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安和すばるが「嘘つき」というのはどういうことか、という話/『ガールズバンドクライ』5話時点での感想

安和すばるは4話で祖母に役者の道から外れ、バンド活動をはじめたいと告白しようとする。

ここで少し考えてみると、役者になることとバンド活動は単純に職業と考えるなら別に択一ではない。

それがなぜ……というのはきっと安和すばるが晒して叫ぶべきなのが「嘘つき」という話とも絡むのだけれど。つまりは人生全般、生きる姿勢の話と捉えているからなんだろう。

装い、演じる役者。装い、演技する生き方

裸の自分をぶつけるバンド活動というか新川崎(仮)のライブ/音楽。そういう生き方

という構図。

"役者よりもバンドをやりたい"ではなく、(職業として両立できるけど)"役者にはならない""なりたくない"というのは装い、演技する「嘘つき」な自分の生き方をずっと続けるのが嫌だということだろうし。


祖母・安和天童の述懐、

「私ね、娘にはこの仕事、ひどく嫌われてるの。偉そうな割に家のことは何もできないって。だから嬉しかったな。すばるが私の仕事を好き、って言ってくれた時は。あの子だけは笑ってくれたの。私の仕事、あの子だけが好きだ、って。やってみたい、って。……感謝してる」

もどうみても単に仕事でなく、その人生、生き方全般についての話をしている。

 

ただ、これが単なる志望する職業選択の話でなく人生の話だとするとなおさら、ドラムでのバンド活動も少なくとも4話の段階ではこれが本当にやりたいこと「かもしれない」に留まるのに拙速にそちらに道を絞ろうとすることにもきっと、大きな問題がある。
「バンドをやりたい」とはっきり道を見出しての主張というより、「役者になりたくない」という逃げの度合いがきっと、大きい。

 

だから、すばるが祖母に"役者にはならない、バンド活動をやる"と告げようとする寸前にそれを促していた仁菜が掌を返して止めたのは"問題を先送りにした"とか"せっかくのすばるの成長の機会が損なわれた"という話ではなく。
本当に今ここで"すべきではなかったこと"をしっかり止めて貰ったということなのだと思える。

 

新川崎(仮)のバンド活動で裸の自分をぶつけたい(別にバンド活動というもの全般がそういうものだなんてこそはおよそないと思うけれど、新川崎(仮)の活動に限ればそれが核心になるようだ)……では、安和すばるにとって、ぶつけるべき「裸の自分」とはなんだろう。
ライブでの振る舞いだけでなく、そういう生き方とはなんだろう。

 

例えば、余りにも当たり前の話だけれど、それは井芹仁菜の在り方とは違う。
すばるが仁菜とは別の人間である以上、「裸の自分」の在り方も全く異なるはず。
まあ、もしなんか勘違いして安和すばるが「私も変に装ったり演技したりせず、ニーナみたいに(その時その時で色々忙しく考えたうえでのことでも)衝動に任せて暴れたい!」とでもやろうものなら、秒でバンドが崩壊してすべておしまいになるわけで。そういうものではないのは明らかすぎることだ。


勿論、河原木桃香とも違う。5話は正に桃香が晒すべき「裸の自分」の在り方を問われ、問い詰められた話で。
仁菜によって「爪痕、つけていきましょう!!」と。かつて思い描いていた自分……ダイヤモンドダストの仲間たちと絶対に一緒にガールズバンドを続ける、それが一番かつ共通の願いだと信じていた自分と今の自分は変わってしまったことを受け入れて。
かつての仲間とそして自分自身にケジメをつけることを求められ、応じることになった挿話だった。

 

で、ライブ衣装のシャツに大書された「脱退」というのは正にその「裸の自分」、現在進行形の傷であり。
どんなに曲げられるものなら曲げたいと自身が願っても折れることが出来ない、自分に嘘をつくことはできなかった在り方の象徴だったわけで。

また、仁菜が自分のシャツに「中退」でなく「不登校」と大書したのも、それが過ぎ去った過去でなく、今も学校に通っていない、通えていない……「負け」続けているという現在進行形の傷で、どうも行動原理に"自分の考える正しさを曲げられない"負けたくない"があるらしい井芹仁菜にとって耐え難い、しかし直視しないといけない自分の在り方だからと思う。

