以下の内容はhttps://skipturnreset.hatenablog.com/entry/2024/06/18/185348より取得しました。


青崎有吾『地雷グリコ』『11文字の檻』感想。関連して相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』『invert 城塚翡翠倒叙集』感想も。

目次

1:青崎有吾『地雷グリコ』感想

2:『地雷グリコ』と相沢沙呼「城塚翡翠シリーズ」の共通点

3:青崎有吾『11文字の檻』感想(表題作のネタバレ含む)

4:相沢沙呼『invert 城塚翡翠倒叙集』感想

5:相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』感想

 

青崎有吾『地雷グリコ』を諸々のミステリ関係の賞を席巻、直木賞にもノミネートされ話題の上にも話題になった後でようやく読んだ(2024/6/16)。とても面白かった。
で、その流れで青崎有吾『11文字の檻』も読んだのと。
数年をおいて共にミステリ業界?を席巻してみせた『地雷グリコ』と相沢沙呼「城塚翡翠シリーズ」には大きな共通点があるのではと思えたし。
相沢沙呼午前零時のサンドリヨン』は2009年の第19回鮎川哲也賞、青崎有吾『体育館の殺人』は2012年第22回鮎川哲也賞受賞作で、どちらも北村薫先生が審査員に名を連ねて選評も書かれている。両作品は両作者のデビュー作でもある……そんな縁も大変面白く興味深いと思えたので、『medium 霊媒探偵城塚翡翠』『invert 城塚翡翠倒叙集』刊行時にTwitter上で書いていた感想も再編集してこの感想記事に加える形でまとめて書いてみようと思った。

 

 

1:青崎有吾『地雷グリコ』感想

青崎有吾『地雷グリコ』を2024/6/16にとりあえず読み終えた。

もちろん今更になって読んだの流行遅れもいいところで……で、少しだけ検索して同意見多数どころじゃないのも確認した上で言うのだけど……(twitterアカウントの発言とか眺めていて)知ってはいたけど作者があまりにも『嘘喰い』好きすぎるだろ!!どうみてもあいつ「立会人」じゃねーか!!!

これで直木賞候補というの面白いな。

この作品読むのに『嘘喰い』は別に必須じゃないけど、そりゃあ補助線にはなる得るわけで。なり過ぎるくらいになるわけで。

よりよく作品を理解するためにピエ郎の『嘘喰い』作品紹介や作者との対談動画を観てみましょう……なんて話に……ならないか。なったら面白いのにな。

 

  

 

※6/19追記

2024/6/19掲載のこの記事に、引用したように実に力強いコメントが掲載されていた。

 

で、なんだか妙に長くなった前置きはおくとして。

『地雷グリコ』はまず、非常に意地悪な作品だと思った。
射守矢真兎の「戦略」は作中で明示されている通り。
その上で最初に提示される表題作は、なんというか読んでいて、一見ある種隙だらけ"に見える"。「あ、そこについては分かってた!うんうん。読めてた読めてた……」みたいに"言いたくなる"ように書かれている。そういう風に書かれている。
で、読み進めるにつれ、なんであれ完璧に底の底まで読み切るのでない限り、そこまで行き着かない限りは程度を問わず、この作品(という仮想の人格を仮定すれば)にとっていかようにも好き放題に料理できるカモでしかない。そのことが底抜けのバカでなければ分かるように順を追って描かれていく。

本当に"良い性格"をしている作品だと思う。

 

 

「受賞作『地雷グリコ』は、ギャンブル漫画からの影響が非常に濃い作品です。もし本作が、文庫オリジナルとして出ていたら、あるいはライトノベルとして刊行していたら、同じように注目され、評価されただろうか……そんな思いもあります。この突飛な作品の受賞をきっかけに、文学賞の間口がさらに広がっていけば、より嬉しく思います」

 

