体調が悪いとそろそろ死ぬのではないかと思う。
逆に元気ハツラツだとこれを最後に死ぬのではないかと思う今日この頃です。
脳とか心臓とかの感覚(自覚)が50代とちょっと違うのです。
痛みとかではないけど、なんか以前にはなかった不安の種みたいなものを感じるのです。
起きたら9時半を過ぎていた。
寝るのが遅すぎ問題 を解決しないとこれは修正できない。
ええい、今日は捨てゲームじゃ。
とはいえ元気で生きてる。愉しもう。
Mさんからいただいたワニ珈琲アジアンテイストブレンドを淹れる。
今日はハンドドリップじゃなくてコーヒーメイカーで楽をする。
きょうはそういう日。
きのうの記録を打つ。
食事と支出、これは毎日続けている。
そういえば30代の頃からノートに食べたものを記していた。
10冊くらいある。
偉人でもないし、生活史としての価値も僕のものに限ってはないと思う。
捨てよう。
WEB連載「神戸角打ち巡礼」が更新されている。
そこから平民金子という人の「ごろごろ神戸」というWEB連載へ飛ぶ。
あっというまに11時になる。
あちら側の世界。私たちの人生には大なり小なり、様々な分岐点がある。例えば信号に引っかかって電車を一本乗り遅れるとか、降りようとしていた駅を眠って乗り過ごすとか、自販機で水の代わりにスポーツドリンクを買うとか、アメを買おうとしていたけどなかったのでグミを買うとか、どんなにしょうもない事であってもそれがきっかけとなって、人生が変化してしまう場合がある。藤子・F・不二雄の『パラレル同窓会』は、そんな様々な分岐点で枝分かれした、平行世界に暮らす「自分」たちが一生に一度だけ集まって同窓会をする話だ。
主人公は商社の社長で十二分に人生の成功者であるという自覚を持つ人物だが、パラレル同窓会では様々な「自分」に会う。ある世界の自分は同じ会社にいながらも社長ではなく窓際に追いやられている。ある世界の自分は、若かりし頃に夢中になった学生運動をやめず活動家として現在も運動に身を投じている。ある世界の自分は、金は困っているものの夢を叶えて作家になっている。ある世界の自分は、罪を犯して刑務所に入っている。
私もまた、その時々の分岐点で今とは違った選択をしていれば、まったく違う自分となっていたのだろうか。
平行世界で、私は仲間たちとバーベキューをしたり花火をしたり、ビーチバレーに興じたりしている。
夜の浜辺に寝転んで、星を見ながら手をつないでいたりしている。
夏の海に服のまま浸かって恋人と抱き合い、キスをしたりしている。
時にシリアスな手紙 借金 母 こんなこと忘れてた
母が60のときの手紙 年金
毎週のように届いた絵はがき 膨大な時間 費用
世界中を巡って届いた手紙
おそらくもう死んでしまった当時60過ぎの人
英国から何年も届いていた老夫婦からのクリスマスカード いつからか途絶えた
当時は取材先の人とも手紙で連絡をとりあってたことを思い出す
山形や
いまはSNSの時代になってしまった
発見が、いやリマインドがある。
180通の絵はがきと封書
1994−1998の4年間 40ヶ月 月平均4通〜5通