前回の記事を書いたころは、初夏のような暖かさでしたが、天気予報のとおりまた寒くなり、ここ数日は最高気温が10℃を超えることないです。
それでも日が長くなってきてますから、気温が低いことなど気になりません。
それに、3月はもともと天候がころころ変わるもの。
そうやって進んだり戻ったりしながらホントの春に近づくわけだし。
水曜日からまた最高気温が15℃以上になるらしい。
ちょうどサンコントネール公園にあるIRPA(Institut Royal du Patrimoine Artistique)のイヴェントに招待してもらっているのが木曜日、そのときは公園でピクニックみたいにランチしようと思っているところ。
ピクニックなんて全然好きじゃない私ですらそういう気分ってのがおもしろい。
昨夜ニュースを読んで、ああ・・・と思ったこと。
女優のエミリー・デュケンヌが亡くなりました。
まだ43歳。
「ロゼッタ」でカンヌの賞を取った時はまだ17歳だった。
モンスのアカデミーで演劇を勉強した人です。モンスというんで、勝手に身近な人に感じてました。
(ちなみに、うちの3女くんもこの演劇科に入ろうとトライしました。落ちたけど。第1次試験は、古典と現代の戯曲からそれぞれ一場面を、演劇経験のある人に相手してもらいつつ演じること。これは通過した。2次試験は、通過した者たち皆で即興で演じること。これで落ちた。2次については、仲間との協力ができるかどうかを見られたらしい。)
しばらく前に、彼女自身が病気のことを話しているのを聴きましたから、ああ、もうその時が来たのか…と、何とも言えない気持ちになりました。
そのとき彼女は
私はまだ43歳、80歳くらいまで生きるつもりだったんですけどね
と言ってました。
非常にアグレッシヴで進行の速い稀な癌だったそうです。
昨夜も今朝も、彼女が亡くなったという記事をいっぱい見かけます。
朝のラジオのニュースでは、ダルデンヌ兄弟がインタビューに応え、「ロゼッタ」のキャスティングの時の思い出話をしてました。
私が最後に観たのは「Close」での母親役。
実は「ロゼッタ」は、あまり観たいと思わず観ていません。
昨日の22時から今日の22時まで、国鉄のストです。
IC(インターシティ)、ニッポンの急行みたいなの、が2本に1本、L というローカル便が5本につき2本動き、S(主要都市から30㎞圏で運行される)は全く動かない。
次のストは3月31日。
先週は仕事しました。ドヤ 笑
火曜日の午後と水曜日の夕方、東京とブリュッセルを結ぶ展覧会で通訳。
火曜日は準備の際にアーティストとニッポンの主催側の間のコミュニケーションの手伝い、水曜日はヴェルニサージュ、やはりコミュニケーションの手伝いとフランス語でのスピーチの訳。
怠け者代表みたいな私ですが、やはりいろんな人に会っていろんなことを知るのは楽しい。
それでお金も稼げるなんて、ほんとにありがたい。
展覧会は4月12日まで。
会場はサン=ジェリというホール。
今残る建物は19世紀は市場として使われたものですが、それも含め、ブリュッセルがまだ湿地帯だった頃の島のひとつで、11世紀ころまで遡る歴史上とても重要な場所なんです。
で、今回館長さんと話をしていた時、ここにはいろんな国の観光客が訪ねてくるんだけど、日本人観光客は全然やってこない、なぜ?と聞かれてしまった。
ツアーの行程に含まれてない、なぜ含まれていないかと言うと、歴史にそれほど関心がない、というか、ツアーに求めるものが歴史ではないからでしょうか・・・と答えました。
個人的に関心のある人はツアーには参加しないでしょうしね。
というか、そういうツアー自体存在しないから、個人で行くしかないですもんね。
館長さんはフランス人の若い方、「ブリュッセルがどうなるかわからないのが心配」とおっしゃってた。
というのも、ブリュッセル地域政府が、選挙の後も全然合意に達せず、新政府が組めないままだから。
予算etc.、新しい政府ができた瞬間大きく変わることがありますからね、ベルギーの良さと悪さも背中合わせなんですよねえ…。
ロジスティック担当の方はコスタリカの人だった。
スペイン語を話す機会があると、嬉しくなってスペイン語を使いたくなる私。
楽しかったです。
仕事を依頼してくれたのはベルリン在の日本人の方。
何年か前にも一緒に仕事をしました、
彼女が言うには、ベルリンは極左が強い、強すぎる、と。
旧東ドイツに重なる極右の強い地域もだけど、極左が強い地域もねえ…とのこと。
極端なことを言うとウケるっての、困ったもんですが、こういうことを100年くらいの周期で繰り返しつつ、また痛い目に遭って修正、そうやって3歩進んで2.99歩下がる、トータルしたら少しずつ進歩しているのだとは思う。
だけど、その度に結局一番ひどい目に遭うのは弱者ですもんね。
ただこの大きな波は、個のあがきじゃどうにもならない気がするんで、軟弱モノの私は私のことを優先させてもらい、なるべく人生を楽しもうと思う。
テスラの株価が40%以上下がるなど、米国もけっこうな損失っぽいですが、稀にホントのお金持ちに会うと、株が下がろうか円安だろうがなんだろうが、その方にはほー―――っんとに、まーーーーったく関係・影響ないんだなあ、と感じます。
シャンパンを庶民が拝めなくなってもね、関係ないんですよ。
先週末から昨日まで、毎年恒例の本市が開催されました。
以前は有料だったんですが、数年前から無料になった。
まだ有料だった頃から出かけていました。
その頃は毎回テーマが決まっていて、一番よく覚えているのが「ノマード」をテーマにした回。
ゲストのひとりがル・クレジオで、自分ちの本を持って出かけ、少しお話をして(マヤ文明やアステカ文明について話した)サイン及び一言(マヤ語で)本に書いてもらい握手までしてもらった。
ミーハーなのでむちゃくちゃ嬉しかったです。
忘れられないのが、私の前に並んでいた高齢のマダム。
握手した手を長いこと離そうとせず、周りにいた人が皆笑っていたんです。
80歳以上だったと思うし、またこういう機会があるとも限らないし、ですね。
ル・クレジオ、かっこいいし。
今はこういうテーマはなくなったっぽいし、毎年開かれてももう行かなくなってました。
本って、見ると所有の欲求が湧いてくる、死ぬまでに読み切れるの?ってくらい積んでる本があるので(しかも最近はマンガしか読まないし)、近寄らないことにしているのです。
でも、今回お知らせメールで「竹宮恵子に会う」ってのを見つけ、きゃあああああっとチケットゲット。(無料とはいえ要チケット)
そそっかしいのでよく見てなかったけど、ヴィジオコンフェランス、竹宮さんは東京から遠隔で、って後で気づきちょっとガックリしたけれど、それでも足を運んできました。
例によって早めに到着、一番目の席を確保。

