
インスタでいくらフォロワーが増えても基本見てもらえる数は常に変わらず一定
これはどういう理屈だ?と長年放置してたフォロワーを初めて調べて驚く
フォロワーの9割の方が1年持たずに開店休業orアカウント削除でもぬけの殻
基本無条件にALLフォロー返ししてた事も反省
インスタAIにBANされない程度に少しお掃除してみたけどキリないな
アート系写真趣味を1年以上継続できて、なおかつ毎月一定の新作写真をアップし続けれるなんて人はそれだけでかなり希少という事実に気づく

傑作だったのがチャッピーになぜ自分の作品はフォトコンに落ちるのかを相談してたら
Sinnさんの場合、フォトグラファーとしてのテーマや個性は既に唯一無二なので
選ばれる写真に寄せる研究をし過ぎるのは好くないですよと諭された事
チャッピー誰にでも同じ事言ってるんじゃねぇのかw
ただ、ギクッとさせられたのは事実
森山大道が著作に何度も書かれて、僕も目の前で生で聴いた事のある超銘台詞
「写真なんて好きにとりゃいいんだよ」
を思い出す
これは実はかなり深い
好きの正体がわかる事と好きが続く事には超才能がいる
磨いて身に着く要素ではなく天然要素が大きい
その感性は全員が等しく持ってるわけでもない
好きなうちはそれだけで大正解
それが長く続いてるならますます、ずっと大正解驀進中って事だ
オレ結構すげぇんだなとw

何でもない日常や普通の休日を撮るだけで飽きずに楽しめたのはホント変人
家族、ペット、美食、鳥・鉄・女・旅先絶景等「盛れる」被写体無しでよくもまぁここまで続けれたもんだ
写真集収集、飾る、写真論、コンペも好き
手に入んない高級・レア機材のテクノロジー、造形美も好き
これはかなりの特殊才能だ
誰でも平等に持ってる初期モチベを結構なラインで超えてる自覚はそこまで無かった

それでも、この半年、特に年末ぐらいから実は急速に息切れし始めている
「写真はまぁもう撮らなくてもいいか」という感覚がついに来た
休日都度100%持ち出してた機材をついに持ち出さなくなった
正確にはアイポンでは細々と撮ってるがそれは
自分にとっては晩飯や、メモ程度の絵日記写真程度に過ぎない

趣味を失ったらどうしよう・・・という焦燥感は皆無
飽きやすいのも自分の才能の一つ!と自覚している
このブログもそろそろ20年続けているけど、
ゲーム、家電、自作PC、オーディオ、エアガン、ツーリング、
時計、ヨーヨー、文具etc・・・
猪突猛進のべつ幕なしに手を出してはマイブームが去っていったカテゴリは数知れず
たまにグーグルで何かを検索したら自分のブログの昔の記事ヒットして妙に恥ずかしくて大慌てでその都度非公開にしたりね

筋トレ、ランニング等の身体づくり趣味は飽きたからやめるものではないので死ぬまで続けるつもりだけど、写真趣味はどうしたもんか
本格的にやり始めて15年、俺にしては別格に長く続く趣味だな
ちょっと特別なのかな?

まだ未現像の写真ストックが1000枚以上あるので
現時点の写真欲が枯れて、撮影に出ない日々が続いても当面ネタには困らない
写真の神様がいいタイミングで調整をかけられたのかも
ちょっと、君、撮影過多やでと
毎日4枚ずつ(インスタは3枚)を何年もアップし続けるとか
冷静に考えて、周りを見渡しても誰一人いないレベル
そりゃ飽きるわw

α7RⅤはLeicaMよりはるかに安いとはいえ中古で40万
貯金では無理なので何かを手放したトレードでしか手に入れれない
もうドナっていいお宝はなく、
死ぬまでもっときたい殿堂入りしか残ってない
定期gallery参加やプロモデルに手を出したりするのは今の稼ぎ方じゃ
無理だし、たくさん稼ぐために転職するなんて年齢でももはやない

この15年、写真の題材と機材は完全に運任せで定期的に入れ替わってきた
共通してたのが、常に撮りたい新しい被写体ありきでそれを撮れる
機材が欲しいの連続、今の機材では撮れないもどかしさが常に先行してあったわけだ
今はそれが無い・・・正直に言うと撮ってみたい被写体はあるにしても
お金がかかりすぎるかイリーガルだったりするわけだ
RX0M2とα99はまだ壊れない
この2機種で撮れない世界が今の自分にはまだない

