The Birthdayの『青空』を爆音で聴いていた。
二回目の夏休みの最後の日は温泉に行こうと決めた。
温泉といっても、近所のスーパーの前から送迎バスが出ている感じの、町中にある温泉だ。
本当は秘境にある温泉で、日本猿と一緒にお湯に浸かりたかったのだけれど、イマジナリーサルで我慢することにした。
正午をすこし過ぎた頃、かばんに文庫本と財布を入れて、半袖短パンで家を出た。
空は少し曇っていた。
心は空漠としていた。
8月も中旬を過ぎて、空からの光は弱まってきている。
この夏、僕は一体何度、夏の光のことを書いただろうか。
エモいだけのあの無闇にすてきな、日本全部にスポットライトがあたっているみたいなあの白い光線。
雨ばっかりだったのに夏のことを思い出すたびに青空。
春秋冬は毎回違うのに、夏はいつも同じ夏だ。
バスの中では、ここ最近ずっと読み続けている小林泰三さんの『神獣の都―京都四神異譚録―』を読んでいた。
嬉しくてずっと笑ってしまう。
筒井康隆さんの『ビアンカ・オーバースタディ』と同じ気持ちになる。
温泉には人があんまりいなくて爽快だった。
洗い場で体を洗ってから、露天風呂に出た。
寝ながら温泉に浸かれるように設計されたという、悪魔的な湯船に浮遊していた。
ぜんぜん尻がおちつかなかった。
おちつかない湯船でおちついていると、不意に頭の中がしんと静まり返り、ある考えが去来した。
「僕はつまらない大人になっているのではないか」
温泉に来たがるなんて、なんて、なんて僕はつまらない大人になってしまったんだろうか。
小学生の頃、僕は絶対あんなくだらないことをしたがるわけがない、と考えていて、考えていた通りの大人になっていた。
その事に気がついて、胸の中がぞわぞわした。
僕は小学生の頃、ゲームさえ出来ればそれで満足する子供だった。
大人達が温泉や花火大会や観光旅行に行きたがるのを見て、「ほんとにこの人達はばかだなあ! ゲームの方が面白いのに!」と思っていた。
それは本当に今でもそうだと思う。
よく考えてみると、僕は今でもゲームや漫画や小説や映画の方が好きだ。
温泉や花火大会や観光旅行は、体験としてはあまりに淡白だった。
でも薄味の体験の中にあるほのかな味が、僕は分かるようになってしまっている。
それは悪いことではないのだと思う。
面白い、という価値観が一番ではなくなった。
タヒさんが本の中で「私はエンタメじゃないとずっと思っていた」という意味のことを書かれていて、僕はその言葉がすごく腑に落ちて、ああそうだ、だから僕はもう誰も笑わそうとしなくていいんだと思った。だから喜ばそうとしてくれる人には、そこには必ず意思があるってわかったから、嬉しかった。
体がぴかぴかになったので、バスに乗って家に帰った。
冷蔵庫からお茶を出すと、ペットボトルの底にちょこっとしか残っていなかった。
ぎりぎりコップに収まるか収まらないかくらいの量だったので、お茶チキンレースをしようと思い、コップに勢いよく注いだら普通に溢れた。
シンクの凹凸を緑茶がするする流れていくのを見て、青空を歌いたくなった。