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片付け苦手人間が「考えるのをやめたら」うまくいった話

こんにちは。
実は私は片付けがすごく苦手です。ついついものを散らかしてしまい、そのままにしてしまいます。それが元で生活に支障をきたしたり、同居する妻に迷惑がかかったりしていました。このままではダメだと思いつつ、でもどうやったらいいのか・・・と長年途方に暮れていたのですが、最近やっといい解決策を見つけることができました。今回はその解決策を紹介したいと思います。

片付けが苦手

私は基本的に面倒臭がりです。何をするにも、少しやりたくないと「めんどくさ〜」と思ってしまいます。よくプログラマ三大美徳*1と呼ばれるものの中には「怠惰」がありますが、日常生活においてはいろいろな場面でデメリットをもたらします。
片付けが苦手なのはその最たる例です。小さい頃から「片付けなさい」と言われたことは何度もあるので、片付いた状態が「正しい」状態であることは頭では理解しているつもりなのですが、いつも「めんどくさ〜」となって実行できませんでした。
一人暮らしをしていた頃は自分が受け入れればよいだけでしたが、夫婦で生活するようになってから問題が大きくなってきました。「本当は片付けないといけないけど、めんどくさいし、まあ気にしなければいっか〜」が通用しなくなってきたのです。

なぜ苦手なのか?

片付けができないことが問題になるようになってから、自分がなぜ片付けが苦手なのかを考えるようになりました。
まず第一に思い浮かぶことは面倒くさいという感情です。片付けは労力を伴うものですので、面倒くさいというのは一定理解できます。ただ「面倒くさい」と表現したところで、どう対処していけばよいのかはわかりません。
そこでもう少し掘り下げます。片付けないといけないものを見たときの心の動きを振り返ってみます。例えば、もうしばらく読んでいない本が机の上に散らばっているような状況を考えてみます。

  1. あ〜この本もうあんまり読んでないな。片付けないと・・・
  2. この本はあの位置、この本はあの位置、これはあの場所だな〜
  3. だからこれとこれをあの部屋に持っていってこう片付けて・・・
  4. やることはわかったがやること多いな・・・面倒くさい・・・

どうやら、動く前に何をすれば良いのか考えて、実際に動く段になって面倒くさく感じているようです。

よくあるアドバイスとそれらへの反論

「うまく片付けられない」とこぼしていると、親切な方々からいろいろとアドバイスをもらうことがあります。しかし、残念ながらこれまでもらったアドバイスはいずれも私にとってはピンとこないものでした。

(1)散らかっていたらイライラするでしょ?片付いたらスッキリするよ!
これが一番よく言われます。これに対する私の感想は「散らかっていることそのものにはイライラしないし、片付いている状態にスッキリさもあまり感じない。むしろ片付けるストレス分だけマイナス。」というものです。
これは私の特性なのですが、なにか考え事をしているときや作業をしているとき、物理的なものの存在があまり認知に現れてこない感覚があります。すこし抽象的な物言いをすると「思考の世界が直接認識している世界で、物理的な世界は間接的に認知している世界」という感覚があります。必要に応じて物がどこにどう配置されているかは認識しますが、それは一定意識的に認知しようとするから認知に現れるものであって、わざわざ認知しようとしなければ、いわば「そこには無い」のと同じように感じます。つまり、物理的には散らかっていても、認知の上では片付いている感覚になるのです。

(2)片付けておかないと、次使うときに見つからなくて時間が無駄になるよ
確かにそうかもしれません。というか多分実際に無駄にしています。ただ、だからといって「元の場所に片付けよう」の動機になるかというと少し違いました。
家の中には様々な物があるので、当然物ごとにいろいろな収納場所に収納されることになります。ある特定の物を取り出そうとすると「この物が収納されているところはどこか」を考える必要があります。次に、その候補の場所に行き、その物を探すことになります。例えば「引き出しの上から2番目」だとしましょう。引き出しを開いたときの脳の処理は「前回その引き出しを開いたときの映像を思い出して、それとの差分を取る」という流れになります。これの厄介なところは、多少場所が動いているだけで認知できないというところです。これは毎回笑ってしまうのですが、本当に20cmとか動くだけで認知できないことが結構あります。もし見つからない場合は「じゃあ二番目に置きそうなところはどこか」と考えてその場所に移動します。なければまた別の場所に移動、また「最初のところで見落としていたかもなぁ」と戻る、みたいなことを繰り返しています。
つまり「決まった場所に収める」が必ずしもアクセスしやすいことの最終解決にならず、「前回使っていたところにおいてある」との差が曖昧になっています。なんなら場所を移動させることは「今身の回りにない」というリスクを背負うことになりますから、むしろマイナスに感じてしまっているようでした。「最初から元の場所に全部戻せばいいじゃん」という心の声が聞こえてきましたが、いわゆる「それができたら苦労しない」ってやつです。

