ミルトン・フリードマンといえば、大きな政府を批判した自由主義経済学者として知られています。しかし、フリードマンは市場の失敗を無視したわけではありません。政府の失敗を警戒しつつ、政府が必要な役割を果たすことも認めていたのです。負の所得税、教育バウチャー、医療貯蓄口座、ルールに基づく貨幣重視の金融政策、変動相場制度など、フリードマンは、自由市場を活用しつつ社会全体を豊かにする優れたアイデアをたくさん提案しています。
ですが、こういう柔軟な態度はもっと原理主義的な人からは嫌われて当然かもしれません。フリードマンの思想は、無政府資本主義を掲げる急進的なオーストリア学派のリバタリアンからは随分不評で、ことあるごとに目の敵にされています。彼らに言わせれば、フリードマンは社会主義者でケインジアンなのだそうです。先日もフリードマンの『資本主義と自由』の「筋の通った自由主義者は決して無政府主義者ではない」という一節が一部のオーストリアンの方の逆鱗に触れたようで、散々な言われようでした。
正反対。筋を通したら無政府主義に至るのだ。
— Mr.Kite (@iwakura1204) 2026年1月16日
フリードマンは代表的な偽物の自由主義者者だからな。少なくとも、マクロの世界ではケインジアンだ。 https://t.co/GILASM8Ejn
今やミルトン・フリードマンが本当は何者であるかを確認するときだ。今やスペードをスペードと呼び、国家統制主義者を国家統制主義者と呼ぶときである。
— Mr.Kite (@iwakura1204) 2026年1月16日
(マレー・N・ロスバード) https://t.co/abor2e5X55
無政府主義の是非はともかく、無政府主義を否定するからといって、偽物の自由主義者で国家統制主義者だというのはちょっと極端すぎないでしょうか。無論、通常の用語法ではフリードマンはケインジアンではありません*1。
#society #thought コレでは、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに社会主義者呼ばわりされるわなぁ。 https://t.co/jtDofryjeL
— Masaomi Nakaoka (@mn_society_tl2) 2026年1月16日
では、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス本人の言葉を聞いてみましょう。
「自由主義は無政府主義と根本的に異なる。自由主義は無政府主義者の不条理な幻想とは何の共通点もない。国家主義者はしばしば両者の類似性を見つけだそうとするので、我々はこの点を強調せねばならない。自由主義は国家の廃止を目指すほど愚かではない。自由主義者は、ある程度の強制なしに社会的協力も文明も決して存在し得ないことを十分認めている。社会体制の維持と運営に有害な行動を企てる人たちの攻撃から社会体制を保護することこそ政府の役割なのである。」*2
どうやらミーゼスはフリードマンと同意見のようです。というよりも、むしろフリードマンよりも断定的ですね*3?そんな根拠でフリードマンを断罪するなら、ミーゼスも社会主義者呼ばわりされ、国家統制主義者で偽の自由主義者だと糾弾されてしかるべきでしょう。
ついでに言えば、ミルトン・フリードマンの息子デイヴィッド・フリードマンは有名な無政府資本主義者ですし*4、ミルトン・フリードマン自身も、実際には可能でないとしつつ、もしできるなら「無政府リバタリアン( zero-government libertarian)になりたい」と述べたこともあります*5。ミーゼスの方がフリードマンより遥かに無政府資本主義に否定的です。
ところが、不思議なことに、オーストリアンの無政府主義者の方々は、ミーゼスを偽物の自由主義者とか社会主義者などと呼ぶことはまずありません。全く同じことを言っているのに、オーストリアンがフリードマンばかり攻撃し、ミーゼスを同じ理由で批判しないのは単なる党派的理由以外に考えられないと思いますが、いかがでしょうか?