2:『地雷グリコ』と相沢沙呼「城塚翡翠シリーズ」の共通点

ここで作品もメインヒロイン?も"良い性格"という話ならば相沢"太もも"沙呼先生の「城塚翡翠シリーズ」の後に青崎"嘘喰い"有吾先生の『地雷グリコ』が業界?を席巻しているようなのなんだかだいぶ面白い。

 

そして冒頭でも書いた通り、相沢沙呼午前零時のサンドリヨン』は2009年の第19回鮎川哲也賞、青崎有吾『体育館の殺人』は2012年第22回鮎川哲也賞受賞作で、どちらも北村薫先生が審査員に名を連ねて選評も書かれている。

両作品は両作者のデビュー作でもある。

そんなことも、とても面白い。

『地雷グリコ』の射守矢真兎と『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の城塚翡翠はある意味においてというか、戦略の基本の基本が似すぎているというか、同種とは言えると思う。基本がそうである上で、そこからが全然違って、だから尚更互いに引き立て合ってより面白く思えてもくる。

そしてもう一つの、そしてより重要な『地雷グリコ』と「城塚翡翠シリーズ」の共通点は、どれだけ作品を深く楽しむかは読み手次第と挑戦的に委ねられていることかと思う。
作者は底の底の更に底の、さらにそのまた底の……と用意してみせている。
それにどこまで付き合うかは読者次第。

そこにこそ両作の魅力の真髄があるのだろうと、ごくごく個人的には思う。

 

3:青崎有吾『11文字の檻』感想(表題作のネタバレ含む)

 

『地雷グリコ』に続き、『11文字の檻』も2024/6/18にとりあえず読み終えた。

以下はその上で「下手に検索すると思ったことそのまま書けなくなりそうだ」と思い、読み終えた勢いのままバッと書き殴った感想になる。

いろいろと当然に周回遅れというか、きっと既に言われ尽くしているだろう話ばかりしているのだろうなとは思う。

 

なんといっても一番面白かったのは最後に収録された、書き下ろしの表題作。で、

「ここには本も電卓もないから、感覚でしか話せないが……日本語の簡潔な文章を、文節ごとに分けるとするだろ。そうすると、大抵の文節は三パターンのどれかに収まる。二文字、三文字、四文字だ。<僕は、友達と、朝まで、走った>とか、<昨日、君の、家を、完全に、破壊した>とかな」

(「11文字の檻」)

その表題作読んでいて「ここ、あまりにもセンスがtwitterだな」と思って「抜き出したらちょうど140文字になったりしてないかな?」と思ったのだけれど、そうではなかったみたいだ。

ともあれ、そんなことよりも。
『11文字の檻』表題作読み終えてまず思ったこととして。
この檻は/あるいはこの世界は『メエルシュトレエムに呑まれて』であって『岩窟王』ではない。「待て、しかして希望せよ」が通じる世界ではないが、にも関わらず生還するために絶えず思考を続けそれに賭けなければならないというの、なんとも小洒落ているなとは思った。

ただし、

『ここはきっとメールシュトレームだ。シャトー・ディフじゃない』

の意味については……引いては言ってしまえばきっと、この作品のテーマそのものについては、

「ある古本屋が、ここはメールシュトレームだと言っていました」

で十分で、その次の一文は言わずもがなの蛇足では?とは思った。
あと版なり翻訳者なりとして「メエルシュトレエム」より「メールシュトレーム」のものの方が好みなのかな、とも思った。

 

次に二番目に収録された「噤ヶ森の硝子屋敷」のあまりにも鮮やかな解決に「うわ、かっこいい!」と心から感嘆させられたし。

あまりにも新本格らしいこれもやれるし、冒頭に収録された「加速してゆく」のように繊細に人の心も時代も捉え扱って見せることも出来る……と両方を示して見せてるの心憎いなと思った。

 

三番目に収録された「前髪は空を向いている」についての「著者による各話解説」。「アイツ「わたモテ」の話になると早口になるの気持ち悪いよな……」を(きっと、間違いなく明らかに)分かった上でそうやって見せてるの笑ったし、ファンたるものこれくらいファナティックであるべきという個人的な好みにもすごく合っていて、楽しかった。

