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『コードギアス 奪還のロゼ』第一幕&第二幕(1-6話)雑感(ネタバレ感想)

目次

1:『奪還のロゼ』全体の感想と、主人公ロゼについて。ルルーシュとロゼの比較について。
2:アッシュと『奪還のロゼ』のアクション面における基本構図について
3:『亡国のアキト』との比較
4:『プリンセス・プリンシパル』との類似?
5:上田麗奈を讃えよ(あと古川慎も)
6:その他諸々雑感

7:(6/21追記)ノーランドというキャラクターについて

 

1:『奪還のロゼ』全体の感想と、主人公ロゼについて。ルルーシュとロゼの比較について。

6/19に川崎チネチッタで第一幕、第二幕と続けて観てきた。

まず一幕二幕を通じて全体に絶え間なく感じたのは、惚れ惚れするくらい安定した盤石の面白さ。シンプルに楽しい。
とにかくもてなしの良いエンタメで、ひたすら気持ちよく楽しませてくれ、それに尽きる。
全編を通じて清々しいくらい純度の高いサービス精神の塊だと思えた。
素晴らしいプロフェッショナルな仕事。

 

例えばまず主人公のロゼは存在自体が「コードギアス」ファンへのサービス精神の塊というか、ようするに色んな面で「彼女はルルーシュとどう違うのか?」がそのままキャラクター造形なのであり、あらゆる描写がメタ的にルルーシュに連動してファンを楽しませてくれる仕組みになっているように思えた。

例えば戦場も戦略も左右するような強大な合体メカの操縦を相方に完全に委ねて見せる姿なんかはかなりあからさまに「そこが(良くも悪くも。個人的には概ねは良いと思うけど)ルルーシュとの違い」と言わんばかりだった。

そしてルルーシュとの極めて大きな違いと言えばまずなによりあれだけ正体をギアスの束縛抜きで明かしまくって、信頼し特に保険なく生かしておく姿なんて、思いっきりルルーシュとの対比そのものだと思う。

 

言ってしまえば「こうすれば/できていればルルーシュもまっとうに幸せにもなれたのでは?」というある種のifが託されたキャラのようにも憶測したくなったりする。
まっとうに幸せになって欲しいと思えてならない。

 

それにロゼという存在自体が。

既にこの世界の異物として役割を終えたというかもう世界に関わるべきでないしそう自覚もしている筈のルルーシュがそれでもギアスの力を与えた存在であるわけだけれど。

「なぜそうしたか?」といえば、
作中でかつて憎しみと恨みと科学者としての無邪気な欲望に任せて大量破壊兵器フレイヤを生み出してしまったニナ・アインシュタインがある種の贖罪として自ら生み出したフレイヤを世界から抹殺するという仕事への関わりを自ら買って出て果たしてみせたように。
やはり恨みと欲望に任せてギアスの力を振り回したことのある種の贖罪として、ルルーシュとは違い、ギアスの力に頼らず人を信頼してまっとうな関係を育める人間=ロゼにギアスの力を託してギアスで歪んだ世界への贖罪なり後始末なりを任せたという話が結構あるのではないかと憶測したりもする。
いや、これは第一幕第二幕をまとめて一度見た直後に勢いで書いているだけで、いろいろまだわかんないから本当に仮定に仮定を重ねた憶測だけど。


もしもロゼが「まっとうに生きたifのルルーシュ」であるならば、彼女は言うなればその存在自体をもって「ルルーシュこの野郎バカ野郎」と訴えかけてくるキャラクターだという言い方もひょっとしたら出来なくもないのかもしれない。

 

「ところで「ダンカンこの野郎バカ野郎」って今だとどれくらい広く理解され得る言い回しだかミームだかなのかな。ちょっとわからないところがある……」と少しだけ思い悩んでいたらちょうどこんなニュースが飛び込んできてちょっと面白くもあった。

 

ルルーシュにとってC.C.だけはある意味他人とは言えないというか自己の延長という側面があるかとは思うからなあ、と(その意味において「スザクとその他」と比べてすら「C.C.とその他」はおよそ違う特別)。

他の誰かならいいんだけど、ことC.C.に委ねるというのはあまり他人に委ねられたことにはならないというか。

あと、ルルーシュはとにかくだいぶ長い間、C.C.と互いに互いを全然信頼できてないかと思えるし。

それはルルーシュが自分自身を全然信頼できていなかったということにも繋がるのかな、とぼんやりと。無闇に自信満々な態度は意識的か無意識的かはともかくきっとある種の虚勢でもあったのでは、という。