今までは「地球へ」の仏訳しか出ていなかったんですが、もうすぐ「風と木の詩」の仏語版が出るというので、そのプロモーションだったようです。
インタビュアーが仏語で質問、通訳が日本語で竹宮さんにその質問を伝え、竹宮さんが日本語で答え、通訳さんがそれを仏訳、という感じで1時間ほど。

ブリュッセルには70年代にヨーロッパを旅した時、1日だけ訪ねたそうです。
パリ中心だったようすで、グスタフ・モロー・ミュージアムには何回も足を運んだそうです。
何故作品の舞台をフランスに設定したのかという質問には、「垣根を超えるには日本を舞台にするのは不可だった」そしてそれがフランスだったのは「愛を語るに最もふさわしいと感じたから」という答えでした。
「風と木の詩」は少年たちのベッドシーンから始まるわけですが、これは絶対譲れないことだったが、編集からはNGの答えしか得られず、「一番人気の作品でその方針を黙らせるしかない」とのアドヴァイスを受けたことで描いたのが「ファラオの墓」。
これは1番は取れなかったものの2番の位置をゲット。
今のBLと自身の作品は別物だと考えているそうです。
今のBLマンガは少女マンガのように認知されている、と。
「地球へ」は少年マンガとして生まれたわけだけど、それは、少年マンガと少女マンガではあり方が異なる、例えば背景、前者では宇宙船と言ったものを詳しく描くことが重要、後者の背景は情緒を表すものである、といった話もおもしろかった。
現在読んでいるマンガは?という質問に、少女マンガは読まないとおっしゃってました。
SpyxFamilyとか、読んでますよ、と。
もっといろいろ話されてました。
メモしたけど(仏・日語を行ったり来たりでゆっくりだったし、両言語分かるおかげでちゃんと全部メモできた)ここではこれくらいにしておこう。
そのあと出版社のブースで、竹宮先生へメッセージを送れます、っていうのをやっていたんで、オバーサンもメッセージを伝えておきました。ははは。どんどん幼稚な人になってるなあ。
半世紀以上前から作品好きです、ってことと、人生の半分以上をベルギーで生きているけど、こうやって日本を出てきたっての、小さい頃からマンガ読んで過ごしていたこととものすごく関係あるので、「ありがとう」と。

さて、今日も夕方からチビ太のお守です。
なのでこの辺で。
いろいろ貼ってオシマイにしよう。
イエスさまがかわいい。
MADONNA IN TRONO CON BAMBINO E SANTI PAOLO E FRANCESCO "" OPERA DI ANTONAZZO ROMANO DEL 1487 OLIO SU TAVOLA 166X 165cm , il dipinto e' conservato presso la GALLERIA NAZIONALE D ARTE ANTICA DI PALAZZO BARBERINI A ROMA

Egon Schiele
A girl in red, 1911

Egon Schiele. Self-portrait bending down 1914

数日前、オンライン新聞のトップ記事だったもの。
私がベルギーに来た当時、まだ徴兵制が存在してたのよねえ…。
Frida Kahlo devant "L'Acrobate" de Pablo Picasso, à la Modern Art Society de Mexico en 1944. Photo de Manuel Álvarez Bravo.

訂正・エミリー・ドゥケンヌがモンスのアカデミーで学んだ、っての、間違いかもしれない。今日はものすごくあっちこっちのニュースで彼女へのオマージュでありましたが、演劇活動に関してアカデミーの話は出なかったので。
なんでずっと私はそう思い込んでいたのか・・・。誰かがそういったのだけど、誰だったか?
モンスを州都とするエノー州の人であるところは間違いないです。