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『王の綽名』 人間味から学ぶ世界史

『王の綽名』佐藤賢一

日経新聞に連載されていたコラム『王の綽名』をまとめた一冊。
王の在位した年代順に収録されています。
6世紀のフランク王ピピン1世から19世紀フランス市民王ルイ・フィリップまで。

ちょうど『「ヨーロッパ王室」から見た世界史』で北欧王家(フランク人)の話しを読み齧ったばかりだったので、デンマーク王やノルウェー王の綽名エピソードはありがたし。
デンマーク初代国王のハーラル1世(在位960-985)は「青歯王」。
…青い歯?と疑問は湧くが、それはさておき。ノルマン無双時代のデーン人の王。海を挟んだノルウェーまで支配します(孫の代にはイングランドも支配する)。
遠く離れた土地を繋ぐ支配力にあやかって、無線通信のブルートゥース(青+歯)が名付けられたそうです。おもしろ蘊蓄〜!!

キーウ大公ウォロディーミル1世(在位978-1015)は「聖大公」。
キーウのリューリク朝もノルマン人です(地元の住民はスラヴ人)。まだキリスト教化もされていなかったのですが、ビザンツ皇帝の妹を娶るために改宗。というわけで「聖大公」。ちなみにビザンツなのでギリシャ正教。ロシアのキリスト教ギリシャ正教が多い、そのルーツですね。
ロシアの王が「皇帝(ツァーリ)」を称するのも、ビザンツ帝国の後継を自認しているから。

小国の成り立ちもおもしろい。
ポルトガルカスティーリャ王国ポルトカーレ伯領がルーツ。
この伯爵様になったのがフランス・ブールゴーニュ家の末っ子。実家にいても土地ないから。レコンキスタムラービト朝の領土もゲットして王国を称する。新領土には実家を頼ってブールゴーニュやフランドルから移民奨励。ゆえに今でもちょっと北方っぽい見た目の人が多いらしい。

もうひとつの小国ワラキア。
これは今のルーマニア南方で、当時の対オスマントルコ最前線。
で、有名人ワラキア公ヴラド3世(1448,56-62,76-77)「ドラキュラ公」である。
元を辿ると、竜なんです。どういうことよ。
ハンガリー王兼神聖ローマ皇帝ジギスムント(フス戦争の原因をつくったことでおなじみ)が竜騎士団を設立。名誉職みたいなもんですが、ヴラド2世を叙勲。「竜公」(ルーマニア語で「ドラキュル」)と呼ばれる。で、息子のヴラド3世は「竜子公」で「ドラキュラ」公となった次第。
竜じゃん。
もうひとつの綽名もありまして。「ツェペシュ」、ルーマニア語で「串刺し公」です。こっちの方が怖いじゃないか。
オスマントルコ軍との戦いで兵士2万人を串刺しにしてメフメト2世をドン引きさせたそうです。メフメト2世はコンスタンティノープルを陥落させてビザンツ帝国にとどめを刺したスルタン。ツェペシュこわい。

あと小ネタですが、エンリケ「航海王子」って、なんで王子?と思っていました。王家の末っ子で皇太子ではないからなんですね。そりゃそうか。
船酔い体質だったという蘊蓄も好き。

綽名のエピソードから垣間見える人間味がおもしろくて、またちょっと世界史学習が進んだ気がします。
もう一冊くらい出ないかな。




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