ロスバード派のオーストリアンの主張がしばしば信頼できないのは、こうした選択的かつ恣意的な批判で、人によって評価を変えたりする点です。そもそも、歴史的に無政府主義を主張した自由主義者は殆どおらず、両者は違うものと認識されてきました。フリードマンやミーゼスの言い方はやや断定的過ぎるきらいはありますが、自由主義という言葉の歴史的な使用法からいってかなり正当性がある指摘です*6。
なお、先ほどの文章に続けて、ミーゼスは次のようにも言っています。
「自由主義の基本的な教義とは、社会的協力と分業は、生産手段の私的所有制、即ち、市場社会、資本主義の下でのみ達成できるということである。そのほか全ての自由主義の原理-民主主義、個人の自由、言論・出版の自由、宗教的寛容、国同士の平和-は、この基本的な前提の帰結である。それらは私有財産を基礎とした社会においてのみ実現しうるのである。」*7
反民主主義を掲げるロスバードやホッペとは違い、自由主義の原理に民主主義を含める点でもミーゼスはフリードマンと同意見です*8。ミーゼスがモンペルラン協会の第一回会合でフリードマンらと激論を交わし「お前たちはみな社会主義者の集団だ」と激怒して席をたったのは有名な話ですが、こういう点ではフリードマンとミーゼスの間に別に違いはないのです。
ロスバードの系譜をひく極端なオーストリアンのフリードマン批判は、少しでも自分たちと違うなら社会主義者とか偽物等という侮辱的レッテルを張る極端な白か黒かの二分法である上に、同じ基準を一貫して使っていない党派的なダブルスタンダードになっています。
一部のオーストリアンの方々*9の中には、減税や規制改革を唱えていても、自分たちとは介入の範囲が微妙に違うとか、オーストリア学派経済学ではなく新古典派とか何か別の経済学を信奉しているとかささやかな理由で、すぐに「お前は真の自由主義者ではない」とか攻撃的物言いで他人を批判する方が少なくないのは残念なことです。まあ、意見の相違はあって当然ですが、批判は事実に基づいたものであるべきですし、社会主義者や政府介入を批判するよりもずっと大きな熱量で「偽の自由主義者(だと彼らの思う人たち)」を攻撃するのはいかがなものでしょうか*10。小さな政府派は極めて少数派なのですから、最終的な目的地に微妙な違いはあっても、協力し合う方が賢明だと思います。フリードマンは実践的にはリバタリアンの細かな理論的相違は重要ではないと述べていますが、私も全く同意見です。
「様々なタイプのリバタリアンがいる。無政府リバタリアン即ち無政府主義者もいるし、制限された政府を支持するリバタリアニズムもある。彼らは多くの根本的価値観を共有している。究極的な源流までさかのぼれば彼らは異なっているけれども、実践的にはそれは重要ではない。私たちは同じ方向で働こうとしているのだから。」*11。
自由な社会を実現するにはフリードマンのアドバイスに従った方が賢明だと思います。自由主義という言葉をやたらに狭く独特の方法で解釈し、何かあるとすぐ「お前は真の自由主義者ではない」と言い張るような態度はいかがなものかと思います。多様性と自由を重んじる思想なのですから、自由主義者は意見の相違にもっと寛容であるべきでしょう*12。
*1:なお、次に紹介しているMasaomi Nakaoka氏の投稿をMr.Kite 氏もリポストしていますから、おそらく賛成されているのでしょう。
*2:Ludwig von Mises(1944), Omnipotent Government: The Rise of the Total State and Total War, Yale University, p.48. 太字強調は引用者による。
*3:ちなみに、これは『全能の政府』からの引用ですが、『自由主義』などミーゼスの他の著作でも同様の無政府主義批判が見られます。ミーゼスは生涯、無政府主義を支持せず小さな政府の支持者でした。
*4:D・フリードマンは私の最も好きな経済学者の一人です。国防や法律などの公共財の私的供給に難点があるのは事実ですが、政府という通常は非効率かつ強制的な手段を一切なしで済ませ、社会を自発的協力だけで運営していくことが出来ればそれに越したことはありません。ただ、現状ではそれは難しいし必要悪としての政府は当面存在するべきでしょう。
*5:Brian Doherty(1995) , "Best of Both Worlds: An Interview with Milton Friedman," Reason, June 1995.
*6:もしもオーストリアンの無政府資本主義者以外は自由主義者ではないというなら、フリードマンはもちろん、ロックもアダム・スミスもコブデンもJ・S・ミルもトクヴィルもバスティアもミーゼスもハイエクも自由主義者ではないでしょう。18-19世紀の自由主義革命も自由主義運動なるものも全く存在しなかったことになります。あなたが「自由主義者」という言葉を自分の好きなように好き勝手に定義して歴史的意味を無視して使うのだというのであれば話は別ですが、それは全く不合理な主張です。
*7:Ludwig von Mises(1944), Omnipotent Government: The Rise of the Total State and Total War, Yale University, p.48.
*8:ミーゼスには多くの欠点があったとは思います。特に実証を軽視した独断的姿勢には問題が少なくなかったと思います。しかし、彼はその自称後継者とは違い尊敬すべき自由主義者だったのは確かです。
*9:もちろんそうでない方もいます。
*10:減税派を攻撃的する方々の中には、専ら減税派を罵倒するのが専門になっているように見える方々がいます。減税派を批判できるなら誰の発言でも何でもとびついていてちょっと怖いくらいです。
*11:Brian Doherty(1995) , "Best of Both Worlds: An Interview with Milton Friedman," Reason, June 1995.
*12:意見が違うのは相手が邪悪だからでも馬鹿だからでもありません。事実や価値に関する判断の違いに基づく理性的な意見の相違というものは存在します。