となると、安和すばるのシャツに書かれた「嘘つき」もまた、すばるにとってやはり現在進行形の傷であり。
そうであると共に「嘘つき」であることもどうにもし難いすばるの在り方なのではと思う。

 

例えば、桃香桃香である以上「脱退」は避けられなかったから、傷ではあっても悔いではないように。
例えば、仁菜にとって「不登校」は「負け」(こうした「勝ち」「負け」は具体的な誰かがそう判断するとか世間の評価とかいうより、仁菜が自分自身に対して自分は負けているとか勝っていると認識するという意味合いが非常に大きいのだと思う)で傷だけれど、どうにかして「登校」したいというのでなく、(たぶん高卒認定とって)大学受験していい大学に入って「勝って」やろうとしているように。
安和すばるはきっと「嘘つき」を辞められないし、日常生活の中でも他の場面……バンド活動のライブの場以外で「嘘つき」ではない自分を求めている訳でもないのでは、と思う。

 

例えば、よく周りの空気や思惑や気分を読んでいろいろ装ったり演技して場を取り持ったりするのは多分得意なだけでなく、そうすることが自然で過ごしやすくもありそうだし。
装う、演技するといえばそれこそ、なぜかいつも偽制服を着ているのが正にそうであるところ。

まず、偽制服を着ている理由が5話で問われて答えた言葉通りでは無いことははっきりしている。

「なんですばるちゃんていつも制服なの?」「着るもの考えなくて楽だし、それにいろいろ得なことあるんだよねー、女子高生だと」

「…嘘つき」

そもそも、安和すばるは「女子高生」ではない。
おそらくアクターズスクールに制服なんてなく、通ってもいないどこかの高校だか、どこのものでもない偽制服ということになる。

「言っとくけどね、アクターズスクール行ってる、っていっても私の所は高卒の資格貰えないんだよ!あなたと似たようなもん!」

その上で、自分の立場に大いに屈託を抱いている。
高卒の資格を貰えず、将来が限られている。
そして当人のいう通り役者になるつもりもないのだとすると、中卒のまま社会に出ていくことになってしまう。

 

また「いろいろ得なこと」を気楽に享受する/できるタイプでもない。

桃香さん。自分がお金出してる、ってちゃんと言ってくれればいいのに」
桃香さんからしたら子どもなんだよ、私たち。そりゃ年下だし。社会出て働いてるわけでもないし」

こういうことを意識し、分かり、このように語る人間には、"今はなにかと保護され与えられる「子ども」である/でしかない自分"に屈託があるのは明らかだと思う。

 

では、安和すばるはどんなつもりでいつも制服姿でいるのだろう。

 

一つ考えられるのは、これが安和すばる流の世界へのある種の中指の立て方、ロックな在り方であるのかもしれないということ。
高校を退学した仁菜が「勉強して良い大学に行かないと」「負けたことになる」と周囲からの目線も気にして、そしてなにより自分自身の自分に対する捉え方としてそう思い込んでしまっているのに対して。
すばるは今の自身の半端な立場に屈託を抱えつつ、外見上制服を着てみせることで「いろいろ得なことがある」と世間の目を利用して見せるという、強かさであると共にいつでも直球過ぎる仁菜とはまた違ったある種の反抗をしている……そうすることでなんとか自分を保って生きているのかもしれない。


他に一つ考えられるのは、一般に「学校の制服」の大きな機能の一つとして挙げられる"貧富の差に関係なく、同じ服装でいることで格差を感じず/感じさせずにいられること"を「いろいろ得なこと」の一つとして利用しているのかもしれない。

有名女優を祖母に持つ安和すばるは裕福だ。
(おそらく武蔵小杉の)タワーマンションの、やたらとデカい部屋に一人で住んでいる。
そして祖母が有名女優であるだけに、その孫娘として裕福であろうことも周囲に知られるなり察せられるなりしていることが多いだろう。
その上でアクターズスクールという環境上、服装にはその価格等も含め周囲も敏感であるだろうところ、金のかかった服装をしていればひがまれたり距離を感じられたもあるだろうし、そうでなければそうであったで「お金あるのに、嫌味だな」と受け取られたりと、何かと面倒なこともあるのかもしれない。
スクールでも謎制服を着ていれば、その面倒は回避できる。

「あ、あの安和さんは」

「安和さん?ああ、すばるちゃんか」

「すばるー!」

多分はっきりそう言わないだろうけどすばるは「安和さん」と呼ばれるのが嫌だときっと周囲の皆に伝わってる。
その上で「あの安和天童の孫娘」である事もきっと皆知ってる。

