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マイナンバーというインフラが準備されたことにより選択的夫婦別姓の素地は概ね整った

お前らって何の為に選択的夫婦別姓にしたいの?

私は男性だが、そもそも同姓にしなければならない合理的理由がないのであれば少なくとも選択的別姓を否定する合理性がない、それだけで十分かと。少なくとも現代において同姓という状況には合理的な理由はないのでは

 

典型的なアレではあるのですが、それはそれとして私個人の意見を整理。

 

そもそも私は本件に限らず、今ある何かを変える時は、それ相応の代価の負担が伴うのは当然で、その代価に対して得られる利益が理にかなっているのかという点を常に考えます。

 

選択的夫婦別姓の議論についても同様です。

 

まず、この議論は前提がマイナスからスタートしており、歴史的に見ても別に日本の文化という程のものでもありません。

ただ、環境という点で言えば、浅い歴史とはいえ明治以降日本に於ける運営基盤が同姓という前提で構築されている事から、単純に「では変えましょう」という話しにはならず、変えるのであればそれにより生じる社会的コストをどのように負担するのか、どのように利益に変えるのかという点を考えねばなりませんでした。

 

この点が私の中では最大の壁であり、逆を言えば、この点がなければ同姓にこだわるべき理由も何もないというのが本音です。

 

この代価でありコストという点において、状況を変えたのは言うまでもなくマイナンバーというインフラの登場です。

 

マイナンバーというシステムがない状況下では戸籍は台帳管理が前提であり、且つ、それは地方自治体によるそれぞれの管理というのが当然の状況でした。

昔よりも電子化が進み、だいぶ改善が進んだとはいえ、現状でもなぜ地方管理や台帳管理にこだわるのかは謎な部分(複雑性はあるとしても国の根幹の部分なわけで妥協も譲歩もする理由はない)が多く、この点が姓の管理という点では問題でした。

 

が、マイナンバーから見えてくる未来像としては、この点をマイナンバーという記号により管理する事で、管理工数や手法も変えてしまうという事ですから、正直姓の価値というのは個人の評価以外には何も存在しない事になります。

 

姓というものはもはや家を表す単位ではなくなるわけで、であれば、懸案であった代価やコストは別な社会的投資により解消されることが想定されているわけです。

 

さらに言えば、マイナンバーという仕組みを、より効率的に、より合理的に利用するのであれば、そもそも家という単位や姓という単位を前提にすべきではありません。

 

あくまでも管理される単位は「個人」であり、個人の関係性という属性の一つが「家」であり「姓」となるべきです。

 

と整理すれば、マイナンバーの描く未来やその未来を構成する社会という視点でみれば、選択的夫婦別姓というのは当然の状況であり、その属性の在り方として、同姓でもよいし、別姓でもよいし、どちらであれそれは「単位」ではなく「属性の一つ」に過ぎないわけですからなんら問題がありません。

 

当然、マイナンバー然り、選択的夫婦別姓然り、冒頭に述べた社会的コストの代価を支払う必要はあります。

 

が、これは払わない事による利益だけでなく、払わない事による不利益も同時に考慮すべきです。

 

今後より少子高齢化が進み、さらには社会インフラの老朽化等、どんどん状況は悪化する事は否定できません。

 

この手の問題は状況が悪化してから手を打つのでは間に合いません。

 

状況が悪化しつつある、その時点で将来への投資を行い、状況を整える事が重要で、その整備や投資は今を逃せばおそらくもう次に手をうつチャンスは来ないでしょう。

状況や環境を整えるからこそ、その時に選択肢があるわけで、何も準備しない、つまり無からは選択肢は生まれません。

 

そしてチャンスが来ないというのは「選択的夫婦別姓」や「マイナンバー」の採用や運用が見送られるという単純な話しではなく、自分達が取捨選択される側になるという事です。

 

それも限りなく「捨てられる」側の人間になるという事です。

 

ここでいう「捨てられる」とは、マイナンバーが分かり難いとか、使い辛いとかそういったレベルの話しではなく、文字通り社会としてコスト(金銭的、物量的両面)が負担できなくなり社会として放置されるという事を意味しており、人によっては「生」を諦めざるをえなくなる事も想定されます。

 

よく国の借金は手段なのであって、且つ、それは無限に利用できるもの、というような理論を振りかざす方がおられますが、その前提は国の評価が一定基準以上である事が前提です。

 

言い換えれば、国の評価が下がった時、別に借金がゼロであっても通貨の価値はなくなり、日本円による取引は限りなく成立しなくなるわけです。

 

ですから、社会基盤が整っている事、適切な国内整備、国内投資が行われている事、持続的な社会を運営できる事が「国内からではなく国外から見ても」明らかである事、そう評価することができる事、それが重要です。

 

そういった点でもマイナンバー然り、選択的夫婦別姓然り、こういった一連の投資や選択というのは不可避であると私は思います。

 

様々な施策が世の中に出てきますが、そういったものと向き合うとき、最終的にどのような未来になるべきなのか、逆を言えば、今取り組んでいることの先や価値はどこに寄与するものなのか、それは自分にとってどのような利益があるのか、そういった事を冷静に整理し理解する必要があると私は思います。




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