゴを突き通しているのだから、こっちも何しようとも勝手なのかもしれない。だから「生きていてほしかった」と言おうと思う。それがある種酷い祈りだったとしても。


ショート動画爆音流しの運ちゃん、仲間の運ちゃんが来て、大谷の話をデカ声でしている。友達いたらしい。完全に終わりの労働者じゃなかったんだ。よかった。


人の生き死にに対面してる横には、他人の人生が並んでいる。当たり前のことだけど、そうあってこそなのだとも思う。

私の人生も当たり前に続いていく。今日、仕事を休まなかったし、明日もご飯を食べていく。

でも、今私が抱いている感情に蓋をするのは、どうしてもやり切れなかったから、書く。書くことで、無視せず、向き合っていく。


こんなことを言っているけど、全て勘違いで、普通に生きているという可能性もある。それはそれで良いなと思う。ギリギリの所で「何とか生活をしている」と診断をもらって、笑って過ごしていてほしい。それが、どこであろうとも。そう願うことがやはりエゴなのだとしても。

露出狂OLが良心を持つな

夢日記をつけてはいけないという話を私は信じている。

毎日起きた時に見た夢を記録することによって、自分の意識の上で夢と現実との境界線があやふやになってしまい、どこまでが夢の話だったか分からなくなってしまい、発狂してしまうらしい。いつだったかその話を耳にして、絶対に夢の内容を記録するのはやめようと心に誓っていた。
しかし、今日見た夢はどうにも印象的で忘れることができないので、あえてブログに留めておきたいと思う。

 

今日、夢の中で私は、全裸で職場の前をうろついていた。
全てがどうでも良くなってヤケクソでとかではなく、平然と露出狂さながら全裸で職場の前をうろついていた。

 

全裸でうろついているというこの謎の行為には私なりの理論がある。まず皆さんに一番言っておきたいのは、「仕事している時は全裸ではない」ということだ。なぜならば、職場のロッカーに常に仕事着が常備してあるのだ。
ということは、だ。こんな私でも更衣室に「あ、すいません今ちょっと偶然にも全裸でして」という申し訳なさそうな顔をしてスッと入れば、あとは服を着るだけ。服を着たらもうそこにいるのはただのOL。そして、仕事を終わらせ服を脱ぎ、颯爽と全裸で帰る・・・。

お分かりいただけたであろうか。
ただの露出狂が、「一回服を着て仕事をする」という過程を挟むことによって、「ただ着替えが極端に遅いために全裸の時間が長い人」になるのだ。これは令和に訪れた大露出革命なのである。

 

ということで今日も全裸出勤OLとして元気に生を全うしてやろうと思っていたのだが、その日は月曜日・・・。職場の手前で全裸の私はある大きな事実に気付いてしまう。

 

更衣室のロッカーに・・・・着替えがない!!!

なぜかというと、直前に仕事に来たのは金曜日。週末なので一旦仕事着を全て持ち帰り、洗おうという気分になったのである。露出狂のくせに一丁前に衛生観念を持つななどと言わないでほしい。私は露出狂である前に、花も羨む立派なレディなのである。
ということで、洗濯のために着替えを持ち帰った結果、私には仕事中に着る服が残されていないわけである。
大変だ!このままではいつか乳首でブラインドタッチできるようになってしまう!!!天才スケベOLとして二つ名を轟かせる前になんとかしないと・・・。

 

近くのコンビニに駆け込むと、そこには「白T」「黒スキニー」など、必要最低限の服があった。
おあつらえむきじゃーーーん!!と手を伸ばそうとすると、無愛想な男性店員がラックごと奥に持っていき、代わりに持ってきたのは夏には不釣り合いな冬服の一掃セールであった。

おーーいおいこんな季節外れの服着れるかよ!!こちとら服着てねえんだぞ!冗談もいい加減にしろ!!
と思っていたところ、なぜか母が横から出てきてレジにいた店長に

「ちょっと!!どう見たってうちの子には服がいるでしょうが!!店員にどういう教育をしてるんですか!!!」と叫んだ。店長は全裸の私を一瞥して母親に「あなたがどういう教育しているんですか!」と言うことはなく、すぐさま店員を呼び出し、見せしめの説教をしていた。

30にもなって、いまだに私は母親に守ってもらっているのか。母親はどんな気持ちでこんなに必死に私に向き合ってくれているのか。露出狂の娘を持つ母を想い、こぼした涙は身体をどこまでも伝っていった。

 


というところで目が覚めた。

この先、現実世界で私が全裸でコンビニ店員に逆上しているところを目撃したら、「夢日記をつけるのはもうやめろ!あと親孝行も忘れずにな!」と言いながら、暖かいガウンで私を包んで抱きしめてやってください。