そんな中で気軽に親しげに「すばるちゃん/すばる」と読んで貰えるような関係を望み、築くにはそういった工夫も必要だし、そうしているのかもしれない。

 

安和すばるが周囲との経済的な格差にかなり敏感なのは、いろいろな描写のから伝わってきたりもする。

例えば4話で上掲の自宅に仁菜を招いた際の言動……「ん?私の家だよ。入って入って」「すぐ飽きるけどね」辺りの端々にも、暮らしが贅沢な事もそれへの相手の反応も大した事ない何も気にしてないよと装い演じている、あるいは分かった上で"どうか気にせず接して欲しい"と願っている事を汲み、そう振る舞ってほしいという思いが溢れていた訳で。

そこで「どこなの、ここ」「すごーい…」と驚きつつ、「好きな所座っててくれる」と言われるなり即座に好き放題ソファークッションでくつろいでみせた仁菜が、すばるにとって凄く嬉しい存在だったろうというのも容易に想像できる。

 

あまりの傍若無人ぶりに呆れつつも

「ゲームやる時にいいんだよね、それ」

と軽く言った時/言えた時、嬉しく、心が軽く在れただろう。
この台詞の時、飲み物を置く画であえてすばるの表情を映さない演出も良い。

並ぶ飲み物…相手と構えず対等に居ることが出来ているすばる、という意味もあるのかと思う。

 

例えばもしも、アクターズスクールの同年代の仲間を連れてきたとして。
やっぱりまず「すごーい」と声を上げるだろうとして。

 

"高卒資格もないスクールで先の保証もなく今と未来の生活に困ったり不安を抱えて頑張らないといけない私達と違って、有名女優の祖母のコネもあってそれでもう仕事も来てるし、その上、もし女優で一人立ちなんてできなくても暮らしていくのになんも心配なさそうで、祖母そっくりな美人のすばるは良いよね!すごーい!"

 

などといった思いが言葉に出されるなり、滲み出るなり、口にしなくても察せてしまえたりしたらそりゃあ嫌だろうな、と。

 

また、居酒屋や鍋料理の食事やスタジオ代を、バイト暮らしの桃香が大人としてバンド活動の先輩として出すのを"私、お金ありますから"とか四の五の言わず素直に受けているのも、そうするのが桃香にとってやりやすく助かるのが分かっての振る舞いに違いないとも思う。

 

ともあれ、話を戻すと。

「すばるがなぜ、いつも偽制服を着ているか」は上述のようにいろいろと憶測も出来て、それはあるいは正しいのかもしれないし、あるいは単にひどく的外れだったりするかもしれないけれど。

実のところはそれよりなにより"そもそも、安和すばるは装い、演技するというそのこと自体が本質的に好きなのかもしれない"と思えたりもする。

 

ここで、言葉の上ではそういう見方に真っ向から反する台詞がありもする。

「おばあちゃんの七光りでどこいっても特別扱いなのも嫌だし」

「そもそも芝居って好きじゃない。恥ずい」

その言葉を文字通りの本音だと受け取る解釈の筋もあるはある。

例えば、すばるはこの台詞を言ったすぐ後、自分に良く似た若き日の祖母を映す画面を消す。


幼い頃は祖母にそういったように、役者という祖母の仕事も好きで、やってみたかった。でも、河原木桃香が高校時代の桃香のままでいられなかったように、安和すばるも変わってしまった。
画面を消す動作には、自分が変わってしまったことへの屈託や、幼い頃の自分の言葉を喜び、今も自分がその頃の思いを抱き続けていると捉えているだろう祖母への申し訳無さ等を振り切るような思いが籠もっているのでは……といった具合に。

 

でも、それとは違う解釈もできて、ごく個人的にはそちらに傾いている。
示されているのは自分の力で得たのではない恵まれた境遇への周囲の反応、それを意識し絶え間なく演技する事への自己嫌悪といった……装い、演技することを強いられることと、その方向性なのではと思える。
ここで「そもそも芝居って好きじゃない。恥ずい」が文字通りの本音だとしたら安和天童があまりにも報われない……とも思いつつ、それ以上にそれこそ、そもそも4話に限らず安和すばるの言動を見てその場面場面の心理を考えてみても、どう見ても「芝居って好きじゃない」ようにはとても思えない。その逆に思える。