 

最後に「恋澤姉妹」について。
"見よ、純粋なる「百合」という概念を体現しきった存在が此処にいる!!"という話を文庫版で60ページ以上に渡って繰り広げているの、だいぶ笑ったし、面白かった。
で、これだけ見事に「見よ!」という話なのに締めくくりの一言はそうあるべくしてそうなんだ、という。笑える。とても好き。

 

 

4:相沢沙呼『invert 城塚翡翠倒叙集』感想

『地雷グリコ』及び射守矢真兎に関連し、その作品の魅力の中核に関わるものとして相沢沙呼「城塚翡翠シリーズ」との共通点について言及したので、その感想もこちらで改めて。

 

ただ、何より引き合いに出したいのは2作目『invert 城塚翡翠倒叙集』の次の感想なので、1作目『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の感想に先立って、まずはこちらの紹介から。

ようするに『invert 城塚翡翠倒叙集』をどれだけ深く楽しむかは挑戦的、あるいは挑発的な形で……まさに「読者への挑戦」という古式ゆかしいエラリー・クイーン以来のミステリの作法に則り、作者の手によって読者に委ねられている。

その挑戦にこそ作品の魂なり作者の心意気なり、面白さの核心なりが在るのだと思える。

そして「読者への挑戦」という形式こそ踏襲はしていないけれども『地雷グリコ』も正にその点……作品をどれだけ深く楽しむかは挑戦的、あるいは挑発的な形で作者の手によって読者に委ねられていることにおいて「城塚翡翠シリーズ」と他のどの点よりも大きく深く重なる所があるのだと思う。

どれだけ面倒くさがったりせす「論理の積み木を組み上げて」作者の挑戦に応じられるか。作者が突きつけてくる執念というか妄執の域にまであるようなとんでもない深みにどれだけ付き合えるか……『地雷グリコ』も「城塚翡翠シリーズ」もいわばそんな形で読者を試すと言うか、読者の在り方を問う作品であることに最大の特色があるのだと思う。

 

ここまでで『地雷グリコ』との関わりにおいては紹介?をだいたい終えてはいるのだけれど。

ちなみに一応書いておくと「『地雷グリコ』の射守矢真兎と『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の城塚翡翠はある意味においてというか、戦略の基本の基本が似すぎているというか、同種とは言える」というのは、

ゲームのことはわからないけど、真兎の戦い方なら知っている。

真兎は常に、「勝てる」と相手に思い込ませる。

という戦略のこと。

城塚翡翠も相手に対して(特に「男」に対して)めちゃくちゃに都合がいい、与し易く利用しやすい存在と意図的に何重にも罠を張り巡らせて思い込ませることを基本的な戦略としている。

そして、その両キャラクターの在り方は、ある意味においてそのままに両作品の在り方にも通じる所がある。

何も考えずさらっと提示される謎と解答を楽々と読み飛ばして楽しめてしまえる作品……と一見思わせておいて、真の楽しみというか懐が異様なまでに深い。

どちらもきっと、そういう作品なのだと思う。

 

で、『invert 城塚翡翠倒叙集』についての感想をせっかくなので続けると。

……といっても、以下の過去の投稿を引用するだけなのだけれども。

勿論、現行の帯文が大変美しくよく似合うけど、作中から引用で

「なにが叙述トリック だ! ふざけんなよ!」

も良かったのでは。無論、それは全面的な賛辞だけど。

なお前作『medium 霊媒探偵城塚翡翠』について、ネタバレの感想でこんな風に

あれこれ書いたのだけれど。

特にその中での、


千和崎真に見せている貌、あるいは彼女が思い描く城塚翡翠の姿もまた、他の仮面の一つに過ぎないのかもしれない。

「すべては、勝手な想像だ。願望といえなくもない」

千和崎真に保留させてる言葉はそのまんまその通りで、これも奇術師の誘導に掛かっているだけなのかもしれない。
あるいは、最終話での、

「君は、どこまでが芝居なのか、そうでないのか、まったく分からない……」
「ええ、ときどき、わたしにも……」

というやり取りが示唆するように、城塚翡翠自身にも何が仮面で何がその下の素顔か分からなかったり、そもそも"一つの素顔"というものが確かに存在しているものではないのかもしれない。
その定まらなさが趣向であり魅力かなと思う」


