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『コードギアス奪還のロゼ』最終幕ネタバレ感想(&同日公開『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』についても少し)

コードギアス奪還のロゼ』最終幕ネタバレ感想(&同日公開『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』についても少し)

どちらもチネチッタのLIVE ZOUND版で封切り日に続けて観てきた。

 

 

で、まずは『奪還のロゼ』。

1:全体としてめちゃくちゃ好き。サービス精神溢れる傑作だと思う。

2:明かされたノーランドの正体と目的は率直に言えば、つまらなかった。ただし「何を描くか」などより「どう描くか」において非常に面白かった。

3:幾らなんでも自爆特攻、自己犠牲が好きすぎるのはどうかと思う。

 

1:全体としてめちゃくちゃ好き。サービス精神溢れる傑作だと思う。

なによりまず全体としてめちゃくちゃ好き。全編、サービス精神に溢れに溢れている。とにかく楽しかった。

形式としてたとえばTVアニメシリーズ、その劇場先行上映、あるいは劇場版映画……どういう形をとるのであれ。『コードギアス奪還のロゼ』くらい面白くあってくれるなら、喜んで(お金も)時間もかけて観る。

最初から最後まで、とても面白かった。

 

ただし、そういう全体的な好感を大前提とした上で……幾つか言いたいこともある作品ではあった。

 

2:明かされたノーランドの正体と目的は率直に言えば、つまらなかった。ただし「何を描くか」などより「どう描くか」において非常に面白かった。

まずはノーランドの正体と目的。

皇帝シャルルの老いと死から逃れるための身体の予備、クローン体。

望まぬ役割と与えられて生まれ、役割を果たさないまま打ち捨てられ、人類全体への軽蔑と憎しみに満ちた存在。

……これについては序盤からいろいろ考える中で割合最初の方に思いつくし一応検討はしたけど、その正体、目的、どちらについても「それだとつまらないだろ」と思って割とすぐ想定から外してたやつだったので「えー、そうなんだ」とは思えた。

 

ただ「何を描くかより、どう描くかが面白い」ということは一般論としてよくあることだし、この作品においては特にそうだったかとも思えて。

 

ノーランドが世界に放った「ロキ」がようするに殺人ルンバであるというの、その在り方がそのままノーランドの考え、思想、欲望、願望といったものをそのまま表現していたわけで、それは表現としてだいぶ面白かった。

また、ノーランドが駆る「ファールバウト」北欧神話におけるロキ……父はアース神族の宿敵たる巨人、母はアース神族というハーフという特殊な出自のトリックスターで最終決戦「ラグナロク」では巨人側について戦うその神の、その巨人である父の名前であるわけで。その名前からしてノーランドの自認する立ち位置を象徴する存在でもある。

その「ファールバウト」がキャサリン・サバスラをはじめ人類とその機体でまともに戦おうなどとせず、人類の殆ど全てにとって手の届かない空/宙の高みにあって意思を持たない殺人掃除機を操りその「掃除」を見下ろし、周囲に自由な動きを不可能にするバリアを張り巡らせ、その全身の十数か所から近づいてきた相手の動きを停めてしまう光線を放ってくる……ようするに「うるさい、下等なハエどもが。消えろ。近づくな。黙れ。鬱陶しいから停まれ」と全存在をかけて訴える機体であるというのはなんというか、大変にわかりやすかったし、面白くもあった。

 

3:幾らなんでも自爆特攻、自己犠牲が好きすぎるのはどうかと思う。

この問題、最終幕でも解決されなかったし、むしろ悪化すらしてしまっていたなあ、と。

 

もちろん自己犠牲でない、人と人の信頼や情愛に基づく関係性とその価値、決断は随所に描かれてもいた。

 