薬を飲みながら滅亡を待つな

どうやら日本は滅亡しなかったらしい。どっかの予言家が7月5日に津波が来るとかなんとか言ったことが、まあまあ話題になってみんなが寄ってたかって滅亡にかける想いをSNSに嬉々として述べている数日間だった。
私は大きな災害に対して恐怖心があるものの、「これでほんまに滅亡したら結構おもろいな」と何回か思ったりした。どこかでみんなこの世に対する不満感を抱いていて、「ここではないどこかに行きたい」と常に思っている。非現実に対する熱望がある。なんの根拠もない「日本滅亡」「地球滅亡」というイメージに対して、インターネット全体が不思議な高揚感につつまれていた日々だった。

今年の2月くらいにかなりしっかりと体調を崩し、メンタルクリニックに行って抗不安薬をもらってから、たまに飲んでいる。元々繊細で、一つ一つのことに執着心を持ち過ぎてしまう方だ。それでも文章を書いたりすることで向き合って、なんやかんや前向きに生きてきたと思っている。自分でもこんなに体調を崩したのは初めてという感じだった。
体調を崩した直接の原因を書くつもりはないけど、ものすごく抽象化させると自分の悪い所と向き合いまくることになった結果、という感じだった。
抗不安薬を初めて飲んだ時の感想は、「薬こわ!すご!」だった。なんというか、ものすごくポワポワ〜とする。憂鬱に襲われている時の感覚が、「はっきりとした不安や後悔が大量に襲ってくる感じ」だとすると、抗不安薬はそれらの輪郭が見えなくなり、今起きている感覚のみに神経が集中するという感じだ。わかりやすくいうと「あ〜〜なんかいろいろあるっぽいけど、超眠いからもうどうでもいい。後にしてクレメンス。」みたいな感じになる。強い薬しか効かなくて困っているという友人の話も聞いていたので、薬がちゃんと効いてて何よりじゃんと思ったのだが、自分の脳にしっかり作用してるのが伝わってなんというか怖かった。私の心身の程度を見た医者が、「しんどい時には飲んだらいいけど、深呼吸をして気持ちが落ち着くようなら飲まない方がいい」と言っていたので、依存しないようにするために、極力飲まないようにしている。

4月、体調がどうにも良くならなかったりで、漢方に行ったりもした。血圧を計られたり、舌の色を見られたりして、自分の状態を「気虚」がどうとかって言葉で説明されて、前のめりになりながら聞いて、気付いたら2万円分くらいの漢方買ってた。「この量を飲まないと効かないから」という理由で普通より倍の量を処方しているのもあって、その値段になるらしい。冷静に考えても高すぎるのだが、その時の私は自分の身体の悪さを言語化してもらえたのが妙に嬉しくて、立っている場所が実感できた気がして、少し涙がでた。嬉々として漢方屋さんで言われた言葉を反芻して、家に帰ってから興奮気味に仲の良い人に話してたら「お前のそれは合法のやつか!?」と心配された。1ヶ月くらい朝昼晩ちゃんと飲んでいたが、風邪を引いたタイミングであんまり飲まなくなってしまった。

元気になったり元気にならなかったりしながら、先週めまいで起き上がれなくなって仕事を休んだ。吐き気が辛うじて止まったタイミングで行った家の近所の内科の対応があまりよくなかった。
年配の看護師に最近どこか悪くした?と聞かれて直近で体調が良くなかったので漢方に行ったと言うと、「漢方って・・・なんで体調悪くて漢方屋に行ってるの笑」と鼻で笑われてしまった。隣の部屋で看護師が医者に私の病状を伝えるついでに、漢方屋さんに行ったことを揶揄する文脈で伝えているのが分かった。点滴を受けながら、自分でも分からないくらい悔しくて涙が出た。頑張ろうとしても、調子が良くならないこと。それを良くしようとちゃんともがいていること。誰かに自分のいる位置を認めてもらえたような気がして嬉しかったこと。自分の経験を小さく見積もられたみたいな、そんな気がして、腹がたった。家に帰って寝る前に「いや、そんな悔しがるんなら、漢方ちゃんと毎日飲まんかい」と自分にツッコミも入れた。

次の日、今度は耳鼻科に行ってめまいがあることを伝えると、そこの看護師は私の荷物を持って一緒に診察室まで移動してくれた。検査の結果、一過性のものかもしれないがメニエール病の症状っぽいということが分かった。よく考えたら3月くらいにも耳詰まりを感じて耳鼻科に行ったりしたので、そうかもしれないなと思った。頓服の吐き気止めだけくれた内科と違って、4種類の薬が一週間分出された。漢方屋に行った時は、自分の不調を言語化してもらったことに浮き足立ったのだが、今回はシンプルに疲れてしまい、「健康になりたい」という感情以外生まれなかった。喫茶店で病気自慢をするジジイにはまだまだなれないと思った。