という話がますます磨きがかかり、より華やかによりえげつなく押し出されてきたのが嬉しく、そして「ここまでだなんて……」と驚きにもなった。

また、これも先掲の前作での感想で、

「既に解決している事件に読者への挑戦状が挟まれるだなんて、滅多にないことかもしれませんが」

と作中で語られた形式は、ミステリというジャンルの中でどの程度珍しいのだろう?ということがあったのだけれど。
『invert 城塚翡翠倒叙集』ではまさにその形式が豪華絢爛に咲き乱れていたわけで、珍しいも何も、類例があるにしてもここまで徹底してそれを志向してやりきっている作品はまずもってないのでは?と思わされる。

すごい。ただただ、個々の事件について問いかけ翻弄する華麗なマジシャンの手さばきと、一冊全体を通してこれだけいろいろと明かされても(ような素振りを見せられても)「城塚翡翠とは何者なのだろう」という謎は深まり魅力がますばかりという上演された舞台の見事さに拍手しかできない。

 

5:相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』感想

 

流れで「城塚翡翠シリーズ」の第一作『medium 霊媒探偵城塚翡翠』についての感想もこちらで。

 

 

 

↑上記記事はいろいろと冗長でアレなのだけれども。

相沢沙呼と青崎有吾を繋ぐ「鮎川哲也賞受賞でデビュー」という絆(?)にも関連するかもしれない話として、鮎川哲也賞関連の話題も結構書いているので、もし興味がある向きはどうぞ。

 

そして『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の「ミステリの手法やジャンル、古典への愛着と工夫」について、すこし。

 

■論理で語られるミステリーと魔術的な怪奇小説の境

『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は、"論理で語られるミステリとして着地したかと思われたものがエピローグで魔術的な怪奇小説に裏返った……のかもしれないし、そうでないのかもしれない"というカーの某有名作品からの変奏になっているのではと思えて。

ミステリか怪奇小説か、どちらでも成立し得る……という趣向は最終話終了時点での犯人の独白に直截に担当させた上で。
エピローグでは概ねミステリに着地させつつ(いや、一応、そこもフェイクなのかもしれないという疑いは残り得るけど)"霊媒探偵城塚翡翠"という存在、人間の在り方が180度裏返ったものが再度裏返り直した……のかもしれないし、そうでないのかもしれない、とキャラクターに焦点を当てて見せている。
千和崎真に見せている貌、あるいは彼女が思い描く城塚翡翠の姿もまた、他の仮面の一つに過ぎないのかもしれない。

「すべては、勝手な想像だ。願望といえなくもない」

千和崎真に保留させてる言葉はそのまんまその通りで、これも奇術師の誘導に掛かっているだけなのかもしれない。あるいは、最終話での、

「君は、どこまでが芝居なのか、そうでないのか、まったく分からない……」
「ええ、ときどき、わたしにも……」

というやり取りが示唆するように、城塚翡翠自身にも何が仮面で何がその下の素顔か分からなかったり、そもそも"一つの素顔"というものが確かに存在しているものではないのかもしれない。
その定まらなさが趣向であり魅力かなと思う。

 

■信頼できない語り手

地の文では嘘「は」つかない語り手=探偵が犯人。
アガサ・クリスティの某作があまりに有名。

 