(3)つべこべ言わない!片付いている状態が「本来の状態」なんだから戻しなさい!
これも聞きました。ただ「本当は片付けたほうがいいんだよな・・・」というのは元から認識していたわけで、これで問題が解決することはありませんでした。また「つべこべ言わず片付ける」という行為自体も全く理解できませんでした。なぜなら、頑張ってなんとか片付けに手を付けても、片付けをしている最中ずっと心の中にズーンと重いものがあり、「なんでこんなことをしなくちゃいけないんだ・・・」という気持ちに苛まれるので、こんな辛いことを「つべこべ言わず」やっていたら死んでしまうわ!という直感があったからです。

読者の方々はそろそろ「うるせぇ!」と感じているころだと思いますが、紛れもなくこれが私の「こじらせた片付け苦手感触」でした。

私の解決策

こんなにこじらせていたら解決しようもない気もしますが(私も半ば諦めていましたが)、ふと一つのいいやり方を見つけたのです。
それは「あえて考えない」ということです。もうすこし丁寧に言うと「考えたものを一旦捨てる」ということです*2

改めて、片付けを試みたときの自分の心の動きに着目してみると、やることが多くてげんなりしていることが分かります。一部作業を進めても「いやまだこんだけやることがある・・・面倒くさい・・・」と感じていました。もう一歩踏み込めば、心の中のもう一人の自分から「進捗どうですか?進捗どうですか??ねぇ、進捗どうですか???」と煽られているようなものです。その作業がラクなものであればパパッとやってしまえますが、苦手な作業ですから、「うるせー!もう知るか!!」と投げ出してしまっていたのでした。

そこで、私はこの「進捗確認してくる自分」を追放することにしました。最初の本の例で言うと、以下のように変更します。

  1. あ〜この本もうあんまり読んでないな。片付けないと・・・
  2. この本はあの位置、この本はあの位置、これはあの場所だな〜
  3. だからこれとこれをあの部屋に持っていってこう処理して・・・
  4. やることはわかったので、このうちこの本だけ片付けるぞ。他は知らない。
  5. よし片付いた!合格!

つまり、一旦考えた最後までの工程を頭から消去するのです。全体の工程がわからなければ、進捗管理のしようがありません。

こうすることで「すべてが片付いた状態」にはたどり着けなくなってしまいますが、心にストレスをかけて何もしないよりも一歩前進しています。しかも「少しだけ片付ける」の心理的ハードルが劇的に下がったおかげで、一日の中でプチ片付けをする頻度が爆上がりし、トータルでは却って片付く傾向になってきました。まさに発想の転換で「試合に負けて勝負に勝つ」といった感覚です。今では「おっ、片付けチャーンス!どれを片付けようかな〜」と、積みゲー消化の感覚で、むしろ楽しい作業になってきました。

さらに踏み込んで

今回の発見の画期的だと思うところは、「考えずに手を動かす」ということを実感を持って理解したところです。私がこれまで取り組んできた、また得意としてきた数学・物理学・ソフトウェア開発などは、いずれも「深く考えてゴールまでの道筋を立てる」ということが大事な分野でした。そのため、自然と「しっかりと考えた上で行動する」が身についており、日常生活でも実行していました。今回見つけた「考えたことをあえて捨てる」という逆転の発想は、慣れ親しんだやり方へのアンチテーゼとも言える手法でした。
考えることが癖になっていて、しかも得意なので、何をするにも無意識に「考える」が走ってしまいます。逆に言えば「考える」コストは自分にとっては大したことがないので、考えたものを捨てても大したことはないということです。考えてしまうのはもう仕方ないので、考えたものを意図的に捨てるということですね。
もし今回のように「考えた道筋のことが気がかりで作業が手につかない・効率が落ちている」といったことがあれば、意識的に「考えたことを捨てる」という作戦を取ってみようと思っています。

私の世界は180°変わりました。これからの人生が楽しみです。ではまた。

*1:怠惰・短気・傲慢

*2:結果的に、アドバイス(3)とよく似た表現になっているのが面白いところです。言葉で聞くのと理解するのの間には大きな隔たりがあるということですね。




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