7月5日土曜日。耳鼻科でもらった薬をジャラジャラと飲みながら、日本の滅亡をまっていた。
体調を崩してから嫌なことがあると、自分を守る為のセーフティネットとして「まあ最悪死ねばいいか」と思うようになった。それはあまり実感を伴っているものではなく、自分の中ではポジティブな文脈の中にいるのだが、あまり理解されないような気もしている。
でも、そんなふうに自分から死の匂いを嗅ぎに行く一方で、鞄からは、色んな色の薬がジャラジャラと出てくる。「健康になりたい」と強く願っている。

当たり前みたいな顔をして、いつの間にか日付が変わっていた。滅亡しなかった。眠れなくて絶望に足を絡めとられて、「なんで滅亡しなかったんだ」と本気で思ったりした。次の時間を過ごしているインターネットに、置いていかれた気持ちになった。もう少し長く終末観に浸っていたかった。
次の日、ゆっくりと起きるとびっくりするくらいスッキリした朝だった。何がしんどかったのか忘れて、パン屋で買ったパンを食べながら『夜は短し歩けよ乙女』を観た。黒髪の乙女が「あなたは孤独ではありません」と説いていた。見終わった後には、昨日何が辛かったのかもう忘れていた。あと、食後に薬を飲むのも忘れていた。

世界は続いていく。
生きていくということは、波を繰り返すということで、みんな当たり前にこれをやっているのだと思う。ちょっと探したいものがあって、ツイッターで自分のIDと「人生」を入れて検索したら、何年も前からずっと同じようなことばかり言っていて、何も変わってないなと笑ってしまった。

「人生、『もうダメですアー閉店ガラガラ』になってから『やっぱりもう少しやれそうな気がして来たのでもう一回開けてみますね』の繰り返しなので、人生、もうダメですになった時に『閉店ガラガラ』をいかにデカい声でテンポ良く言うかが勝負な気がしてきた」

と4年前の私がツイートしている。
4年前に何があったかなんて一切覚えていない。
今一切覚えていないことで、4年前の私は閉店ガラガラになっている。この先の私が思い出せないような、ありふれた地獄がまた繰り返される。明日も誰かが世界の終わりを期待している。誰かが飲まなかった薬がある。生を選択する。何かが良くなることを期待してスキンケアをしてから、眠る。眠ることを夢見る。横にいる誰かを愛している。生きていく。

酩酊記2024

今年もなんの捻りもなく1年が終わろうとしている。大晦日。ブログの更新をこれだけは続けていこうと決めて始めた酩酊記も今年で5回目になる。この大晦日の酩酊記だけを集めて本を作ったら面白いかもなと思う。続けよう。性懲りもなく。

激動の1年だった。転勤してから1年経ち、去年とは打って変わって大きな役割を任されるようになり、残業しても終わらない分を当たり前のように土日にやっていた。でも人間関係もどんどん良くなって、仕事が忙しくなるにつれて居心地の良さもどんどん増していった。これぞ!と言った感じのブラック企業のあるべき姿だ。


そんな日々の忙しさの中でしれーっと大きな出来事があった。

たぶん結婚するんだろうなと思っていた彼氏と別れた。(彼氏の存在も、別れたことも、ピリきゅうのSNSでは一切出してなかったのだけど、大晦日にわざわざこんなもん見る人は相当な物好きなので良いことにする)

まあ当然だけど、大きな大きな出来事だった。

勢いでいかないと無理だと思って、仕事が一番忙しかった時期に別れたい意志を告げて、その一週間後には次住む家を契約し、その2週間後には出ていった。


何度も何度も、自分が立っている位置を見失いかけるような日々だった。同棲していた家を出て、ひとりで暮らす家に帰ってベッドに座り、「なにしてるんだろうな」と何回か思った。

別れた後2回ご飯を食べに行った。2回目のご飯で、もう一度丁寧に別れるに至った気持ちの経緯を説明したら、ようやく分かったようなことを言っていた。

「知らない人とこの○年間付き合ってたのかと思った」

ぽつりと言われたその言葉がやけに頭に残った。そりゃそうだろうなと思ったし、私も自分のことを知らない人だと思う瞬間があった。


30年生きても、自分のことはよく分からない。周りから評される自分と、内に閉じこもってあーだこーだ考える自分と、誰かに依存していないと立ってられないような自分と、色んな自分がいて、誰かの言葉で目で見て触れる形に形作られてここに座っている。