■特殊ミステリと、それならではの趣向

探偵が超常の能力で論理を挟まず犯人や重要な証拠を得たり、仮説の当否がわかってしまったりするタイプの特殊ミステリの趣向。
例えば個人的には先日、探偵が持つ魔法の鏡がwhoもwhatも聞けばなんでも教えてくれてしまい、その後で依頼人に納得してもらうため適当な推理をでっちあげる(その"納得できるでっちあげの方法"すら聞けば鏡が教えてくれる)森川智喜『スノーホワイト』を読んで面白かったけど、その解説でも最近は色々な特殊ミステリが流行っていると語られていた。

で、その趣向を用いる場合には用いる特殊設定があってこその面白味が求められるかと思えるけど、『medium』では

「でも、これは推理小説だとして考えると珍しいケースかもしれませんね。なにせ、真相にたどり着くことの出来る論理が二通りあったわけですから」

という裏返した多重解決ものというアイディアが盛り込まれ、それをこうしてぬけぬけと自ら語ったりもする霊媒探偵城塚翡翠というキャラクターが魅力的。

推理作家の犯人に対して、その観察眼や推理の中の人物像はダメダメですね、

「人間が書けてなさすぎます」

と煽る悪いミステリーオタクぶりなども愉しい。

 

※ちなみにミステリ小説に対する「人間が書けていない」という難癖は直木賞というものと非常に深い因縁?がある話題だったりもするので。

なんせこういうやつ↑だけでなく近年でも米澤穂信『折れた竜骨』について「思想が欲しい」という難癖がついたりもしている、なかなかに伝統的???な問題であったりもする。

現在(2024/6/18)『地雷グリコ』が直木賞にノミネートされているのはなんだかとても面白い巡り合わせ(?)な気もする。

 

ところで、あまりミステリに詳しくないのでこうした"裏返した多重解決もの"という作例を他に知らないのだけど、「珍しいケース」ではあってもそれなりにあったりはするのだろうか。
あと、

「既に解決している事件に読者への挑戦状が挟まれるだなんて、滅多にないことかもしれませんが」

についてもどうなんだろう。
ただ、仮にどちらも幾らか、あるいはそれなりに作例があったとしても、その組み合わせや語りの妙は色褪せないというか……これだけネタが掘り尽くされたジャンルで単体のアイディアや趣向自体のユニークさで勝負しようというのは概ね無謀かつ無理というのは大前提であるところ、そういうものでは?と当然に思う。


また、こうして主に、渋くマニアックな作家や作品でなく、ネタ元も用いた趣向もホームズ、チェスタトン、クイーン、カー、クリスティと明示し語りつつ、パロディ?も『黒死館殺人事件』だったりと古典中の古典ばかりを選んで並べ立ててみせることも、"ごく基本的な技術を研ぎ澄ませ組み合わせることを核に、独創的な手品を成立させてみせる"というスタイルの奇術師の手際なのかなと思えたりする。

 

……ただし、ミステリの古典中の古典以外のものやマニアックな元ネタやパロディも多数仕込んであるけど、ごく個人的にろくに気づけていないだけというだけなのかも?
例えば最終話の題名『VSエリミネーター』が『ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』(一応書くと、マニアックと言うには十分有名だし、勿論傑作(かつ個人的に大好き)だけど、ミステリの古典中の古典という枠ではなさそう)のパロディだったりするのかもしれないし、しないのかもしれない。
なお、ちなみに↓という話もあったりする。

「君は……、何者、なんだ」
(中略)
「わたしは霊媒ですよ。
(中略)
わたしは人間の心理を弄ぶ……」
(p318)

※飛鳥井仁の能力っぽくはある。

 

「(前略)わたしもこう名乗りましょうか」
(中略)
「わたしは、探偵ですよ。霊媒探偵城塚翡翠------、とでも名乗っておきましょう。先生のような、社会の敵を排除するのが、わたしのお仕事です。もう会うことはありませんが、お見知りおきを」
(p372)

※「社会の敵」が「世界の敵」っぽくはある。

 




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