1週間くらい前、熱波がやってきて37℃くらいになったことがありました。
30℃を超える日は3日間くらいでおさまり、例によって雨が来てスーッと冷え、今日も20℃を超えることはないのですが、今回の熱波は私にはけっこう辛かったです。
その事実にショックを受けたのであった…。
うちの中まで暑さが来ないように、いつものように工夫をしたものの、十分ではなかったのか体調を壊してしまい、熱が出て体中が痛い。
風邪?と思ってたら、ニッポンの友人が「熱中症じゃない?」と言うので調べてみたら、ホントに症状が当てはまるじゃないですか!
ひょええええ、と驚いた。
昨日くらいから症状は落ち着いたものの、うちに籠っておとなしくしていても熱中症になるんですね。
それもショック...、どうしろっていうの。
頑丈で、めったに「具合が悪い」ってことがないので、たまに調子が悪いと、そのこと自体がショックなんですよねえ。
軟弱ニンゲンである。
暑い時に着る服なんて、以前はほとんど不要だったのが、ここ数年は必須になりました。
7月に入って夏のバーゲンがスタート。
ニュースで買い物に来ている人たちにインタビューしているのを聞くと、バーゲンなどほとんど関係なく「暑さ対策」で、扇風機やクーラーを買いに来たという人たちが圧倒的に多かったです。
スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャなどでは、40℃超えてたし、乾燥してるので火事も起きたりでタイヘンです。
さて、そういうわけで気力いま一つなのだけど、今朝見かけた記事で気になるものがあったのでメモ。
パブロ・ネルーダの話。
気になったのでWikiったら、
En , il épouse une Hollandaise, Maryka Hagenaar (qu'il renomme Maruca), avec qui il aura une fille : Malva Marina Reyes, née le . L'enfant est hydrocéphale (volume anormal de liquide cérébrospinal). Pablo Neruda prend la décision de ne pas la reconnaître et d'abandonner sa femme. Sans aide financière de Pablo Neruda, malgré ses lettres de supplication, Maryka se voit contrainte de confier Malva Marina Reyes à un couple néerlandais[6] qui l'adopte.
と、数行だけ記してありました。
1930年、オランダ人女性と結婚、1934年、女の子が生まれる。
その子が水頭症で、ネルーダは認知することもなく、ふたりを放って去った、という話。
一切経済的な援助もしなかった。
実際の状況がどうだったか、彼らの関係性がどうだったか、詳しいことはわかりませんが、人としてどうよ、と思いました。
文学、芸術、思想、哲学、そういう分野で「すごい!」「かっこいい!」と思ってた人物が、実は身近な女性たちにはクソな態度を取っていた、そういう話は少なくない。
ニッポンにいた頃は、私はフェミニズムには関心はありませんでした。
まだ若かったからか、あるいは職種の関係か、オンナであることで不利なことに、その時点ではまだ直面したことがなかったからだと思います。
家庭を振り返ると、父親はDV男で母をひどい目に遭わせていたけど、身近にいた母方の祖父は全くその対極にある人物だったので、父親の問題は父親個人の問題だと思い込み、もっと大きな視点で捉えたこともなかったんです。
フェミニズム、あるいは社会的マイノリティ側からのムーヴメント、絶対必要だったし、今でも必要、だと思わないではいられない。
ネルーダの話に戻ると、これも気になってWikiって知ったのだけど、こういう ↓ 記述もあった。
強姦に及んだ経験の告白。
Sur le plan de sa vie privée, la parution posthume en 1974 de son autobiographie intitulée J'avoue que j'ai vécu (Confieso que he vivido), suscite aussi la controverse : dans cet ouvrage, l'auteur raconte avoir violé une femme de chambre, alors qu'il était consul de Ceylan en 1929[3],[4],[5]. Il raconte ainsi qu'après que cette femme intouchable a refusé ses avances, il a attrapé son poignet et l'a emmenée dans sa chambre, où ils ont eu une relation pendant laquelle cette femme est restée impassible telle une « statue », les yeux grands ouverts[5]. Il considère dans ses mémoires qu' « elle avait raison de [le] mépriser »[5].
さて、これだけ貼ってオシマイにする。
Roman fresco, Mask on vine leaves and bunches of grapes, 1st century AD, from Pompeii, House of V. Popidius or House of Mosaic Doves, Pompeii, detail