あの家で過ごしていた自分と今の自分では、当然「知らない私」になっているわけなのだけど、それでも自分にとって絶対に逃したくない必要な縁があって、変わりたいと思えるきっかけがあって、今があるので、掴み取った今のこの私を、「これで正解だった」と私だけは言えるように、前を向いて生きていくしかないと思っている。


そんなこんなで、今年は生活をしていくことや、自分を形作るのに必死で、なんの創作活動もできなかった。でも不思議といつもより焦燥感がなかった。これが俗に言う「オッサン」になっていくことなのかなと思った。日々を送るだけの生活そのものを受けいれるということ。迫ってくる何者かに対して抗おうとしないこと。そうなってしまうことに、ずっと怯えて私は物を書き続けていたのだけど、いつの間にか自然とオッサンに片足一歩入れているみたいだ。そしてそれが、不思議と嫌じゃなかったことを、それも「私」として受け入れたいと思う。


あと、今年覚えておきたいことを2つ。


今年の初めにとても仲良かった友人が自死を選んだ。(正確に言うと去年の年末に)

それもあって今年のはじめはしばらく体調を崩していた。仕事もやる気が出なかったし、しばらく何も書けないなと思っていた。それでもなるべく外に出て、好きなものや好きな人と会いに行こうとして、自分の輪郭を取り戻して行き、5月にはだいぶ生き生きと働けるようになった。

8月に友人の母親から連絡があり、お線香をあげに行った。仏壇には私との写真と、連絡が取れなくて、苦し紛れの思いつきで電話番号付きで送ったマグカップが置いてあった。結果的にその電話番号を見て、母親が私に電話をかけてきてくれたので、奇跡の一手だったと思っている。焦って選んだなんのセンスもないマグカップには「いつもありがとう」とひねりはないが、決して嘘は無い言葉が記されていた。

テーブルに出されたゼリーを食べ終わるまで、友人の母親と近況など、当たり障りもない話をした。

帰り際に友人の母親から「元気に、生きて、生きてくださいね」と言われた。どう考えてもお守りだなと思った。

 

夏に、理性ちゃん、すずめちゃんいつもの仲良し3人でプチ旅行に行った。30歳になった記念にお手軽なセルフ写真館で記念写真を撮った。帰り際、人身事故の影響で帰れなくなって思いつきですずめちゃんとバスに揺られて、灼熱の暑さの中、なんにもない終わりの終着駅にたどりついた。

涼むために廃れたデパートに入り、ソファで休んでいると、すずめちゃんがゲームコーナーのUFOキャッチャーでちいかわのキーホルダーをとってきた。

「これでここに来た意味が生まれたな」とすずめちゃんは笑いながら私にプレゼントしてくれた。

ちいかわはいつも通り弱々しく泣いていた。

終わりの終着駅で、そこにいる意味を見出すために、泣いているちいかわがハントされたのがなんだか面白かった。


これからも日々は、社会は、夢は、人は、好きは、私は、変わっていく。変わっていくことは恐ろしいけれど、変わらないことは不健全だとも思う。

変わりつつ、できるだけ顔は前を向けたらなと思う。年末年始が終われば、友人の遺品としてもらったたれぱんだのぬいぐるみと、あの日すずめちゃんがくれたちいかわが待つマイルームに帰る。そこが私の居場所だし、スタート地点になるように。踏みしめて明日も。2024。

酩酊記2023

今年も飽きもせず1年が終わりを迎えようとしている。大晦日の恒例になっている酒を飲みながら1年を振り返る酩酊記。ここ1~2年、酩酊記と言う割に、まとまった小綺麗な文ばかり書いていたので、今年は酩酊記らしく思いついたことをツラツラと連ねていこうと思う。


今年は3月に4年働いた職場から新しい職場に移る通知を受け取った。それは、大学を出た4年間を抜いて24年住んだ実家から出るということにつながった。

私は家族とも仲が良く、母親とは友達のように接しているので、家族と離れることが辛かったし、次の勤務先が職場の人曰く「期待されてる人間が行くところ」らしく、とにかく激務になることが予想されるため、ピリきゅうとしての創作活動もほとんど出来なくなるんだろうなと思った。

私は変化していくことを恐れている。その変化が一気に3月に突きつけられた気がして、初めて生理が2週間遅れた。あと1日来なかったら産婦人科にいこうと思っていたタイミングで生理が来た。その日は職場の仲の良い上司と後輩3人で尾道で飲んだ。小さな花束をもらって、力強く握りしめたことを覚えている。