 

ところで『奪還のロゼ』がなぜロゼ(Rose)なのかと言うと薔薇の蕾(Rosebud)で『市民ケーン』かな?(つまり「秘密」そのものである存在だ、という話かな?)とぼんやり思うけど、まあ、それは大した話じゃないからいいや。

 

2:アッシュと『奪還のロゼ』のアクション面における基本構図について

続いて、ロゼの相方アッシュと『奪還のロゼ』のアクションの在り方について。

共に戦いを一切楽しもうとせず。兵士として容赦なく的確に相手の意図を潰し陥れ抹殺するガンダムSEEDシリーズのアスランと。暗殺者として容赦なく急所ばかり狙って仕事として抹殺するコードギアス奪還のロゼのアッシュ。戦闘スタイルがそのままキャラクター性に繋がっていて実に良いなと思う。

そしてロゼの指示を受け仕事を遂行するスーパー暗殺者のアッシュが、各々をチェスの駒として動く敵陣営を縦横無尽に食い破るというのが、マッチングでありカタルシス。基本コンセプトが明快で楽しい。

 

3:『亡国のアキト』との比較

ここで……色々語弊がありそうだからあえて詳しくは書かないけど。コードギアス『奪還のロゼ』は『亡国のアキト』の反省を活かしまくった作品だとも思える。

アキトも多脚メカアクションやキャラクタービジュアルや主題歌とかあれだけ強みがあったんだから、後はもうひたすらサービス精神に徹して、ファンサービスとその強みを活かすことに専念すれば良かったんだよ、という。

 

4:『プリンセス・プリンシパル』との類似?

ところで『奪還のロゼ』。
これはめちゃくちゃ強引な話なのであまり真面目に受け取られても困るのだけど。
湯川淳エグゼクティブプロデューサーで大河内一楼→木村暢でこれって、プリンセス・プリンシパル(劇場版)なんだよな。
いや、割と与太話だけど。
ともあれ湯川淳プロデューサーが強く関わる作品の傑作良作率の高さってきっと、結構顕著にあるだろうな。企画の在り方や座組に非常に強く影響力を発揮しているだろうから。

 

5:上田麗奈を讃えよ(あと古川慎も)

 

 

6:その他諸々雑感

 

奪還のロゼ。筋書きの上でもノーランドのキャラクター描写としても不可欠だろうことはそりゃあわかるんだけど、CV:市ノ瀬加那の儚すぎる十歳の少年皇帝がサクッと暗殺されたのおいたわしすぎて悲しくなった。

 

 

 

 

 

7:(6/21追記)ノーランドというキャラクターについて

奪還のロゼのノーランド。このキャラクターっていうなれば時代に取り残された不平士族もとい不平ブリタニア人を糾合して、その不平と心中して新時代の礎となる役回りを自覚してやっていそうというか。

ロゼがルルーシュから「ギアス」という歪んだ力の傷痕の後始末と贖罪を託されているのと対になる形で「ブリタニア」という歪んだ存在の後始末と贖罪がその役割なんじゃないかと憶測したくなるところがある。
ダモクレスを最初から放棄するつもりだった理由って、たとえばそんな感じなんでは?残ってしまっていたフレイヤもああいう形で始末した、という話なんでは。
ただし、不平も不平でもっともなところがあるからその思いを尊重する形で、フレイヤダモクレス落下で起きた惨禍/起きていたかもしれない遥かに酷い惨禍も、新時代のため犠牲となりいずれ消えていくべき「ネオ・ブリタニア帝国」の人々への手向けとして認容している、という。それが心中の覚悟だという。そんな感じで。

ブリタニア」にもレクイエムは必要、という話。そこにおいてルルーシュというかゼロとノーランドが重ねられ、更にその相違もクローズアップされるのでは、という。
「不平士族もとい不平ブリタニア人」と書いたのはようするにコイツ、ある意味において西郷隆盛的なやつなんでは?という話。江藤新平というよりは西郷隆盛っぽい。北海道占拠というのは五稜郭占拠した榎本武揚っぽくもあるけど。

 

 

 

※2024/7/9追記。

 




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