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マロール地区でネパール料理 & アレシンスキー展

前回記したように、今国鉄のストの真っ最中。

5本のうち3本は動くという話だったので、大きな問題ではないと思っていたけれど、ニュースを見る限りけっこうタイヘンな状況のようです。

急行5本のうち3本は動く、みたいな分かりやすいものではなく、通常目的地に1本で行けるところ、途中で何回か乗り換えないといけなかったり、普通30分でたどりつけるところ2時間かかったり、しかも時間が読めなかったり、通勤の人たちは苦労している様子でした。

国鉄じゃ時間がわからないからと車で出る人が多くて大渋滞、これはこれで時間が読めない…。

 

ああ、仕事が入ってなくてよかった・・・と、自己チューな私は思ってしまった。

 

 

数日前からイタリアのばーちゃんであるラウラさんがブリュッセルに来ていて、土曜日に長女親子3人と一緒にうちに来ました。

ラウラさんが VillaEmpain を訪ねてみたいと言うので、ちょうど今アレシンスキー展をやってるし私も行きたかったので「一緒に行こう」ということになりました。

Villa Empain については、ここ ↓ に記してます。

shohoji.hatenablog.com

 

というわけで、翌日日曜日に行ったんですが、まず長女たちとマロール地区でネパール料理のランチ。

そこで合流して、我々ばーちゃんふたりはランチの後でアンパン邸へというプログラム。

 

ブリュッセルの大昔からの庶民地区であるマロール、久々でした。

ブリュッセルの一番小高いところにある裁判所の横に、マロール地区に降りられるエレベーターがあります。

それを使ってヒューンと降りて約束の場所まで歩いたのですが、ほんの2~3分歩いただけで、躓きの石を20も見てしまいました。

以前にもここにメモしたと思いますが、1900年ころここには東欧からたくさんのユダヤ人が移住してきて、職人街だったことがある。

第2次大戦のときにそのほとんど(数百人)が強制連行され殺された。

だから、「つまずきの石」がたくさんあります。

ここから連行された人たちは、全員アウシュビッツで亡くなってる。

 

こういう路 ↓ を降りていき

 

ランチの場所へ。

 

毎週日曜日、ここに住んでいるネパール人の女性が、5ユーロでランチを提供してくれます。

この日は具だくさんのうどんでありました。

おいしかったです。

 

けっこうたくさんの人が食べに来てました。

同じような価値観の若者がほとんどで、長女たちの友人たちにもいっぱい会いました。

 

同じテーブルについたカップルもそういう友人たちで、女の子は英語が母語のカナダ人、フランス語はすでに完璧で、今はイタリア語も勉強している最中だと、ラウラさんとはここぞとばかりにイタリア語で会話してました。

男の子の方は、ULBで政治学を学んだあと、EUの仕事でコンゴのゴマにいて、そのときジョヴァンニと知り合ったのだそうです。

あのあたり(コンゴの東の地帯)、しばらく前からタイヘンな状況なのですが、「あの頃は平和だった」と言いあってました。

これが ↓ 最新ニュース。

www.rtbf.be

 

ミュージアムはウィークエンドは混む、でもこの日はものすごくよい天気で、こんな日はみんな外でお日さまを浴びたいし、案外混んでないかも…と期待したのだけど、やっぱりすごく混んでました。

今日火曜日にローマに戻るラウラさん、月曜日はミュージアムは閉まってるし、日曜日しかなかったんですよねえ。

私はまたいつでも行けるからいいんだけど。

 

このくらい ↓ 混んでた。

それだけで疲れる。

 

アレシンスキーが表紙を飾ったニッポンの雑誌も展示してありました。

墨美と芸術新潮

彼は篠田桃紅さんと交流があり、そのドキュメンタリーも見られたんだけど、人が多すぎたんでパス。

 

庭でちょいと一休み。

 

で、ここでラウラさんの愚痴を聞く。(笑)