その頃、勢いでナンセンスダンスで3冊目の合同誌を作っていた。19人で勝手気ままに書いた日記をまとめた合同誌だ。家族と離れることや、新生活への不安、全てをウヤムヤにさせるために合同誌作りに没頭した。イベントに向けた入稿納期もシャレじゃないくらいギリギリで忙しかったけども、本を作ることへの楽しさでいっぱいだったと思う。

私の日記のパートは、そういう不安や、変化することを受け入れていく過程が書かれていて、自分で言うのもなんだけど、ここ数年で一番良い文章だったのではないかと思っている。(「気ままに踊ってよ」まだBOOTHで発売してます。)


そして4月から始まった新生活だったが、思っていた以上に実家を離れても生活はなんとか回っていった。片道1時間の通勤も、深夜ラジオが好きなので、むしろ気持ちのリセットになった。自炊も意外にできた。ナスが好物なのでナスばっか使った。恐れていた仕事も、自分が思っていた以上に任される量が少なく、忙しいものの、去年までの忙しさを上回るようなものではなかった。(去年までが1人ですごい量をやらされていたというのはある)


その結果、3月「もうピリきゅうとして活動するのは無理かも…」と弱音を吐いていた私だったが、今年はなんやかんや今までで1番活動した年でした。即売会イベントの参加や、グループ展開催など…仕事の両立をしながら色んな挑戦をすることが出来たかなと思う。

今後は個展系の主催イベントに関しては、しばらくお休みして、即売会に参加をしていこうと思っている。来年、再来年はそうは言ってもさすがに仕事が忙しいので、今までのようにはいかないはずだが、できることをやっていきたい。


漫画は今年はあまり書けなかったな〜と思う。私の漫画は相変わらずバズりはしないが、私は私の漫画をかなり面白いと思っているので、人に認められることに執着しないというのをモットーに続けていきたい。この世で1番えらいのは続ける人だと思っている。始めることは誰にでもできる。続けることが難しいのだ。続けることは怖い。誰にも見られない瞬間がある。ふつうに気が狂いそうになることがある。それでも続ける。続けることが1番面白いので、続けたい。

そうは言っても、続けていくには少しでも承認がないとやってられない。その上で、今年は本当にヤオちゃんにお世話になりました。ヤオちゃんに2回会う度、ヤオちゃんが拡散してくれて多くの人が読んでくれました。私は、私の好きな人や好きな店の好きなところを、漫画で描いてる時が1番生き生きとできる。「アトリエバーきらきら」の漫画記事も、店主のユキさんにたくさん喜んでもらえたけど、その度に生かされてるのはコッチだと思った。

創作を続けていきたい。続けるということは孤独だ。一人だと急に怖くなる。どれだけ仲間と笑ってたって、好きな人がいたって、漫画を書いたって、急に一人になる瞬間が来る。帰り道はいつだって一人だ。月が光っている。光っている月をたくさんの一人が見ている。その中の一人が私の文章や漫画を見るかもしれない。だから、続けていこうと思う。孤独であることも、幸せであることも、恐れずにやっていこうと思う。


今年一緒に転勤してきたオバチャンが職場で毎日朝飯に納豆豚キムチをタッパーに入れて食べていた。皆がそれはないだろという顔をする中、「とにかく菌を摂取しなきゃと思って」と言っていた。ガメツくていいなと思った。1年を振り返って、それが最後に頭に思い浮かんで出てきた。なんで?来年もいい年にしたい。願いを込めて。2023。

人をビビらせる画数の乳首

いつからかは分からないが、左のわき腹のあたりに変なイボがある。

BB弾をちょっと潰したくらいの大きさだ。自分の左乳首を見ようとすると、「先輩!よろしくお願いします!」みたいな感じで視界に入ってくる。

真っ暗闇かつ酩酊状態で左乳首どーこだ!?をやったらワンチャン間違われる可能性がある。ブブー!それは私の謎のイボでした!残念!お前はもう終わりです!


もしかしたらもう1年くらい経ってるかもしれない。そんなに何とも思っていなかったが、ちょうどブラジャーが締め付けられる位置にいるので風呂上がり汗をかきながらこのイボの存在を気にしないといけないことにだんだん腹が立ってきているのは確かだった。


友達とのご飯の約束が急になくなり、1日暇になったので近所の皮膚科に行くことにした。


予約をとるタイプの皮膚科ではなかったので、直接行ったら平日の午前中にも関わらずすごい人だかりだった。


iPadを持ってきていたので、作業をしながらひたすら待ち続ける。

隣に座ったおばあちゃんが「今日はすごい人混みだね!!!」と話しかけてるのか、独り言なのか分からんくらいの微妙な声量で言葉を宙に投げかけてきた。化粧もしてないし、イボを見てもらうためになんならノーブラで来てるのでスルーした。化粧をしてブラジャーをつけていたら、「今日は多いんですね」とでも返せたかもしれないが、スッピンでノーブラなのでスルーした。なんなら乳首3個あるし。見るか?おれの3個目の乳首。