まず第一にギアスが解けたアッシュがサクヤをこれからも助け、見定めていくと決めたのがそう。
サクヤとサクラの間の絆。
春柳宮サクラとキャサリン・サバスラの交流と絆。
ヴァルターのその母に捧げる忠誠のために娘にも向けられた忠誠。
ナラ・ヴォーンの行動を認め信頼で返した漣志郎。ロゼの通信要請に応じたナラ・ヴォーン。
ロゼとアッシュに命をかけて協力する黒の騎士団の面々。
ハルカと黒戸剣成……娘と父であり、団員と団長である2人。父は娘を愛し案じると共に認め、「必ず行きて帰ってこい」と告げて送り出す。

 

でも、それらを踏まえた上でもなお、なんというか「英雄的な自己犠牲」というやつが多すぎたし、肯定的に描かれすぎていたというか、だいぶ無批判なようには見えた。


勿論、誰も好きでそうしたわけではなく、そうしなければ当人含む皆が全滅したり深刻な被害が避けられない……当人はいずれにせよ(ほぼ確実に)死ぬ、という状況下のものではあったのだけれど(最後のアッシュにせよ、ああしなければサクヤは決して見過ごせず自らを犠牲にするしアッシュはそれを見過ごせず付き合うことになったので、いずれにせよ死んではいた)。
それにしても幾らなんでも多すぎだろ、とは思うは思った。

 

また第一話や最終話、それに「コードギアス」シリーズ全体を観ても作中世界はようするに命の価値が非常に軽く「当人にとって大きな意味のある死、価値があると信じて逝くことができる死」というのは作中キャラクターにとって(それぞれの境遇や価値観による違いは勿論あった上で)概ね非常に魅力的だろうといったことも分かる。

 

あと闇鍋はにわさんの感想記事

で触れられている「孤独の奪還」という視点もとても面白い(良い感想記事だと思う)。

 

ただ、それでもなお、なんというか構図としてアレ過ぎるだろうとも改めて思う。

 

だって、作品終盤がどういう構図だったのかといえば。

「うおおお!人間を掃除すべきゴミ扱いして無人兵器で人類絶滅に乗り出したノーランド許せないぜ!
世界中の人間の力と意志を結集して対抗だ!
そこにブリタニア人も日本人も◯◯人も何も無い!!!
人類の敵ノーランド・フォン・リューネベルクに人間の意志と信頼の力と尊さを見せつけてやる!
いくぜ、自爆特攻!自己犠牲!!」

人間の力と意思とギアスでは育めない信頼の象徴が自爆特攻とか……そして最後のアッシュの自己犠牲とかで、それで本当にいいの?
命の価値が非常に軽く、「意味のある死」に飛びついてしまいがちな世界だからこそ……命の尊さ、その価値をそれこそ「奪還」してみせないといけなんじゃないの?
そう思えてならない所はかなりある。

 

それこそ第一幕からずっと思っていることではあるけど、例えば地形なり陣形なりギミックなりその他戦術なりなんなり工夫して、バカの一つ覚えみたいな自爆特攻の繰り返しにしないで欲しくはあったし。
なによりアッシュ・フェニックスはアレで死んで終わりではそりゃあダメだろう。
古川慎さんの言う通り(?)

フェニックスなんだから、なんか適当に理屈でっちあげてでもなんでもいいから、早く復活して戻って来い。
「重護さんの気持ちが分かった」とか言ってる場合じゃない。
残される側の気持ちというのも少しは分かるべき。
いいから早く戻ってこい、この馬鹿。

 

 

続いて『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』。

「アクションを楽しむのに邪魔にならない程度にお話はある種ベッタベタな「マフィアのお嬢様と拾われた孤児出身の執事の忠義と恋の物語」としてまとめ、ダークマイトという胡乱でどうしようもなく小物でしょうもない、しょうもなさすぎてぶん殴って倒せばそれで終わり……という便利なやられ役も用意しました。素晴らしい心躍るアクションを存分にお楽しみ下さい

ということに尽きる作品だったかと思う。

skipturnreset.hatenablog.com

とりあえずは以上です。

 




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