また4話を通じて天和天童と安和すばるは外見だけでなく、本質的にとても似た者同士の祖母と孫なのだろうと思わせる描写がされ続けていると思う。

 

祖母についてすばるが言った

「言ったことを額面通り受け取ると、痛い目見るわよ」

は、それこそいつでも額面通りに受け取れない言葉を吐くすばる自身についてもぴったり当てはまるだろうし。


初対面の仁菜達の無礼を大目に見たり、すばるが「本心」を告げようとする時には(そもそも全て察した上で)優しく待ち受け、むしろ穏やかに促すような態度を取っていた姿からはこの祖母も孫娘同様の「とてもいい人」なのだろうと察せられるところもあり。

大女優があれだけ圧をかけての即興劇への誘いを「嫌です」と正面から断ったあたりでおそらく仁菜をめちゃくちゃ気に入ったのだろう(だからこそ、例えばただ孫娘の友人だというだけで打ち明けるわけもない、大事な心の裡を語りもしたのだろう)あたり、そういういわば好意の湧くツボみたいな所も孫娘と良く似ているのかと思える。

で、それだけ祖母と孫娘がよく似ているならば。
孫娘の方も本当の所「芝居って好きじゃない」なんてことはおよそ無さそうだと思えてならない。

 

ただ、"安和すばるには大女優の祖母がいるけれど、安和天童にはいない"というのが二人の大きな違いというのはありそうで。

安和すばるはまず「安和天童の孫娘」という外装を否応なく被され色眼鏡で扱われ、否応なく対抗して装い、演技する事を強いられる。
祖母は実力で自分の立場を築き上げただろうけどすばるはゼロからのスタートは切れない。似た者同士でも、その違いから自己肯定の在り方に違いがあるだろう。


また、アクターズスクールに入るなどして役者の道を歩み始めた時、周りから祖母の七光りとみられると共に、当人自身が"祖母と違って私には才能なんか無いんじゃないか。あれだけ期待してくれている祖母を、自分の才能の無さが裏切ってしまうのではないか"といった恐れや不安に苛まれるというのは、ある種そういう立場の人間によくある話ではないかと思える。
安和天童の出世作「すばる」を一緒に見ていたリビングでの仁菜との会話の最後の台詞

「あーあ、役者の学校いけば才能ないってわかって、諦めてくれるって思ったんだけどなあ!」

これもやっぱり額面通りでなく、役者の学校いって才能が無いのではと不安になり、諦めそうになっているのはすばる自身では。その不安から「芝居って好きじゃない」と自分に言い聞かせて逃げようとしてもいるのでは、と憶測してしまう所もある。

 

 

そんなこんなで。
将来、職業として役者になるかどうかは措くとして(ところで、多分すばるはずっと「役者」、仁菜はずっと「女優」という言葉を使っているのも面白いなと思う)。
安和すばるは「嘘つき」である自分……なにかと装い、演技するし、きっとそうすることが好きなのだろう自分に逃げずに向き合ったほうが良いのではと思えるし。
そんな安和すばるに他でもない「嘘つき」と大書したライブ衣装を着せた仁菜の理解なり直感なりは凄まじいものがありそうだなとも思う。

 

※6話放送後、5/11追記。

まず、6話を通じてすばるが仁菜から「嘘つき」と言われることをすごく敏感に嫌がるようになっているのが面白い。

その上でこのやり取りが特にいい。

 

また、ライブで仁菜に煽られる形で名乗ることになった「プレア(ちゃん)」というのはおそらく「すばる→プレアデス→プレア」ということだろう。

「本名はまずいから」となっても「すばる」……祖母の出世作にちなんだ自分の名前から別に離れようとか、距離を置こうとはしていない。

これまでの描写全般を鑑みても、安和すばるはその由来も含めて「すばる」という名前をどう見ても嫌っていない。

そこら辺から考えても安和すばるはきっと祖母大好きなだけでなく、やっぱり役者も演技も好きなのではと思える。

 

※5/12追記

それに他にも…………

そもそも安和すばるさんが本当に「芝居って好きじゃない。恥ずい」と思っていて、「嘘つき」と言われるのが嫌なだけでなく「嘘つき」である自分が本当に嫌いだというなら……じゃあ、今もいつも着ているその偽制服は一体なんなんだ、という話ではある。

 

togetter.com




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