と思ってチラッと横見たら、すんごいiPadの中見られてた。びっくりした〜。

 

 

 

「お待ちのピリきゅうさん、どうぞ〜」

 


1時間近く待ってやっと呼ばれて個室に向かう。


個室には男性の医者と、私の直筆の問診票がバインダーに入っていた。私が書いた「原因:ブラジャーのしめつけ?」という欄にマーカーで線が引いてあってなんか恥ずかしかった。見当違い乙wって意味だったらどうしよう。


「じゃあ見せてくださいねー」


そう言われてTシャツをめくりあげる。

乳首(偽)を見せている状態で乳首(真)の方が見えてしまってないか若干気になってしまった。

なるほどなるほど、としばらく見られた後、Tシャツを戻して、医者は神妙な顔で言った。

 

 

 


「……ガンって知ってる?」

 


え?????


ガン???????


いや知ってますが…………

ガン知らない人っている?なんかあの、ヤバい奴ですよね(笑)知ってる知ってる。知ってるよ。


………………………え?


なに?

このタイミングでガンの話するのなに?


は?


終了のお知らせ????????

 

 

 

固まっていると、先生は手元のメモに私のイボの絵を描き始めた。


いや、絵描いてる場合か。

説明せいや


「これね、ピリきゅうさんのわき腹にある」


知ってるわ。

見たらわかるわ。


すると、先生はイボの絵の下に大きく汚い字で「?性」と書いた。?の部分が絶妙に読み取れない。


「腫瘍にはね、悪性の腫瘍と良性の腫瘍っていうのがあるのよ。」


あーはいはいはいはい、え?

……私のは?

どっち?


あ、あの汚い字もしかしてソレ?

最悪の2択クイズ?????

 

「悪性の腫瘍はどんどん大きくなっていくの。で、身体の中で転移もしていっちゃう。これをガンって言います。

良性の腫瘍は大きくならない。そのまま。ほっとく人も多い。」

 

そうねそうね。

で、私のどっち????

そのイボの下に書いてある字どっち???

良??悪???良???悪???


「で、あなたのは良性」


良でしたーーー!!!!!!!!!!


「だからイボじゃなくて腫瘍ね。別に問題ないけど。手術しないととれないから、とりたいなら手術してくださいね。以上」

 

1時間待って、診察は一瞬で終わった。

何も考えられないまま、待合室の元いた席に戻る。

 

 

 

会話、ガンスタートの必要あった???????????

 

まだ心臓バクバクいってるんだけども。

なに?なんでそんなことすんの?

皮膚科ってガン宣告とかもやってんだ〜お得〜じゃないんだよ。

てか、腫瘍って何??????画数多すぎるだろ。腫瘍。怖っ!!画数多っ!!怖っ!!!人をビビらせるためだけの画数。減らせ減らせ。イキんなイキんな。せめて10画以内にしろ。角をとれ。

 

 

 

ズリズリズリズリィ〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!


出口で派手にコケた。

足に力が入らなくて段差で膝がカクついたらしい。思い切り膝を擦りむいた。


近くにいたおじいちゃんが「だ、大丈夫……?」とドン引きしながら聞いてきた。

大丈夫です、もありがとう、も言えずただ「すいません」と繰り返して、膝の血がスカートにつかないように、スカートをまくしあげながら車まで走った。

 

 

 

 


車の中でため息をつく。


毎日を後悔しないように生きてはいる。

でも、こんなに力が入らなくなるくらい、ドキドキするとは思わなかった。

大好きなじいちゃんはガンでこの世を去っている。


来年は30だ。

わき腹にへんなのができる。不調が多い。一生付き合っていく慢性的な不調もどんどん増えていくんだろう。明確な大人のラインを踏み越えた覚えがないのに、身体の内部はどんどん変わっていっている。


でも、人前でコケても涙は流さない。

足が震えて怖かったと、泣き喚かない。


身体だけ歳をとっていく私の、いくつかの精神的な成長がそこにある。気づいてないだけで、きっと多くの。


……この前健康診断で注射が怖くて泣いたことはオフレコにしとこうと思う。

ぜってーー手術とかしねーかんな!!!!!ざまあみろ!!!!!!!!!!