ジョヴァンニとケンカしたらしい。

もしかしたら1年後くらいに親子でイタリアに引っ越すかも・・・という長女たちの話は、私も既に聞いてました。

それは、ラウラさんがローマに持っている人に貸しているアパートが、ちょうど契約の節目になるのでそこに住むことができるからと理解していたんだけど(私にもローマに拠点ができて嬉しかったり 笑)、ジョヴァンニがローマでなく田舎で暮らしたいと言い始めたらしい。

それで「考えが甘い」と批判したことでケンカになったと。

田舎暮らし、女中さんと庭師とドライバーがいるのなら、私も「いいんじゃない?」と思いますけどねえ、そんなのいないし。

私も同じようなことを考えて、同じようなことを試みましたが、そんなカンタンなものじゃなかったですから。

子どもの学校の問題もありますしね。

(そういえば、ピレネーの山奥で田舎暮らしをしている友人が、子供の学校問題が始まるころ、同じように暮らしていた人たちがみな去っていったと言ってました)

庭や畑の仕事は体力が必要で、私たちの体調や都合や気分なんか考慮してはくれません。

それに、若者はまだ知らないでしょうが(笑)、あっという間に私たちは年を取り、肉体労働がだんだん辛くなります。

加えて、ラウラさんの心配はイタリアの国の在り方です。

社会保障を考えてもベルギーよりずっと劣るし、これからはもっと悪くなるだろう、と。

去年の夏にオルヴィエートを訪ねたときに、ラウラさんのお姉さんであるシャンタルさんが、同じようなことを嘆いていました。

若者たちをもっと支える社会にしないと、皆この国を出ていく、と。

現にジョヴァンニはブリュッセル、彼の弟はベルリン、彼らのいとこたちもほとんどイタリアには残ってないんです。

ラウラさんが言うには、スペインの方がまだポジティヴだ、イタリアでは何も動かない、なんでものろい、だそうです。

そして、「私たちは例外的に恵まれた時代を生きたわねえ」と...。

 

 

ウクライナ戦争、始まって3年が過ぎましたね。

ゼレンスキーが「ちゃんと平和になるのなら、大統領の座をいつでも退く」と言ってました。

トランプが「選挙で選ばれたわけではない独裁者」と言ってましたし、ニッポンの方の書いた記事でも「選挙で選ばれてない」って見かけた気がするんだけど、ちゃんと選挙で選ばれてますよね。

あれあれ・・・?と思って、ちょいと確認してしまった。

 

欧州はウクライナ支援を確認しましたが、米国の援助なしにロシアに対抗するのはやはり難しいと専門家が言ってました。

 

こういうときいつも第2次大戦の始まった頃の様子を考えます。

第1次大戦で戦争はもうこりごりと考える市民が多く、もたついたことでドイツに侵攻されちゃった、と。

なんだか同じような感じですよね。

まともな人は戦争を避けようとするし、ウソ情報をばらまいたりもしないし、で、ウソつきや独裁的な人間たちのスピードに追い付けない。

 

ドイツの選挙の結果も、驚きはしなかったけど、いやあな感じがしました。

極右がものすごく躍進したところは、地図でみると、旧東ドイツに重なってました。

以前仕事でお世話になった人が、東京外語大でドイツ語を専攻し、ドイツに留学した経験がありました。

その方、どのような経験をされたのかは知りませんが、どうもあまりドイツという国を好きにはなれなかったらしく、「またナチスが台頭した時のような状況になると思います」と、それがまるで国民性であるようなことをおっしゃってたんですよねえ。

たしかトーマス・マンも同じようなことを言ってましたよね。

 

 

 

さて、SNS上で見かけたフォトを貼ってオシマイにする。

 

Egon Schiele. The artist drawing a model in front of a mirror 1910

 

Marc Chagall
La Vache Bleu, 1967
Lithograph, paper

 

 

 




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