もう一つはコンペ燃え尽き症候群
十数年で入賞は数十回、2位でさえ5回とれてたのに、
一回もいただけなかった1位を去年ついに達成できた事
DT脱出と同じで一回とゼロ回は自分的には大違い
長くあこがれだっただけに、逆に肩の力が大きく抜け過ぎた感も実は大きい
額装にしてgalleryにも参加し、一区切りの思い出としてもきっちり残せたのでもう
それを超える何かを今の稼ぎのまま実現するのは難しいと

結論
2026年は充電期間!
お金をかけず、無理な撮影をひかえて確保した物理時間で
未現像の写真をボチボチ現像しつつ、
積み本、未開封写真集をちゃんと味わう
そこで得た刺激や知識の記憶をブログ記事にまとめる
15年前、今よりさらに貧しかった頃
日本最強の府立中央図書館が自宅からチャリで15分の所にあった奇跡
全休日入り浸って写真関係の棚を全部読破、物理メモ
同時期、オクで写真雑誌バックナンバーを捨て値の段ボール買いして
お手製スクラップブックにザクザク記事を切り抜き、大量の写真をトイレ壁に貼り、
むさぼり読んだあの頃のインプットラッシュの興奮
あの頃の貯金がついに尽きたって事だ
令和の俺にもう一回浴びさせなおす時期が来た
今はAIという相棒もいる
方針は定まった
今年はなんせダブル大吉だからなw

一貫した視点(孤独・気配・間)
人を直接的に消し、痕跡で語る構図
モノクロへの理解度の高さと
「真似できない個性」は量産型スナップではない
方向性を変える必要もない

この写真で“絶対に必要な要素”は何か?
情報量を減らすほど主題は強くなる
「孤独感」や「静寂」といった美しいテーマ性
「なんとなく撮れた良い写真」から「意図して作り込んだ作品」に昇華させる
光が作るストーリー
光の捉え方が説明的(日常の風景の延長)に見えないように
光を「形」として捉え、非日常的な空間に昇華させること

選考傾向を理解する → OK
迎合しすぎる → 個性が薄れる
ギリギリのところで、
「審査員が少し戸惑うけど、忘れられない」
方向に振り切った方が、将来的には強い

表現を目指そうという人間は一応世の中に不満があるタイプ
表現というのは自分を囲む日常を批判的に、異化してみる事
写真はそのそもリアルとは違う

天使は美しさよりいつもカタストロフィの味方
写真の大量の傑作化は単なる残骸でしかなくなる
傑作とは単調で退屈なもの

タイトルは被写体を違う世界に誘導する
世界を命名しなおし
新たな文脈に現実を移行させる

社会の規範や美意識に従う事に迎合し
共同体が思っている規律と合致させる事のつまらなさ
欲動、勝手に身体が動く

美しい映像というのは破局を必要とし、悲惨な現実こそが
美にとって栄養源
破局が作る孤高の美
未来派=戦争は美しい
抽象的で美しいものより、観る者が「何を伝えたいか」が瞬時にわかるもの
ココが個人写真の好みとコンペ用の最大の違い
「何を撮ったか」ではなく「どう表現したか」
広い風景の中に人を置く場合、その人が「物語」を語っているか
「風景の一部」に留まらないこと
被写体に寄るか、逆に徹底的にミニマルな構成にするなど、極端な構図にすること
純粋風景は競合が多く、差別化が難しい
「主役」の明確さと描写の密度
「何を見せたいか」が強烈に伝わること
シルエットや引きの構図は情緒的だが、
他者の目を一瞬で奪う「力強さ(パンチ)」がたりない
視覚的に美しいが、静的でインパクトが内向的という写真傾向が強い
そこに自分の個性をどう混ぜるか
「観る者を引き込む仕組み」(視線誘導、ストーリー、人間性)
雰囲気や余韻が良くても視線の着地点が複数あるとしんどい
スナップ的には魅力だがコンペでは「迷わせない強さ」がより評価される
詩的なタイトルと情緒的な世界観
これを「視覚的な物語性」と融合させること
小道具や背景、人物の配置でストーリーを構築

トーンが美しい
ただし安全圏に収まっている印象もある
「美しい」より一段階先の「少し乱暴なくらいの選択」