第3の乳首は責任をもって可愛がろうと思います。おまえにはもっと、画数が少ない名前をつけてあげるからね。

OLの正しい所作と人間讃歌

「どうする?この状況…」

崖っぷちに追い込まれる
6時間前。

私はトマトジュースを飲んでいた。

実家を出て暮らし始めて、やや2ヶ月が経過している。転勤先での仕事もようやく慣れてきた。実家にいる時は、働きながら自炊するなんて、自分にできるなんて思ってもみなかったけど、意外にもやってみればできた。
ほぼ毎日自炊をしている。

久しぶりに会った友人に、「トマトジュースを毎朝飲むと美容にいい」と勧められ、最近では毎朝トマトジュースを飲むようになった。

大学時代、一切自炊をせず、バイト先のまかないのラーメンだけを食べて過ごしていたあの頃が懐かしい。
「丁寧な暮らしなんてクソ喰らえ」という反骨精神が今でもないわけではない。でも結局は一番精神的に安定するのが、コレなんだろうなと思ったりする。

飲み切ったあとのコップを水に漬けてから家を出た。



追い込まれる3時間前。

仕事は楽しい。
が、忙しい。

ここでは、残業が当たり前と言われている。皆がどこか誇らしげに「昨日はまた同じメンバーで残っちゃいましたね」と話す。
まだ転勤して間もないので、人間関係も築けてないのもあって、そういう雰囲気がすごく性にあわないので、なんとかして帰りの残業を1時間程度にいつもおさめている。
そのためには人よりも早く動き、一分一秒も無駄にしてはならない。
トイレに行くのも惜しい程。



追い込まれる1時間前。

社食の弁当を購入。
今週は火水木と弁当を作ったが、金曜日はさすがに気が緩んで作れなかった。
頑張った自分へのご褒美として、「カツとチャーハン」というデブが考えた組み合わせをチョイスした。

食べようと思ったら仕事の電話がかかってきて対応をした。その後もなんやかんやあって、カツチャーハンを10分で食さないといけなくなってしまった。

次のやることがあるので、急いでかきこむ。食べながら、すでに少し胃もたれがしている。
まかないラーメンを深夜に食べても平気だった頃から、いつの間にか7年の月日が経っていた。
あんなに美味しそうに見えたカツチャーハンが、今では憎い。



追い込まれるまで30分前

カツチャーハンをなんとか食べ終わったので、仕事をしている。なんか腹の調子がよくないとは思う。
立って人とやりとりをしながら、バレないだろと思い、さりげなく放屁をする。
オッ今のはアツい放屁でしたね。と内心ヒヤヒヤする。
放屁は生理現象だ。
人にバレないように涼しい顔をしてするのがOLの正しい所作なのである。



少し時間が経って、
アレ?
さっきの、大丈夫だったか?と言う気になる。

まあ、まさかね、ちょっとアツい感じはしたけどね。そんなまさかね。

平常心のまま、デスクに戻る。



追い込まれる5分前。
何気なくスマホTwitterが目に入る。

「パンツが食い込まねえ女なんている?いねぇよなあ!!!!!」

仲の良い友達が、常時パンツが食いこんでるマイキーになっていた。
仲の良い友達同士しかフォローしていない非公開のアカウントで「パンツが食い込むか食い込まないか」の論争をしているらしい。マイキーももう少し生産性のあるやりとりをしている。

「どういうこと??考えられない、なんで食い込まないの?」

Twitterの中で、パンツマイキーが頭を抱えていた。仕事中にそんなことをしている余裕はないのだけど、いつの間にか返信をしていた。

『わたしはお尻に安心感ほしくて、デカいパンツばっか履くんだけど、だから食い込まないのかもしれない……』

パンツ食い込む食い込まない論争に、パンツのサイズの問題を提案した。パンツマイキーはオシャレなので、恐らくテロテロした素材のちっちぇーパンティーを好んで履いている。
そして食い込まない派に躍り出ていたメンバーが全員デカいパンツを好んで履くタイプの女たちだった。
これは恐らく正解だ。論争に終止符を打ったことを確信し、ニヤついた。

すると、パンツマイキーからすぐ返信が返ってきた。

「いや、おしりが食い込まなくても、前の穴に吸い込まれていくんじゃん??」

なんだコイツ。
コイツだけ別時空でパンツ履いてる?

この論争はまだ長引きそうだなと思いながら、スマホを片手にトイレに行った。






うんこを漏らしていた。

座って思わず「ひっ」と声が出た。

最悪の景色が広がっていた。
タイミングはおそらく、あの放屁。
なんかいつもよりアツかったなと思ったあの放屁は、どうやらマジで激アツだったらしい。

幸いにも、被害はパンツのみで、ズボンへの被害が一切なかった。

そして冒頭に戻る。


「どうする?この状況……」

崖っぷちに立たされている。
このピンチ、どう乗り切る。




14:00

ノーパンでトイレから出る。
上司に1時間有休をもらうことを告げる。
忙しくて昼飯を食べる時間もなかったことを察している上司は疑うことなくOKを出す。


14:05

パソコンで有休のシステムを入力する。
隣のオッサンが、「最近カロナールって痛み止めを飲んでるんだけど、カロナールって痛みがかろーなるって意味かな!?ハハハ!!!」と笑いかけてくる。
何がおもろいねんと思いながら、「そういう安直なネーミングセンス、薬には多いですよね」と返す。うんこを漏らした女とは思えない軽やかな雑談をし、ノーパンのまま「ちょっと出てきます」と告げて部屋を出る。


14:10

車に乗り込んで、パンツマイキーに『このやりとりしてたからか知らんけど、うんこ漏らしたからパンツ買ってくるわ』とリプを送る。

パンツが食い込む食い込まないの論争ができるフェーズにいないのは確かだ。だって今ノーパンだし。



14:30

近くに大型ショッピングモールがあったので来た。GUでパンツを買う。「そういえば女子用のボクサーパンツが流行ってた頃は、休憩時間にパンツが食い込む!とみんな騒いでたような気がする」と思い出しながら、いつもと同じデカめのサイズを購入する。

トイレでパンツを履く。
なんという安心感。
変質者って大変。

念の為1階にあった薬局で、衣服用消臭スプレーを購入し、ズボンに吹きかける。


14:50
職場で上司に戻ったことを報告する。
オッサンが別の人間に「カロナールって痛みがかろーなるってことかなあ!?」と話をしているのが目に入る。いつまでその話してんだ、そんなに色んな人間にするほどの話じゃないだろ、と思いながら途中までだった作業を再開する。

仕事に戻る。
涼しい顔をして、仕事をこなす。談笑をする。

何事も無かったかのように、定時を迎え、1時間残業して帰った。


完全犯罪である。
これこそがOLの正しい所作だ。
どんなことがあっても焦らず、爽やかに、美しく対応する。
あの場にいた誰もわたしがうんこを漏らしただなんて思っていない。
見たか!!この身のこなし!!!
フハハハハ!!!道を開けぇい!!!!キャリアウーマンのお通りじゃい!!!!!!!!!





カシュ……
缶ビールを開ける音が虚しく鳴る。

「また漏らしたん!?!??いい加減ケツの穴の筋肉を鍛えろ!!!!!」

夕方、パンツマイキーから返信が来た。

そう。
“また”なのである。

私はよくうんこを漏らしている。
3年前、高校の友人の結婚式に行って、楽しすぎて4次会まで行ってたら朝うんこを漏らした。
一昨年は休日出勤でトイレが間に合わずうんこを漏らしてノーパンで帰った。

そして今日やってしまった。
一応念のため言っておくが、おしりの穴を排泄以外の目的で使ったことは一回もない。
が、使ったことがある人の頻度で漏らしている気がする。
快楽は知らない。ただうんこを漏らしている。
こんな惨めなことがあるだろうか。


今年で29歳になる。
毎朝トマトジュースを飲んでるのが、なんなんだろう。
どんだけ丁寧な暮らししてても、美意識高く行動しても、1回うんこ漏らしたら全部帳消しじゃないか。

枯れた笑いが出ながら、Twitterを開いて「今日職場でうんこ漏らしたけど、誰にもバレずに平然と処理までやりこなしてしまった。脱糞に慣れすぎている」とツイートをした。

缶ビールを飲み終わる頃、リプが返ってきた。
友人の眞さんだった。
短歌をやっていたり、noteでブログを書いていたり、言葉を紡ぐのがうまい一方で、突飛なことを急にやったり、道化師のような振る舞いをする。
かと思えば、かなり根が暗く、ヒッソリと誰もいない所で落ち込んでいるような人だ。

そんな眞さんから「おれまじで生きてていい心地になるや」とリプをもらった。

眞さんらしい不思議な文体だったが、私のクソエピソードを聞いての感想であることは理解できた。

職場でうんこ漏らすような奴もいる、その事実が誰かを少し勇気づけるのかもしれない。

丁寧にも生きたい。
トマトジュースも飲みたい。
うんこを漏らすのはたぶんこれが最後じゃないと思う。
全部ひっくるめて私だと思う。
今日一日が私という人間そのものなんだと思った。


そのあと来た眞さんからの「人間讃歌のうんこ」というリプに、なんて返すか迷いながら、寝た。
人生のテーマだなと、次の日起きて思った。




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